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秀吉の辞世の句
秀吉の辞世の句は、 「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」 ですが、 ここでいう「浪速のことは 夢のまた夢」ってどういうことでしょうか? よろしくお願いします。
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- Pinhole-09
- ベストアンサー率46% (597/1294)
これは辞世の句ですが、臨終の床で詠んだのではないでしょう。 死期を感じてあらかじめ作るよくあるパターンでしょう。「夢のまた夢」にはかなさを感じます。 「天下人になろうと一心不乱に努力しその夢がかなえ、浪速に立派な城を築くことが出来たが、死に行くこの身を振り返るとこれも又夢にすぎなかったなあ」という感慨を述べたと思います。 どんな栄華を極めても朝日にあたる露のように、消えねばならぬ命の宿命を感じて詠んだ句と思います。
- oska
- ベストアンサー率48% (4105/8467)
>ここでいう「浪速のことは 夢のまた夢」ってどういうことでしょうか? まず、当時の辞世の句は「健康な時に、書く」のが通例でした。 戦場では、辞世の句を書く余裕はありません。 敗軍の将として、自ら降伏を申し出た場合は「処刑の前に、末期の酒及び辞世の句を詠む」事が許された程度です。 水攻めで有名な備中高松城城主・清水宗治が該当します。 (松の廊下事件では、浅野内匠頭は辞世の句を詠む事を許されませんでした) 秀吉の場合ですが、有名なこの辞世の句と称されるものは「天下統一黎明期に出来たもので 死の際に詠んだ唄ではない」ようです。 「露と落ち露と消えにしわが身かななにはの事も夢のまた夢」(旧男爵・木下家古文書) 死に際に「夢の中で夢を見ているような、はかない一生だった」との解釈が大勢を占めていますね。(絵本太閤記の影響) そうすると、「なにはの事」が意味をなさなくなります。 「露」は(昔から)「涙」を意味します。(今でも、広辞苑では涙の意味) ですから、「露と落ち露と消えにしわが身かな」は「次々と色んな場面に登場する自分」でしようか。 「大坂での出来事は、次から次へと夢の様に(思いのままに)実現出来る」と絶頂期の気持ちを表したものとの解釈もあります。 辞世の句が、秀吉絶頂期に完成している現状を見ると、後者の解釈が妥当かな? 秀吉死後、重臣等で「辞世の句」を選択加筆した可能性もありますね。 本当の所は、秀吉・重臣しか分かりません。
- tukihana
- ベストアンサー率23% (11/46)
足軽から身を立てて天下を取り大坂(浪速)に城を築いた一代の 業績も、臨終の時になってみれば夢のようなものだった、という感慨でしょう。