- ベストアンサー
東京大空襲
米軍はなんで、隅田川に架かる橋(勝鬨橋~白鬚橋)を積極的に攻撃しなかったんですか? 彼らの物量からすれば、橋を破壊することなどたやすいと思うのですが。 ・高射砲で守った。 ・占領後をにらんで、大きい車両が通行可能な橋なので残した。 ・橋などどうでもよかった。 思いついたのはこの3つです。 よろしくお願いします。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
答えは、「橋などどうでもよかった」です。 橋を攻撃する目的は、それが重要な戦略物資や戦力の移動手段 になっており、それを遮断することが目的です。 日本の高射砲はほとんど効果がありませんでした。 また、戦後のため、ということを考慮したという記事は いまのところ著名ではないので、却下で良いでしょう。 東京空襲の目的は、日本を無力化することであり、 そのため、当初は軍事拠点、とくに軍需工場と周辺の部品工場の破壊が 行われました。 東京へは昭和19年11月より空襲が開始されます。 精密爆撃が実施されていましたが、昭和20年1月後半より 焼夷弾を使った無差別爆撃に切り替えられました。 (これは国際法違反です) これにより東京の多くの労働力と、生産物資と、軍需工場へ部品を供給する 町工場がなくなり、日本の生産力が激減し、事実上、戦争を継続することが 出来なくなりました。 こうして、橋はあっても、難民が行きかうだけの場所となったのですが さらに戦争が継続し、隅田川を挟んで軍隊が行きかうようになれば やがてはこれらも破壊されたはずです 参考 図説 アメリカ軍の日本焦土作戦 P24-43
お礼
さっそくの回答、ありがとうございます。 やはり、橋などどうでもよかった、ということですね。 私も当時の防空能力の低さを知っていましたので、「高射砲はないな...」とは思ってました。でも、一応候補に上げさせていただいた次第です。 本土決戦はアメリカも想定していたことなので、 何で残していたかが、気になりました。 本土決戦となれば、兵力の移動手段を弱体化、または完全に無力化の必要があり、それには橋の破壊が必至。 なのに残すということは、占領後、進撃をスムーズにさせるためだったのかと思いました。 東京も、重慶も、ロンドンも、ドレスデンも、広島・長崎も、枢軸国側・連合国側問わずして、すべての無差別爆撃は国際法違反であると同時に、連合国または先進国が言う、「人道上の罪」に該当すると思います