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ベルリンで女性の50%がソ連兵にレイプされた?
なにかで聞いたのですがよく覚えていません。 戦時中なので、正確な被害者数はわからないでしょうが、 どこかソースはわかりませんか? 第2次世界大戦のドイツの降伏時でしたっけ? 半分ってすごすぎませんか? ほかにも戦時中の兵士によるレイプとか酷かった事例がありますか? なぜ日本軍が慰安所を設置したのか、と言うところの根拠になるかと思いますので。 よろしくお願いいたします。
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確か「ベルリン陥落」と題する本に記載されていたと思いますが、他国兵士に比べてソ連兵はやりたい放題の暴虐非道ぶりで、ベルリンに処女なしと云われる状態だったと表現されています。ドイツがモスクワを目指して進撃した時は、ソ連は焦土作戦をとったこともあって、ソ連の農民市民は塗炭の苦しみを舐めたので、それへの復讐心もあったと云われています。阿片戦争では英国兵がやはり清国人に暴虐非道であったと云われています。これは「北京の55日」におけるフランス、ドイツも同様で名園(イワエン)の破壊・財宝の略奪・人民への暴行はすさまじいもので、日本軍が各国に「いい加減にしてはどうか」とたしなめたそうで、規律正しかったのは日本軍だけだったと云われています。 日清日露戦争の頃は戦争当事国以外の国から観戦武官が戦場を見ることを許されており、日本陸海軍将兵の規律正しさは等しく感嘆の的でした。 レイプなどの暴行が多発するのは、相手民族を見下しているか復讐心旺盛な場合が多く、アジアで戦った日本兵はこれには該当しませんから欧米やソ連兵に比べて不祥事は遥かに少なかったと思うのが妥当かと判断します。シナ兵はもともと国家の軍隊ではなく、地方軍閥の私兵で、食うため、金もうけのためには自国民からの略奪、暴行は三国志の昔から当たり前でした。親・中国と云われているパールバックの著作「大地」にもその一端が伺えます。 中国や韓国は、歴史とは政治の道具にすぎませんから、現在の政府・国民が「正しい」と主張する為には、前にあったことはすべて外国や以前の政府が悪かったからと云い張ります。これが彼らの「易姓革命」の本質ですから、日本人の感覚で幾ら歴史を論じてもかみ合うことはありません。慰安婦問題や南京事件はまさにこれに該当します。 米軍が我国に進駐したときは婦女暴行事件は日常茶飯事でしたが、新聞は検閲で都合の悪い記事は削除されますから記事にはできませんでした。この為、マッカーサー司令部と日本政府が話し合い、売春宿を公認し、週一回の性病検査を義務付けました。日本での売春制度が廃止されたのは昭和32年です。 韓国で売春が禁止されたのは、確か昭和40年を過ぎた頃だったかと記憶しますが、その頃はバブル景気で、日本からの買春ツアー(キーセン旅行)があまりにも盛んだったので、これをたしなめる声が上がり、こんなツアーは急速になくなりました。 あまり的を得た回答にはなっていませんが、参考にして下さい。
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- thomasedinburgh
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当時のベルリンの人口が正確には不明なので「半分」 とかいうパーセンテージは根拠の薄い推測ですが、 赤軍兵の大量レイプは事実です。それは医療施設での 診断結果や私生児、堕胎手術の記録から確認できます。 思春期以前の少女の輪姦などひどい現実が記録されています。 これについては最近になってしっかりした研究が現れる ようになりました。1989年まではまったくのタブー の領域でした。(モスクワへの配慮から) ベルリンだけではなく赤軍はドイツ領内に入った頃からドイツ婦女子の暴行を 報復として、そして恐怖を植えつけるために意図的に行っていました。 地方によっては村落民が虐殺されることも多数みられたようですが、 ベルリンでは性的暴行のほかに殺害に至ることはまれであったようです。 なお、モスクワから前線の部隊に暴行蛮行を奨励する告知もなされましたが これが撤回されてから徐々に秩序が回復したようです。 ロシア兵は直接暴力によるのではなく食料や安全を提供することで 女を誘うような方向に転換していったとされます。 南京作戦前後の日本軍との違いは 少なくともベルリンでは赤軍兵による性暴力が残虐的な 殺害にまで発展することが少なかったということですかね。 ロシア兵の暴行の主目的は性行為であって殺害ではなかったことは推測できます。
お礼
医療施設での記録なら信頼できそうですね。 ドイツ人男性は自分の妻や娘が強姦されるのを黙った見ているしかなかったのでしょうかね。 ホロコーストをやっていたナチには文句は言えないかもしれませんが。 ただ、南京で日本は組織的犯罪はしていませんので。あしからず。 ありがとうございました。
- tomu3180
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「ベルリン陥落1945」と言う本に詳しく載っています ソ連軍はドイツ降伏後3日間、軍律を解いていますので200万の女性が被害に遭ったと一般的には言われています。しかしソ連の占領地である旧東ドイツの全ての女性との説も有ります。年齢も13歳から70歳と言われていますが4歳からとの説もあります。そして3日間で終了ではなくソ連兵は酒が入れば占領地での暴虐を尽くした者も多かったようです、 現ポーランドも3分のIは旧ドイツ領だったので 戦争末期の逃避行で多くの女性がソ連軍の手に落ちています、日本でも満州からの逃避行が同様です。 日本政府もベルリンからの報告や伝聞等で承知し懸念が有ったからこその慰安所設置でしょう。
お礼
1945年の事例であれば、日本の慰安所の根拠にはならないような気がするので 第一次世界大戦時にもあったのかな?とおもっています。 ありがとうございました。またよろしくおねがいします。
- Takuya0615
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まぁ、もともとドイツは離婚率が高いので、貞操の概念が少ないと思いますよ。
お礼
ありがとうございました。
お礼
観戦武官と言うのがあったんですね。はじめて聞きました。 その記録とかあるんでしょうか? とても参考になりました。 ありがとうございました。またよろしくおねがいします。