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点と直線の関係
ふと思ったのですが昔、数学の授業で直線は点の集まりであると習いましたが、点に幅(厚み?)って無いですよね? 幅の無いもの並べても線のような幅のあるものには、ならなくないですか? ちなみにこのカテゴリはなんですか? 国語、数学、哲学あたりで迷ったんですが・・・
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#8です。「そっちの方が都合いいからってことですか?」「使いやすければいいってことですかね?」と思って欲しかったのは事実ですが、他の皆さんの応答を読んで、言い過ぎたと思いました。「使えればいい」を徹底すると、「現実とは一致しなくても、論理的に矛盾しなければ何でも数学だ」という態度にもつながるからです。この態度は、論理的には否定できないのですが、やはり極論だと思います。また#6や#8で、線分は点の集まりでない、と言っているような印象を持たれたと思いますが、そんな事は言えません。 以下、「現実との比較テスト」という言葉を使いますが、物理的に実行可能な確認実験とでも考えて下さい。 (1)「線が点の集まり」という考えは、現実との比較テストを、妥当にパスしている。 (2)「線が点の集まりでない」という考えも、現実との比較テストを、妥当にパスしている。 (3)ただし、現実との比較テストを、厳密にパスする数学的考えは少ない。 「線が点の集まり」という考えは、例えば#1さんのような立場で、妥当と思えます。しかし現実には実行できません。厚みのない面や、幅のない線は、物理的に書けないからです。これは数学的理想化です。 「線が点の集まりでない」という考えは、例えば#5さんの立場で、妥当と思えます。しかしこれにも理想化が含まれています。線をどこまでも無限に分割する事は、物理的にできないからです。 ほとんど全ての数学的考えには、理想化が含まれ、現実との比較テストを、厳密にパスするものは少ないです。しかし理想化するから、数学は使い出があります。現実べったりでは不可能な、論理的推測を可能にするからです。例として、実数の体系をあげます。 実数は連続量を表すものだと、ふつうは信じ切って計算を行います。PCを使えば、10^(-300)なんて数値が平気で出てきたりします。でも例えば、10^(-300)メートルなんて長さは、一回も測られた事はありません。その意味では、実数論は数学的フィクションかも知れないんです。では実数体系は無意味かと言うと、違います。現実との比較テストを、妥当にパスしているからです。 手計算でもPCを使っても、物理的にできる計算は有限回の演算ですが、実数論は無限回の演算を認めます。よって実数体系の中には、人間が実行可能な全ての数値計算結果が含まれています。なので実数があれば、現実に行える全ての数値計算結果が保証される訳です。さらに無限回演算の理想化によって、無理数まで推測できます。 「線は点の集まりか?」に戻ります。答えとしては、#14さんの「単なる点の集合としての線と、長さの定義された線は、別物・・・両者を混同するから、ややこしくなる」になります。点の幅と単純に言いますが、幅(長さや面積は、一般に測度と言われます)は、「点の性質ではない」が、現在の扱いです。この考えも、現実との比較テストを妥当にパスしています。それが同じく#14さんの仰る、区間[0,1]と[0,2]の比較例です。 位相や超準解析は、測度論に基礎を提供するといった側面も持っています。なので(1)と(2)のどちらにも馴染む定式化が採用され、測度論に結論を持つ越すのだけれど、「幅は点の性質ではない」と言われてがっかりします。だけどそれは、(1)と(2)のどちらも、数学理論の妥当な動機付けとして、採用したいという努力の結果だと思います。 測度論の一つの結論として、有理数全体に対応する可算無限個の点を、どうやって並べようと長さ0という結果があります(測度零集合)。可算無限には、全ての有限が含まれるので、「幅のないものをいくら集めたって幅はない」という常識が保証されます。しかし可算無限を越える連続無限(実数の個数)の点を、「適切に並べる」と、ふつうの長さが得られます。「並べ方」が重要なのは、0×無限=0である以上、「並べ方」という別の条件が必要になり、これは0×無限=0とは別の話として処理されます。つまり、測度と0×無限=0は、同じ土俵で考えるべきでない、という見方が導かれます。 測度論をここまで読むと、数学は数学的フィクションかも知れないが、物理的現実を注意深く反映した厳密な理想化だと感じます。またここまで来ると、点からは目ぼしい物理的属性がどんどん剥ぎ取られ、集合の一要素といった程度の定義しか残りません。位相では位置の性質を剥ぎ取られ、超準解析では無限小線素と見分けがつかなくなり、測度では幅まで奪われます。 これを数学的空論と感じるか、妥当な理想化(抽象化)と考えるかは、意見のわかれるところと思いますが、自分は実数などの例から、後者です。#9さんの、「数学は、数学として語るのがよいと思います。」は本当です。 最後に、いつもいつもこんな事は考えてられない・・・、って意見はあると思います。自分の意見では、たまに考えれば良い程度です。理由は、次の2つです。 (4)現在ふつうに教えられてる数学は全て、現実との比較テストをパスしたものと考えて良い。 (5)現実との比較テストを考えなくても、数学はやれるように出来ている。 これらが信じ切って数学を使える理由だと思います。(5)は、「現実とは一致しなくても、論理的に矛盾しなければ何でも数学だ」につながる特徴ですが、これが無いと、アマチュアが数学を使う事は不可能になります。研究の最先端にいる人達は、(4)と(5)を融通無碍に往復してるのだと、想像します。 とは言え、こういう事が片付かないと、一歩も進めない人もたまにいます。自分には、そういう傾向があった(今もある)ので、ここまでしつこいのかも知れません・・・。
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- alice_44
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←A No.9 補足 > つまり点と線は別物ってことですか? 単なる点の集合としての線と 長さの定義された線は、別物だということです。 両者を混同するから、ややこしくなる。 例として、 実区間 [0,1] の元 x と [0,2] の元 y は、 2x = y によって一対一に対応します。 両区間の個々の点は、長さも幅も無いので、 長さに関して異なる性質を持つとは思えないし、 一対一対応するのだから、点の多さも同じです。 なのに、なぜ、区間の長さが異なるのか? 線が「点を並べたもの」であって、 長さの由来が「点」にないのだとすれば、 長さは「並べた」から生じたとしか 考えようがありません。そのことを > 長さも、点ではなく、直線の性質のひとつ。 と言っているのです。 全体としての性質が、個々の部品ではなく それを組み立てる工程から生まれる…というのは、 時計を分解して戻せなくなった経験がある人には 直感的に解ることだと思うのですが。 でも、部品を集めても時計にならない! とは言いませんよね。集めかた次第なんです。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど長さは点だけでつくっている訳ではないんですね! それなら納得できます。
- carvelo
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#7です. >数直線の区間[0,1]を考えた場合,そこに含まれる有理数だけを取り出すと長さは0(幅は無い!)という結論が出てきます。 とありますがこれは何の長さのことでしょうか? 説明が下手でしたねぇ….すみません. 有理数だけ並べて行っても,それは長さをもった線にはなりません. 幅0のものを可算個並べても幅は0のままだ,ということです. 点の集合が直線をなすためには,有理数だけでなく無理数も考えないとだめ,ということですね. ただ,無理数だけ並べて行っただけで長さを持った直線になるというのもピンときませんが. 結論としては,直線を実数の集合とみなしても矛盾しない,という程度のことなんだと思います. ちなみに…. 任意の異なる有理数の間には無理数が存在するし,任意の異なる無理数の間には有理数が必ず存在します(証明は比較的簡単…なはず…….昔やらされたけど忘れました). 先の回答に書いた,任意の異なる有理数の間には有理数が必ず存在する,ということと合わせると,任意の有理数の間には無数の有理数と無理数が存在する,という結論に至りますし,同様に,任意の異なる無理数の間には無数の無理数と有理数が存在します. でもこれは,数直線を実数が埋め尽くせる(数直線を,点の集まりだとみなせる)ための必要条件であって(十分条件でもないはず),ここから数直線は点の集まりではない,ということはできないと思います. 直線を点の軌跡として定義することには何の問題もないと思いますが,数学的に使うためには,当然数式でそれを表す必要が出てきます. 軌跡として定義するなら,まずは時間に対応するようなパラメータ(ここでは t としておきます)を用意して,例えば時刻0において位置(-2, 0)にあった点が,速度(1, 0)で動いたときになす軌跡(x軸そのものです)であれば, x = t-2 y = 0 の様に定義するのが自然でしょう. パラメータ t は全ての実数値をとり,逆にそれ以外の値はとれません(時間が虚数になっては困りますね). ここで,もし直線が点の集まりと考えられない(点だけじゃ埋め尽くせない)としたらどうなるでしょう. 時刻 t を一つ定めたら直線上の対応する点が必ず1つ定まりますが,直線上にはいくらそうやって t に値を入れてやっても表せない部分が存在してしまうことになりませんか? とすると,直線には軌跡以外の部分が含まれることになってしまい,直線を点の軌跡と定義したことに矛盾してしまいます. もし,直線を点の集まりだと考えられない,ということが正しく,かつ,直線を点の軌跡と考えることがそのことと矛盾しないならば,問題は ・ パラメータ t が実数値を取るとしたこと ・ 最初に立てた式 のどちらかにありそうです. でも,僕にはパラメータ t が実数値以外のものを取るのは変に思えますし,この式(に等価な式)以外に式は思いつきません. 式にすること自体に問題がある,というのであれば,式以外で数学的に有用な表現を見つける必要が出てきます. そんなわけで,直線を点の集まりだと考えた方が矛盾なく整理できそうだな,と思います.
お礼
回答ありがとうございます。 確かに直線から考えると点の集合に見えてきますね。 簡単な例えが出て来てとても分かりやすかったですw
- Ishiwara
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直線の定義は「点の集まり」ではありません。集合論ができるより遥か昔から直線は取り扱われていました。 集合論の立場から「点の集まりと考えることもできる」ということです。 また、点に大きさがないように、直線に幅という概念はありません。したがって矛盾はありません。 点・直線は、もちろん数学で扱う概念です。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに幅の概念の無い直線なら納得できます! そもそも定義ではなかったということですね。
- kenjoko
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No.5です。 有理数のみ用いて数直線の解説をしましたが。これに無理数を加えても結果は変わりません。 有理数と有理数の間には、無限の有理数と無理数が存在し、同じく無理数と無理数の間にも、 無理数と有理数の間にも無限の有理数と無理数が存在すると私は考えます。 よって、私は「線は点の移動した軌跡である」という結論に達したわけです。 質問者から何のコメントもないので、私はここで消えます。
お礼
回答ありがとうございます。 忙しくてコメントが遅くなりました。 線は点の移動した軌跡であるということは 定義が間違っているのでしょうか? そもそも数学的に線は点の集まりと定義されているのでしょうか?
#8です。 (#9さん) 長さに限らず、測度は空間の性質であって、その空間に属する個々の点の性質ではない。 事を、わかりやすく語って頂けませんか?。自分には出来ません。
- alice_44
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哲学の話にすると、全てが曖昧になってしまいます。 数学は、数学として語るのがよいと思います。 直線が「点を並べたもの」であることは良いとして、 その中で「点を」の部分にだけ注目したのでは、 直線が直線であることの性質は見えてこない。 「を並べた」の部分、並べかたが大切なのだ …という話をカントールあたりが始めて、 それが位相論の萌芽になった訳です。 長さも、点ではなく、直線の性質のひとつ。 点を「どう並べたから直線になったのか」 という構造から、長さは発生します。 単なる点の集合は、長さを持ちません。 長さに限らず、測度は空間の性質であって、 その空間に属する個々の点の性質ではない。
お礼
回答ありがとうございます。 つまり点と線は別物ってことですか?
#6です(←しつこいですね^^) #6の(2)を(実質的に)アナログ思考で解決したのが一般位相論と書きましたが、(実質的に)デジタル思考で、ということは数体系より(集合論より)で解決したものが、既にあります。 余り人気はありませんが、それが超準解析といわれる分野です。超準解析においても、0×無限大=0は変わりませんが、無限小×無限大=1を、他の数学分野と矛盾しないように、決めます(定式化する)。 ここでの趣旨は、 ・数学の先生だって、悩むところは皆同じ。 ・・・です^^。 ところで無限小って、線分を無限に分割して「行く」ときの細片であって、厳密な「点」とは違って、0でない幅を持ってるのでは?、という疑問はあると思います。 ・その通りです^^。 という事は、超準解析にも結局は、幾何学的(アナログな)アプローチが潜んでいて、完全なデジタル思考ではないのでは?。 ・その通りです^^。 そうです。無限集合論においても、0×無限大=0を認めたという事は、「幅の無いものを並べたって幅は出来ない」事を認めた、敗北宣言のようなものであり、その意味で#5さんは全く正しいです。(←村田先生の受け売り) しかし、ものはやりようでもあります。例えば、他の数学分野と矛盾しないように無限小を定義しておいて、定義の中で、それに「点」という名前でも与えておくと、あたかも「0×無限大=1であるかのような」論理操作が可能になってしまうのです。 この「思考を単純化する計算技術」は、幾何学的アナログイメージにも、数体系のデジタルイメージにも馴染み、他の方法では得られない、明快な証明の見通しを与えてくれます。他の方法とは、標準的なε-δ論法です。高校生の方と思いますが、ε-δは、大学に入ったらやるかも知れません。 ε-δの元凶(?)である位相論においては、この事実が近傍系の定義の中に、巧妙に隠されていますが、位相論の基本は、もともと幾何学的(アナログな)アプローチなので、そもそも問題にもされません。(近傍系のイメージは、#2さんです) 以上が、#6で述べた「技術的に可能か?」と「使えるものが出来れば良い」の結果です。 個人的意見では、「幅の無いものを並べたって幅は出来ない」のは、0×無限大=0である以上、当たり前です。ただし理系である以上、この「無理」には付き合う必要があります。数学には、「こう考えたいのだ」という意志があります。(←村田先生の受け売り?) 超準解析が出来たのは、今から50年も前の事です。現在標準である位相的発想は、150年以上前からあり、現代的に定式化されたのは、80年くらい前でしょうか?。それらが今やっと、大学の初年級の教育現場に定着して来たところです。さらにそれらは、高校や中学の教育現場へ、「幅の無いものを並べたって幅は出来ない」事や「意志」を置き去りにしながら、降ろされていきます。これらが教育的配慮であるのは、わかるのですけど・・・。 悩みますよね・・・(^^);。
お礼
何度も回答ありがとうございます。 やっぱり 実際に問題が無ければ 使いやすければいいってことですかね?
- carvelo
- ベストアンサー率49% (49/99)
>幅の無いもの並べても線のような幅のあるものには、ならなくないですか? この問題はとても難しくて,僕のような工学を学んでる途中の人間にはとても説明できないのですが,大学レベルの集合論とかを勉強すると分かるかもしれません. 以下は,自分が本とかから得てきた,関係する知識の断片です…. 数直線の区間[0,1]を考えた場合,そこに含まれる有理数だけを取り出すと長さは0(幅は無い!)という結論が出てきます. 無理数を考えると区間[0,1]の数直線の長さはちゃんと1になるそうです. No5の方は有理数だけで議論してしまっていますが,有理数は実数の中では少数派なのです. (蛇足)--------------------------------------------- 自分は実は,なぜNo5の方の議論から,数直線を埋め尽くせないという結論に達するのか理解できていません….あれだけですと,いくらでも0に近い有理数があって,同じように数直線上のどの点に注目しても,いくらでもその点に近い有理数が存在する.だから,有理数で埋め尽くせる.という結論に達してもおかしくないかと思います. 実際,有理数は,数直線上にぎっしりと詰まっています(有理数の「稠密性」といいます).つまり,なんか2つの異なる有理数 a, b (a<b) を取ってくれば,必ずその間にある別の有理数 c (a<c<b) を作ることができます.だから,ある点に注目したとき,その点にいくらでも近い有理数を見つけることができます.じゃぁ,実際隙間なく埋めているのか,というとそうではないのですが,そこを議論するためには,「連続性」という概念が必要になってきます. ---------------------------------------------------- 無理数と言うやつは有理数よりもずっとぎっしり詰まっています. 言い方を変えると,無理数の方が有理数より大きな集合です. 無限個の要素がある集合の「大きさ」を比較するためには,普通,自然数と一個一個対応させていく,という作業をします. 要素に1番,2番,…と番号をつけていく,と言ってもいいです. これは,ひとクラスの生徒の数を数えるのに,生徒自体ではなく教室にある机の数を数えてみる,みたいな発想です. 大きさを知りたい集合の要素を生徒,自然数を机だと思ってください. すると,実は有理数と自然数はちゃんと一個一個の対応(一対一対応,といいます)をとることができてしまいます. 有理数の様に,自然数と一対一対応を作ることができる無限集合を可算集合といいます. では,無理数は,というと,もう想像がつくように対応がとれません. 無理数(生徒)に対して自然数(机)が少なすぎるわけです. ここら辺の議論はここに書くのは大変なので,例えば,「無理数の濃度」などのキーワードで検索してみてください. で,「上に書いてあるような話から,なんで実数の集合が長さを持つ,という結論が出てくるのか」という肝心なところには,力不足で答えられないのですが,参考になれば幸いです.
お礼
回答ありがとうございます。 数直線の区間[0,1]を考えた場合,そこに含まれる有理数だけを取り出すと長さは0(幅は無い!)という結論が出てきます。 とありますがこれは何の長さのことでしょうか?
村田全はこれを、アナログ思考とデジタル思考の対決、と言っているように見えますが、言い当て妙だと思います。#5さんの(2)や(3)の操作がデジタル思考で、結論の方がアナログ思考です。現在の数学では、どっちも正しいとみなされています。ところで(2)や(3)は、有理数を作っているのと同じです。つまり、線分に数値を当てて、数直線を考え始めたのが、こういう事の起こりです。 数直線を正式に定式化した人は座標平面を考え出したデカルトですが、デカルトは昔から漠然と考えられていた事を、整備された数体系に基づいて目に見えるように明確化しただけだ、とも言えます。どれくらい昔かというと、ギリシャ時代にまで遡れます。それくらい昔から、この手の疑問はありました。これは「アキレスと亀」や「ゼノンのパラドックス」と本質的に同じだ、というのが村田全の意見です。村田全は職業数学者(プロの数学者)ですが、ギリシャ時代の自然哲学と、技術的に整備された現代数学の関係を議論してくれる、数少ない人です。 以下、哲学的な話は余り期待しないで下さい。自分は工学屋なので・・・。 #5さんの議論は正当です。正当ですが、それでも数直線を点の集まりとみなしたいので(ここが根っこです)、点の数を数えだします。いま線分の長さを1として、#5さんの操作をどんどん続ければ、明らかに点は無限個あります。でも待って下さい。無限なんて誰も見た人はいないんですよ。これは無限は存在する、という仮定ではないですか?。しかし「だから、線は点の集まりではない」とはなりませんでした。どうしても「線は点の集まりと考えたい」からです。だとすれば、誰も見た事のない無限を仮定して良いとすれば、次の(1)は確実にしても、(2)と決めても良いのでは?、となります。という訳で、無限集合論も、この話には途中参戦します。 (1)0×有限=0(これは確実) (2)0×∞=1(可能だろうか?) もし(2)が許されるなら、デジタル/アナログどちらの方法も満足できて、一挙両得です。というかデジタル(数計算)とアナログ(幾何学)を融合した方法は、一般的に言って非常に強力です。その代表は、ベクトルなどです。座標平面を使った、考える事のない、計算幾何学を思えば、その価値はわかると思います。 だとすれば「無理をしてでも」、(2)を試す価値はあるわけです。ここで話は、ギリシャ以来の哲学論争から、 (3)無理を承知で線は点の集まりと考える。技術的にそれは可能か? という、技術研究に具体化されます。 可能の意味は、既存の数体系と幾何学に矛盾せずに、(2)を認められるか?という事です。「矛盾せずに」とは、計算結果が現実と合うか?、という事でもあります。もし可能なら、点の集まりが実在論的にどうであれ、正しい結果を導く一種の記号操作に過ぎないのだから、それでいいじゃないか、という訳です。 ところが(2)は、無限集合論を使っても、0×無限=0でなければならない事が、その後示されます。しかし同時に、(2)と同等な事を可能とする数学理論も開発されます(正面切っては言われませんが)。それがコーシー方式の実数論と、それを一般化した一般位相論で、#2さんの方向の延長上にあります。 大学の数学には、図が一つも出てこないのに、幾何学的証明と言われるものがあります。位相の証明は、その代表です。この時、頭の中では本当は、図をイメージしています。 位相論の中では、語弊を承知で言えば、幾何学的に(2)が許されますが、それは数体系(集合論)とは無関係になされるので、0×無限=0と矛盾しません。矛盾しないどころか、集合論の結果はバシバシ使われます。そういう意味では、アナログとデジタルの融合です。 要するに(実質的にですが)(2)を許すような技術的方法はあった、という事です。ひどい言い方ですが、使えるものが出来れば良い、というのが歴史的経緯になります。 だから悩むわけです。そりゃっ自分も悩みましたよ、もちろん!・・・^^。 最後に、ここでの趣旨は(3)です。
お礼
回答ありがとうございます。 つまり そっちの方が都合いいからってことですか?
- kenjoko
- ベストアンサー率20% (23/110)
以下、私なりの解釈ですので参考程度に。 >「直線は点の集まりである」と習いましたが、点に幅(厚み?)って無いですよね? 幅の無いもの並べても線のような幅のあるものには、ならなくないですか? 私もそう思う。この理由を数直線を用いて示そう。 添付図の(1)は数直線の一部である。 0と1の間には1/2なる点が存在する、さらに0と1/2の間には1/4なる点が存在する・・・(2) さらに0と1/4の間には1/8なる点が存在する・・・etc.・・・(3) したがって、数直線を点で埋め尽くすことはできない。 よって、「直線は点の集まりである」は偽である。 結論 「線とは、点が移動した軌跡である」 「直線とは点が移動した軌跡の中で最短のものを言う」 蛇足 中学の教科書では、「円(リング)とは一つの平面上で、ある点から等しい距離にある点の集合である」 と、定義しているが、 私は「円とは一つの平面上で、ある点から等しい距離にある点の軌跡である」と定義します。 一般にデジタル画像は「ドットという点の集合である」とされているが、「ドットは点ではなく面である」。 >ちなみにこのカテゴリはなんですか?国語、数学、哲学あたりで迷ったんですが・・・ これは完全に哲学の分野であるが、ここで聞くのがベスト。数学⊂哲学であるから。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに軌跡と考えると納得出来ますが定義を変えてもいいんですかね(汗) それと「線とは、点が移動した軌跡である」は分かりますが「直線とは点が移動した軌跡の中で最短のものを言う」は理解できません。 なぜ最短になるのでしょうか?
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お礼
3度も長文で回答してくださり、ありがとうございます。 やはり並べかたが関わってくるんですね。 確かにこれだけ理論を並べて出てくる答えに「使いやすければいい」はちょっと失礼ですね(汗) 多くの人に回答して頂きましたが、一番多くまた分かりやすく説明してくださったこの方をベストアンサーに選ばせて頂きます。 皆さんありがとうございました。