浪速のことも 夢のまた夢
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな、浪速のことも 夢のまた夢」
これは皆様御存知の通り、死の間際に豊臣秀吉が残したとされる、本邦の歴史上最も有名な辞世の句であり、個人的にも、高杉晋作が詠んだ「おもしろき こともなき世を おもしろく~」と双璧を為し、印象深いものであります。
そもそも今尚愛され続ける歴史上の人物として、秀吉以上の存在は少ないのでしょう。
豊臣家を滅ぼした際の、悪行の数々のみがデフォルメされて、後世の評判が芳しくない徳川家康の方が、実は天下の為政者としては平衡感覚に富み、戦国乱世の終焉に寄与したとの個人的印象を持ちますが、さりとて人気の面では秀吉に遥か及ばない。
一方に於いて、打てば響くような壮年期の秀吉とは打って変わり、晩年の彼は別人の趣がある、この事に異論を御持ちの方は恐らくおられないでしょう。
無用な殺生を避けるという、天下取りの有力な一因と成った青年期の特徴をもかなぐり捨て、陽気というイメージの陰で、実際には相当に残酷な処刑も少なくないし、何しろ朝鮮出兵という、明・朝鮮はおろか、我が国のどの階層にもメリットを齎さず、加えて大義名分すら無い、世紀の愚策を行った訳ですから・・。
まあ朝鮮出兵が、豊臣家滅亡に至る、有力な遠因の1つとなった事は恐らく予想に難くない、その一方に於いて、秀吉亡き後の天下の行方に関し、つい豊臣家に肩入れしてしまう自分もおります。
そうしたフィルターに通して、秀頼を慮って秀吉が手を尽くしたとされる、五大老・五奉行制度、或いは大名間の私婚の禁止等々を眺めますに、正直実力者の前でなし崩しになる事は自明の理でして、若い頃の秀吉であれば恐らく鼻で笑ったと思われるのですが、相当に耄碌していたのでしょう。
しかも徳川家康他の人情に縋るとは、正気の沙汰とも思えない。
さてそこで御聞きしたいのが、皆様が晩年の秀吉の立場であって、天下の仕置きを行う理性と余力が残されているとするならば、残される秀頼の為或いは豊家百年の為、最後の力を振り絞って、政策・政略他何でも結構ですが、どういった青写真を描き・手を尽くしますでしょうか?
お礼
ありがとうございました。