(1)
My father, ever practical, was skeptical about a life spent contemplating the mysterious workings of the cosmos."Nobody will pay you just to sit and think," he declared.
My mother would have approved of mu becoming scientist had I worked on a cute for cancer but physics seemed mysterious and vaguely sinister to her.
いつも現実的な私の父は、宇宙の謎の働きを熟考して過ごす生活に懐疑的であった。
父は「誰もお前にただ座って考えるだけのことを与えはしないさ。」と言った。
母は、私が願の治療をするなら、私が科学者になることに賛成しただろうが、物理学は母にとって謎に包まれ、そして漠然と不吉なように思えた。
(2)
It's a feeling of being drawn inescapably toward the serene heart of existence a compulsion to search for hidden meaning in the universe along with a conviction that meaning is in fact out there, lying just within my grasp.
宇宙において、隠れた意味を捜す衝動で、実際には真意はちょうど私の手が届く範囲のどこかに存在しているという、存在するという平静な心へと引き付けられる避けられない感覚である、
(3)
Physics is ,after all, the tune to which the atoms of my brain dance.
So theoretical physics became, in a sense, my religious quest, the best hope I had of making sense of the world and my place within it.
結局、物理学は私の脳の原子がいいなりになるのだ。
だから、ある意味では、理論物理学者は私の信心深く捜し求めるもの、その中に宇宙、そして私の居場所を理解する、私が1番期待しているものになったのだ。
特に(2)と(3)の訳がもうはちゃめちゃですが・・・
宜しくお願いします。
> My father, ever practical, was skeptical about a life spent contemplating the mysterious workings of the cosmos." Nobody will pay you just to sit and think," he declared.
> いつも現実的な私の父は、宇宙の謎の働きを熟考して過ごす生活に懐疑的であった。父は「誰もお前にただ座って考えるだけのことを与えはしないさ。」と言った。
2番目の文、to sit and think は、「・・・のために」 と訳すことのできる to の用法。この文での pay は 「(給料などを) 支払う」 の意味で用いられている。「ただ坐って考えていてもらうために金を出す者などいやしない」
> My mother would have approved of my becoming scientist had I worked on a cure for cancer but physics seemed mysterious and vaguely sinister to her.
> 母は、私が願の治療をするなら、私が科学者になることに賛成しただろうが、物理学は母にとって謎に包まれ、そして漠然と不吉なように思えた。
work on a cure of cancer の work on Aは 「Aについて研究する」 という意味なので、「癌の治療をするなら」 ではなくて 「癌の治療法を研究するのなら」
> It's a feeling of being drawn inescapably toward the serene heart of existence a compulsion to search for hidden meaning in the universe along with a conviction that meaning is in fact out there, lying just within my grasp.
> 宇宙において、隠れた意味を捜す衝動で、実際には真意はちょうど私の手が届く範囲のどこかに存在しているという、存在するという平静な心へと引き付けられる避けられない感覚である、
むっちゃ訳しにくい文に思えます。構造としては、前半が existence までで、 a compulsion 以下は a feeling と同格と見ることができるかも。それなら、とりあえず前半だけ訳してしまって、「それは、存在するという平静な心へと引き付けられる避けられない感覚だ」 としておきます。後半の部分の in fact を 「真意は」 と訳してしまったのは惜しい。「実際に」 くらいでよいのでは? 続いて 「つまり、現実に、ちょうど私の手が届く範囲のどこかに存在しているところの、隠れた意味を捜す衝動だ」 とも出来ると思います。
> Physics is, after all, the tune to which the atoms of my brain dance. So theoretical physics became, in a sense, my religious quest, the best hope I had of making sense of the world and my place within it.
> 結局、物理学は私の脳の原子がいいなりになるのだ。だから、ある意味では、理論物理学者は私の信心深く捜し求めるもの、その中に宇宙、そして私の居場所を理解する、私が1番期待しているものになったのだ。
初めの文、Physics is the tune を 「いいなりになるのだ」 と訳された真意が分りかねます。直訳すれば、「物理学とは、それに合わせて私の頭の中の原子たちが踊る音楽だ」 くらいになるのではないでしょうか。theoretical physics became my religious quest は、「信心深く捜し求めるもの」 というより、直訳して 「宗教的な探求に等しいものになった」 とでもした方がいいかも。making sense of the world は、「世界 (というもの) を理解する」 という意味です (make sense of A は、「Aを理解する、解明する」 という熟語です)。
お礼
どうもありがとうございました