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「手に落ちて月と思えば蜜柑なり」という俳句について
日本語を勉強中の中国人です。外国人の秀句を読んでいます。「手に落ちて月と思えば蜜柑なり」はどういう意味でしょうか。特に、「と思えば」と「なり」はそれぞれどういう意味でしょうか。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
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(たぶん満月の)月のきれいな夜だったのでしょう。 黄色くて丸いものが、手の平にぽんと落ちてきました。 ひょっとして、あの夜空の月かしら?と思ったら、 それは蜜柑(みかん)なのです。 といったところでしょうか。 蜜柑の黄色が鮮やかに目に浮かぶような歌ですね。 「と思えば」は「~と思ったら」と言う意味 「なり」は「~だ」「~です」の古い言い方。 例「花は今、盛りなり」 質問文は、特に不自然なところはありませんよ。 頑張って下さいね~
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- Ishiwara
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月の明るい夜に、みかん畑にいた。ふと、みかんが落ちてきて手に入った。つややかに月の光を反射しており、あたかも、月が落ちてきて、偶然自分の手に入ったのではないかと思うほどであった。 「と思えば」=「のように思われたが、よく見れば」 「蜜柑なり」=「蜜柑であった」 幻想的で良い作品だと言う人もいるでしょうし、あまりに人工的な歌で気に入らないと言う人もいるでしょう。それは詩歌の宿命です。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
- hakobulu
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ある時、真ん丸の大きなみかんを手に取った瞬間に得た感覚を詠んだ句でしょう。 彼氏が、「はい、これあげるよ」と言いながら放ってくれたものであったのかもしれませんし、 単に店先で手にとって、一旦上方に投げ上げたものを手で受け止めたときのことかもしれません。 いずれにせよ、真ん丸で、黄色っぽい橙色をしたみかんがまるで月のように感じられたわけです。 通常の感覚では、 「手に落ちた蜜柑を見れば月のよう(月みたい)」 などという句になりますが、これではありきたりです。 「(みかんが)月のように感じられた」という【新鮮な驚き】が読者に伝わりづらいと言えます。 この作者は、蜜柑を手にした瞬間に、 真っ先に! まず! 「あ!月だ!!」と感じたわけです。 「この蜜柑は、まるで月のようだ」という悠長な感覚とは違います。 あくまで「月だ!」と感じた瞬間的な感覚を捉えた感性です。 「思えば」の「ば」は、 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%B0&dtype=0&dname=0na&stype=1&index=17554214512000&pagenum=1 の、 2-(2)ある事態・結果に気づくきっかけとなった動作・作用を表す。 です。 「蜜柑だと気づくきっかけは⇒月だと思ったから」という構図。一般的には 「月だと思うきっかけは⇒蜜柑を手に取ったから」という構図になりますが、作者の鋭敏な感覚が、この一般的日常性を逆転させていることになります。 「なり」は、 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%AA%E3%82%8A&dtype=0&dname=0na&stype=1&index=16789813872300&pagenum=1 の、 1 断定の意を表す。…だ。…である。 です。 古語なので、現代の日常会話などでは使われません。 ご質問文の日本語は完璧です。
お礼
ご丁寧に教えていただきありがとうございます。いろいろとても参考になりました。本当にありがとうございました。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。よくわかりました。大変参考になりました。本当にありがとうございました。勉強、頑張ります。