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様々な分野に当て嵌まり得る解説を御願いします。

無自覚の悪い癖からの影響が自己の技能の成長を阻んでいるのに、若しその事情を自己の周囲の方々が指摘してくれないのでしたら、その場合には、失敗を経験しませんと悪い癖の存在に気付き難いのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.6

無自覚が必ずしも悪いとは思えません。 確かに,他人に迷惑をかけても気づかない,なんてことがあるかもしれません。 でも,逆に言えば,何かに没頭して,我が道を行く,なんてことだってありえます。 つまり,他人に影響されにくい,というのは利点かもしれません。 >指摘してくれないのでしたら とか >失敗を経験しませんと とか,マイナスイメージばかり持たずに,逆に,自分を生かしてくれる環境を探しても良いのでは。

littlekids
質問者

お礼

此処から別ページ(http://okwave.jp/qa/q6852713.html)に質問をスピンオフさせて頂きました。

littlekids
質問者

補足

有り難う御座います。 確かに、或る癖を悪く扱うのは、「特定の環境の中だけでの相対的な判断」なのかも知れませんね。 非常に勉強になりました。

その他の回答 (5)

回答No.5

「無自覚な悪い癖」の場合、他人が指摘しても、失敗しても、 みんな周りのせいにして『自分は悪くない!』と責任転嫁する のが、昨今の自己チュー人間の特徴です。 分かっていても直せないのが癖である。 いい大人になって「無自覚」なようでは、修正は難しい。

littlekids
質問者

お礼

此処から別ページ(http://okwave.jp/qa/q6853029.html)へも、関連の話題を続けさせて頂きました。

littlekids
質問者

補足

有り難う御座います。 「勝利が敗者達の暫時的な不調に起因し、敗北が自己の精進の不足に起因している」、と見做す道徳的な発想の価値は、既に否定されつつあるのでしょうか?

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.4

理念的には、当初から正しい路を歩いて いれば、失敗の経験なんか不要、てことに なると思います。 しかし、現実は違いますね。 失敗しないと過ちに気づきません。 失敗しないでも過ちに気づくほうが効率は よいと思いますが、永い眼で看た場合は どうでしょう。 親や先生の言うとおりの人生を送っていれば 失敗は少ないのかも知れません。 しかし、それでは新しいモノを創り出す ことが出来なくなりそうです。 独自性も育ちません。 それになにより、親や先生でさえ予測できなかった 場合の事象に出くわした場合、応用が利きません。 運悪く失敗した人に対する思いやりの心も 育たないでしょう。 失敗は必要だと思います。

littlekids
質問者

補足

有り難う御座います。 深刻なダメージを残し得るリスクを抱えてはいけないませんので、「初心(初心者の慎重な取り組み方)を忘れる油断」は避けられるべきなのでしょうけれども、仰る通りに、「少々の失敗を恐れずに次々と挑戦していく初志の貫徹」は、多くの局面で非常に重要になり得ますね。

回答No.3

 失敗はしなくても・・・・・  その人が“創意工夫を凝らす人”ならばある日突然“気づく”事はあるかと思います。    人間の持つ能力のひとつの“気づき”は、今でも不思議。  また努力する人の多くは、体験していると思います。  それが些細な事であれば、ことさら意識などしないかもしれませんが。

littlekids
質問者

補足

有り難う御座います。 仰る通りに、別の分野への応用が抜本的な改革を促してくれる、という事情は多くの先人の方々が実体験の中で証明して下さっていますね。 でも、此処では、SWOT分析の”weakness”の発見の継起を伺っておりますので、創意工夫による気付きを此処の話題に盛り込んで頂きますと、畏れ入りますが、別の内容に流れが発展していないでしょうか?

  • matumotok
  • ベストアンサー率35% (431/1203)
回答No.2

こんにちは。 私は、ご質問文の問いかけには「Yes」と答えます。技能の成長の手法を大別すると、「長所を伸ばす」と「短所を克服する」に二つに大別されると思います。どちらか一方だけでは成長することは出来ず、二つの手法を相補し合ってはじめて進歩成長に至るものと考えています。さらに言えば、自分の長所を知ることによって自信を持って今後の努力の原動力とする一方、短所を知って解決するべき課題を把握することが重要です。 人は誰でも自らの長所を知りえたとしても、短所の把握はなかなか出来ないものです。自分では普通だと思っている部分の中に短所はあるのですが、気づくことは困難です。誰かからの指摘があっても、イチャモンだと逆切れする場合もあるかもしれません。指摘がない場合には自分で気づくことは殆ど不可能と考えられ、失敗を経験して「思い知る」という痛さを感じなければ短所を自覚するのは難しいと思います。

littlekids
質問者

お礼

別ページ(http://okwave.jp/qa/q6853990.html)へも、 話題を発展させています。

littlekids
質問者

補足

有り難う御座います。 同類の悪癖を持った方々と出会って、残念ながら、其の方々が身代わりに失敗してくれる、という場合もが有り得るのだろう、と思っておりました。 でも、そういう状況では、其の他者達と自分とが同類の悪癖を保持している事情を本人が受け入れていけるのか否か、という別問題が登場してくるかも知れませんね。 従いまして、他の切っ掛けから学ばせて貰える可能性もが「身近に」存在しているのかが分からなくなりましたので、此の質問を提出させて頂きました。

回答No.1

あえて言い回しが難しい?方言?てかそもそも日本語? 現在無自覚なら、失敗を経験しても理由はわからないのでは無いかな。ほとんどの場合。 自分を含めてだけど、人ってそんなに賢いイキモノには思えないKARA。

littlekids
質問者

お礼

http://okwave.jp/qa/q6895578.html 此方でも御教授を賜れますと幸いです。

littlekids
質問者

補足

有り難う御座います。 失敗の経験によって気付かせて貰える内容の中の部分集合として、悪癖の問題が存在していませんでしょうか?

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