江戸時代に武田家の重臣だった家はひどい目にあったか
江戸時代に、武田信玄の武田家に仕えていた人達の家は、ひどい目にあわされたのでしょうか?
江戸幕府にとって、徳川家康というのは神様です。
その徳川家康が最も恨みを抱いていたのは、武田信玄の武田家だと思います。
なぜなら、武田信玄の武田家は、徳川家康が今川家の人質だった時代は、徳川家康を一切助けませんでした。
また、徳川家康は、武田信玄に三方ヶ原の戦いで、家臣を多く殺され、自身もひどい目にあわされ、家臣の前で大恥をかかされました。
更に、武田信玄の息子の勝頼の時代、徳川家康は、武田家とのもめごとのせいで、嫡男の信康を切腹させなければならなくなりました。
武田家は、徳川家康と領地を接していて、武田家と徳川家康の間には、いつも争いが絶えませんでした。
武田家は、家康が今川家の人質だった時代には、一切家康を助けませんでした。
この様に考えると、江戸幕府にとっての神様である徳川家康が最も恨みを抱いていた相手は、武田信玄の武田家だったと思います。
毛利家や島津家が、徳川家康と敵になったのは、少なくとも、豊臣秀吉が死んだ後、さらに言えば、前田利家が死んだ後です。
徳川家康は、織田信長のように最初から、天下統一をもくろんでいませんでした。
だから、豊臣秀吉と前田利家が死んで、徳川家康が天下取りを本気で狙いに行くまでは、毛利や島津が家康と敵対することはあり得ないと思います。
一方、武田は家康と初めから敵対関係にありました。
その、江戸幕府の神様・徳川家康と初めから敵対関係にあり、家康が最も恨んでいた武田家の、その重臣とか、仕えていた上のほうの家は、江戸時代に、江戸幕府にひどい目にあわされたような気がするのですが、
どうでしょうか?
どうかを教えてください。