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睡眠中にも瞼を閉じられない事情への仏教的な評価
浄土宗で木魚の使用が禁じられていた時代(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E9%AD%9A#.E6.A6.82.E8.A6.81)が有ったそうですが、動物虐待に関わる事情を鑑みて、当時の浄土宗では木魚の使用が禁じられていたのでしょうか?
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http://youkokuji.net/blog_2/index.php?y=2009&m=03&datefile=200903 江戸時代になってから木魚は日本に招来した。 そんな新しいものは いらないということです。
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- yamm916
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回答No.2
Wikipedia記事中「魚は日夜を問わず目を閉じないことから、修行に精進することの象徴であったためとされる。そして、魚の腹をたたくことで煩悩を吐き出させる、という意味合いが有ったともされる。」とあります。 浄土宗派では、自力の修行によって煩悩を除くことはできない、という「絶対他力」「他力本願」の考え方が基本になっています。上記のように、木魚が禅宗の自力大悟の意味で使用されてきたことから、他力思想にそぐわないとして当初は禁止されたのでしょう。
質問者
補足
有り難う御座います。 号令のリズムによっても集団の瞑想が促されていきやすい、と考えられますので、集中力の維持の為に、木魚のリズムが煩悩を払拭させているのでしょうから、集団構成員達には「他力本願」的な効果が促され得るのではないでしょうか?
補足
有り難う御座います。 称名念仏の文節を乱した音頭取りの問題は、乱暴に「マニ車(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8B%E8%BB%8A)」を回転させる行為への評価に似ていますね。