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勝負事は勝たねばダメなのか?
なでしこジャパンがアメリカに勝って優勝した。 点をとられては追いつき、最後にはPKで勝った。 日本の女性の精神力の強さには関心するばかりだ。 しかし、勝ったから祝福されるのであって、予選にも でれないくらい弱ければ祝福されない。 結果が悪ければ、内容が良くても評価されない。 という社会は間違えてはいないのか? それもこれも、競争社会であるがゆえの誤った 風潮であろうと思う。 僕はいつも思うのだが、内容さえよければ、負けても いいのではないのか、と思う。 僕の地元のプロサッカーチームは負けまくっているので サポーターも選手に対して厳しく、冷たくなっている。 当然ヤジなども多くなってくる。 この前も負サポーターに対して「自分たちもがんばって いるんだ!」と叫んでいた選手がいた。 それを理解してあげれるサポーターは何割くらいいるだろうか。 みなさんはどーおもいます?
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- uiill0001
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内容がよければ負けてもいい? 冗談もいい加減にしてくれ! スポーツや勝負を本気でやったことの無い人間のたわごとだ。 勝てない時はある。負る時はある。 しかし、負けてもいい?なんてことは絶対に無い!! 内容がよければ・・・ 言った瞬間 それを 負け犬の遠吠えという。 それを 負け惜しみという。
あの子たちは、一番なんか目指していなかったと思います。目指していたのは、”ゴール”ただそれだけ。みんなが同じゴールを目指していた。その結果として世界を制覇することができた。ではその原動力は何だったのか?競争ではなく、むしろ団結力ではなかったでしょうか。今、日本に必要なのは競争ではなく、団結であることを、あの子たちは教えてくれている様な気がします。 私個人としては、今回一番になった事よりも、【なでしこ】という言葉を掲げて世界に挑んだことに深い感銘を受けています。結果は二番でも三番でも良かったと思っています。
私は、概ね質問者に同意します。 観戦者は良い試合が見たいのであって、ファインプレーが見たいのであって、勝ち負けを見たいわけではありません。勝ち負けを見たいのだったら、数字の並んだ結果の画面だけ見て満足していればいいでしょう。丁か半かを見る博打と一緒です。 実力の世界だからこそ、内容に真実があるのではないでしょうか。 世間も同じですよね。勝ち負けが見たいのではなくて、豊かな人生が送りたいだけ。 勝ち負けにこだわってラフプレーに走るなんて本末転倒ですよ。 勝ちに行くのは当然ですが、それに束縛されるものではないと思います。 喩えば、自分の実力ギリギリの学校を受けて、落ちたとする。しかし、その学校を目指したことによって培われた実力は失われない。 負けても残る確かなものがある。それが一流と言うものでしょう。 真面目にやっている人はそういう一流の心を持っているものだと思います。 話は変わりますが、松井秀樹が高校野球で敬遠されまくった事、ご存知でしょうか。ああいうのはつまらないと言うのだと思います。 また、女子ワールドカップの決勝戦、アメリカ人選手が日本ゴール前で独走状態になりかけたのを、日本人選手がスライディングで止めたでしょう。このプレーにはレッドカードが出ました。 私は、(本人の意図は量りかねますが)あのプレーに勝負根性を見る思いがします。誉め言葉ではありません、駆け引きを見るような気がするのです。被得点の危機とレッドカード、どっちを取るか、で、レッドカードを取ったのではないでしょうか。それってあり?好評を博しているプレーですが、私的には微妙です。評価してよいのかどうか。ゲームだからカードで済みますが、あのプレーは、実際社会に引用して語ることはできないでしょう。ゲーム上では、結果、日本はペナルティキックを課せられているのでイーブンではあるのでしょうが、ゲームならできる駆け引きも、実際社会では使えないものもあると思いました。あのプレー、ある意味でクールですが、やっていることは(プロフェッショナル)ファウルなんですね。 潔癖症では生き苦しいが、精神が清潔、高潔であるというのは凛々しく清清しいものです。 どのように生きたいのか、という選択の問題でもあると思います。 完全な金メダルと、土のついた金メダルがあるとするならば、今回のメダルはどちらなのでしょうね。完全な金と言う人が多いかもしれませんね。 しかし、女子サッカーの話は置いておいて、良い勝ちと良くない勝ちがあるのは周知の事です。 このことから、けっして、内容をないがしろにする風潮が大半を占めているということもないと思います。
- o-sai
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負けまくっているのを観て感動したいなら、それでいいんじゃないの? 負けまくりの競走馬も人気出たし。 でも、負けまくってもメゲずに挑戦続けるから価値あるんで、 勝ち負けに拘らなくなったらフヌケじゃん。 あなたは、負け続けてることに言い訳を考えて楽しようとしてませんか?
サッカー関係者からすれば、 これまでの体質が続くのが長期的問題だとおもいます。 男尊女卑体質の継続のことを言っています。 おかねは出さないが 口は出すという今の風潮 高齢プレーヤー優先 年寄りのいうことを聞かなければならない というスポーツに 残念ながら未来はありません。 個人的には、1億2千万の人間を不幸にしている罪悪の根源が、 「勇気付けられた」と発言しているのが問題だと思います。 そいつが、祝福の手を差し伸べたとき チーム選手が、なでしことして どういう反応をするか が 今のところ個人的興味の中心です。 政治色ぷんぷんの、栄誉賞等なら受賞辞退して当然だと思いますが、人の心というのはわからないものですので。
- 雪中庵(@psytex)
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もし、あらゆるゲームが「勝たなければ意味がない」のなら、 世界一の人以外、全ての人が苦しむべきものとなる。 ゲームをするのは面白いじゃん。 「勝たなければダメだ」などというのは、実際にゲームの 醍醐味を知らず、勝ち負けだけにこだわるエセFanの言だ。
- Mokuzo100nenn
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勝ち抜き戦と決めてやってるモノなんだから勝ち負けが重要。 ただし、人生の多くの事、社会の多くの事は、勝ち抜き戦じゃあないのだから、勝ち抜きゲームとその他のことをごっちゃにしちゃあイケねぇよ。
- TANUHACHI
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この問題に関して、スポーツとビジネスを同列に扱うことが妥当であるかと考えるならば、僕は妥当性を欠くと思う。同じスポーツの世界でも個人競技のトップアスリートやラガーは試合が終了した時に相手を賞賛するノーサイドの精神がある。これに比べてアメリカンスタイルの象徴的存在であるフットボールやバスケットボールは勝者と敗者の優劣をくっきりと色分けすることで成り立っているとも考えられる。 他の方が「勝ち負けでなく高みに登る事を目指すのだろう。より高くより強くは競争社会というより人間の持つ当たり前の本能だ。」と喝破しているのは至言である。「より高くより強く」は目標に対してどれ位迫ることができたかを量るのに対して、ナンバーワンこそ至高の価値があると断定するのは単なる競争のための競争であることに囚われて物事の本質を見失っている姿に等しい。 IPS細胞の研究による医療への応用を実証しつつある研究者と功を焦ってES細胞の発見を発表した韓国の学者では「何れが誠実な研究者である」と言えるか。「いち早く発表した」もののその内容が杜撰なデータ管理と盗用だったことで、研究成果の内容には疑念が生じ、彼は学問の世界から去らざるを得なかった。これでも「一番最初に見つけた者が勝者である」と言えるのか。スペースシャトルの外壁素材として選ばれたのは日本のセラミック技術だった。エジソンの電球に使用されたフィラメントの素材は日本の竹だった。これらはスペースシャトルや電球のためにあった素材ではない。研究とビジネスは違う、というのであれば、ビジネスは消費者や顧客に何を提供して成り立っているのかとの質問に答える術があるだろうか。リーマンショックで金融デリバティブの理論が破綻をきたしたことは世界中に知れ渡るところとなった。全てをゲーム感覚で勝者と敗者を決める感覚は既に時代遅れの論理である。と同時にナンバーワンになったところでそれを維持するためにはハツカネズミが車輪を回し続けることと同様に孤独で出口の見えないゲームを一人で続けることに等しい。そのうちハツカネズミは疲れ果てて死んでしまうのがオチであり、結局ハツカネズミは何も手に入れる事すら出来なかったことも気付くことのない哀れな存在でしかない。
褒めるにしても叱るにしても、内容を理解して行わないと、舐められたり萎縮させたりすることになるでしょう。その結果、不正行為を助長したり、人を育成できず、長い目でみれば競争に敗れるでしょう。 そのような社会は競争社会というよりも、近視眼社会というべきです。
- soixante
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あなたは学生さんなんでしょうね。 >競争社会であるがゆえの誤った風潮であろうと思う。 >内容さえよければ、負けてもいいのではないのか、と思う。 なわけないじゃん。 プロならなおさら。社会は競争なのです。 そうでないと人類の発展はありませんでした。 結果を出さねば何の評価も得られないことは明白です。 この国は、「ナンバーワンじゃなくてもオンリーワン」などという、わけの分からない歌を教科書に載せるくらいなので、ハングリーな外国の若者に負けるようになるのです。 そして負けても平気な感覚を学校で教えているのです。 ナンバーワンになればオンリーワンなのです。 ナンバーワンでないオンリーワンというのは、下流の人々が最も好む「自分らしさを大切に」というキーワードにつながります。 そんなの誰も評価してくれません。こういうことは学校で教えてやらないとなあ。
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