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ノモンハンの疑問
1939年、第2次大戦勃発直前に日本・満州国軍とソ連・外蒙古連合軍の間で行われた国境紛争について幾つか疑問があります。 日本ではノモンハン事件(実状は戦争)と呼ばれていますが、何故に当時も今になっても日本人に知名度が低いのでしょうか? 私的には当初この事件を真面目に検証していれば、2年後に生起する真珠湾攻撃の抑止力となりえたと思うのですが・・・ 次に空戦は別として、日ソ両軍の隔絶した戦力比で何故日本の現場の将兵は一カ月もの間、激戦を演じることができたのでしょうか? 戦後、第2次大戦のMVPと言ってもよいG.ジューコフ将軍がインタビューアーに’最も苦しかった戦は?’の質問に「ハルハ戦争(ノモンハン事件)」と答えていたそうです。 最後に、現場を指揮した高級参謀辻 政信大佐は何故戦後も糾弾されることが無かったのでしょうか?戦後ものうのうと生きている事自体信じがたい。
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お礼
質問の仕方が悪かったのでしょうか? どうやら私の質問の趣旨を理解しておられないようですね。 私はノモンハン事件がその後に続く太平洋戦争の縮図であり、対米英戦に突入した場合の日本の運命を占う上で多くのヒントを内包していたと思えてならないということを言いたかったのです。 事件後、陸軍独自で敗因の研究を試みた事は私も承知しておりました。 そこでは、旧日本陸軍という組織の持つ致命的な欠陥を的確に指摘しており、それだけに真っ先に隠蔽の対象となったのです。 ノモンハンの教訓を生かせなかったことは日本の悲劇に外なりません。 私の質問の答えに関しては、他の回答者にお答え頂いたので最早、書き込まなくて結構です。失礼しました。