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なぜ人は自分の存在意義を求めるのか
自分が生まれた理由 社会で何が出来るか(人のために何が出来るか) またひとつの価値に自分が近づくことに存在意義を求めたり(天下無双・天才) なぜ人はこういったものを求めるのでしょうか なぜこういったものを必要とするのでしょうか 生物学的に、進化論的に、哲学的にでも、なんでもよいので答えてください。
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質問者が選んだベストアンサー
運動不足だからですね。 運動や労働をして、くたくたになって寝床に入る人は「自分の存在意義」を求めたりしません。 生物として当然の運動量が不足している怠惰な人間どもが「自分の存在意義」を考えたり、求めたりするのです。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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ANo.2:自身の実名に類似の木藏さんに一票投じ、ひたすら本分を尽くすだけです。 あたまで存在意義や理由を考えたり、正当化したりしていても侘しいだけですね。
- TheUchuuNoKori
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ハードウェア的な肉体の誕生に先立って、 ソフトウェア的な自意識が存在していなかったからでしょう。
NO3です。言葉の訂正です。 文章終わりの方、"一切の世界"と言う表現を、"広い世界"に訂正します。
- 雪中庵(@psytex)
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人の生きる目的である「精神的充足感」とは、 認識の中に結果するものであるから、 その認識を深めるほど、喜びも大きいからだ。
人は、自分の居場所を探しているのでは無いでしょうか。 自分が自分でいられる場所を。 それでも世の中は混沌としていますから、自分でいられなかったり、自分でいられたり、人々は明滅しながら時を渡り歩いているのだと思います。 どうして確たる自分存在を求めるのでしょうか。 人生は、川の流れに喩えられることがあります。流れ流れながら、自らの道筋(川筋)を掘り込んで行く。 人も、生き永らえながら、自らの居場所を時の中に刻印するようにして形成していくのでは無いでしょうか。 川が流れるのが大地の重力に拠っているように、人生も、時という大地、場の力に随って流れているのでは無いでしょうか。居場所ができたりできなかったりするのは結果の話で。 あるいは自分の居場所とは記憶のことであり、人は過去に住居を設けながら、少しずつ現在という開拓地を進んでゆくものかもしれません。登山家が、ロープで自身を岩に縫いつけながら登坂するように、いつでも引き返せる場所として、自分の存在意義を建立するのかもしれません。 しかし言えることが一つあり、山を住居とする山羊が登山道具など何一つ持っていないように、心が野生で頑健な人、人類社会ではなく一切の世界を住処とする人は、自分の存在意義など無くても、山羊のように雄雄しく生きてゆくのではないかと思います。 存在意義を持つことは否定されませんが、無くてもよいという人もいうるでしょう。 このように考えました。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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そのように生きていない。 そのことが意識できない。 ということなんでしょう。
- ROKABAURA
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我思う故に我在り は有名な言葉ですね。 でもあえて生命としての捉え方として 遙か太古から生き物は微生物から始まり 集団化し高度化し 生き残ることが出来ました。 そして変化に対応すること 将来の変化に備えること 存在のために重要なものを守ること といった要素が取り込まれました。 現存する生き物の寿命や子どもの数 繁殖期や生命サイクルも 綿々と繋がる存在維持の為の仕組みです。 人間や一部の動物には変化を捉える為、自意識のある個が発生し それを集団に伝えるため個は他者 集団に存在や能力を示します。 またそれを助長するように 集団は優れた変化を起こす者を率先して取り込もうとします。 つまり価値とは「より存在しやすい要素」と置き換えられます。 人も動物も生き物として求める本質は変わらないのです。