- ベストアンサー
数学は永遠の真理ではなく頭の良い人の面白パズル?
数学に関するエッセイを読んでたら、「数学は頭の良い人が面白パズルを作ってわいわい遊んで そのうちいくつかが現実の自然界の物理的現象にあてはまって、上手く説明できたら儲けもの」と いう趣旨の発言を見かけました。 これまで私は「数学は永遠の真理の神秘的な探究である」と素朴に思ってたので、 パズル的数学観には違和感を覚えました。 現在の数学界ではどちらの見方が主流なのでしょうか? 数学本体の質問とはちょっとズレるんですが、よろしくお願いします。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
>数学本体の質問とはちょっとズレるんですが、よろしくお願いします。 このような質問は哲学板とかにするよりも、ここの方が適切な気がしたので、自分なりに応えます。ただし自分は本職の数学者ではありません。数学を日常的に使ってはいますが。 >「数学は頭の良い人が面白パズルを作ってわいわい・・・ 現在の数学の方法論の特徴をついた比喩で、嘘ではないと思いますが、この側面ばかりが強調されるのは、一種の誤解だと思います。 >数学は、永遠の真理! 誤解ではないし、本当の事だと思いますが、やはりこの特徴だけが強調されるのは、自分としては嫌です。何故なら、永遠の真理は数学だけではないからです。物理理論も理論の適用範囲内なら、永遠の真理と言えるからです。適用限界を定める物理的仮定を前提として、数学的に演繹された結果が物理理論だからです。これが永遠の真理である事は、数学基礎論が不完全ながら保証してくれます。 ヒットするかわかりませんが、「公理的ごみ屑」で検索してみて下さい。上記は、無目的な数学へ誘導し、「公理的ごみ屑」に陥る考え、というのが自分の「偏見」です。物理理論を考えるとわかると思いますが、物理は非常に合目的的な理論です(動機が鮮明)。数学もそうだ、というのが個人的な感触です。 という訳で自分なりのエッセイ(プロパガンダ)を一つ。 ・数学理論にも、動機や目的はある。 ・なので、数学は一種の自然科学であり工学だ。 ・本来の自然科学や工学と違っているのは、扱う素材だけ。 ・研究行為としては変わらない。 どうか、本職の皆さんの怒りを買いませんように・・・(~~);。
その他の回答 (2)
- mojitto
- ベストアンサー率21% (945/4353)
まずエッセイという点から… エッセイを読むのは一般人です。 ですから難解な数式や専門用語はなるべく少なくします。 その代わりに例え話が多くなりますが、例え話が下手だとそれが陳腐に思われたり、誤解したりします。 またエッセイは売るために書きます。 ですから筆者はどこかに現行体制に対して批判的になることが多いです。 そうしないと、(エッセイを買う)読者にウケないからです。 ですからエッセイをそのまま鵜呑みにはできません。 しかし質問者さまの考えにもおかしな点と、間違いがあります。 おかしな点としては… “永遠(の真理)って何?”ですね。 言葉にするとあまりに簡単ですが、いったいそれって何でしょう? もし内容を記述することに成功したとして、何人の数学者が同意するでしょう? まぁ真理の探求法として、“頭の良い人が面白パズルを作ってわいわい遊んで”も含まれてもいいと思いますしね。 次に間違いです。 それは確かに「知的探究心」が発端になることもあるでしょうが、“箱にどうやってミカンを詰めたら効率的か”など「実益」から発展することもありますし、他の分野での必要性として「ツール」として産み出されることもあります。 しかしこれらすべて、数学の本質であると思います。 質問者さまは数学に崇高さを押し付けています。 どちらが主流かは本職の方に委ねたいとは思いますが、数学に限らず多くの基幹学問が“実用性”を超えるレベルになって、それらをブレンドした枝葉の学問が実用性を探求しています。 つまり「実用性は二の次」という点では、質問者さまもエッセイも言っていることは同じだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 数学には用具的な部分もありますね。特に数値解析や統計学はそんな雰囲気が濃いですね。 >質問者さまは数学に崇高さを押し付けています。 これはごもっともです。ご指摘ありがとうございます。 あまり崇高さにとらわれず、数学を楽しみたいと思います。
- Knotopolog
- ベストアンサー率50% (564/1107)
エッセイなら,好き勝手なことが自由に書けます.良くも悪くも・・・. 数学は,エッセイで書き終えられるほど,軽いものではありません. 「数学は永遠の真理」とでも言うべきものでしょうね!! エッセイなどに,惑わされないで下さい.
お礼
エッセイは息抜き用に楽しんでいます。 いろいろな考えが垣間見られて面白いですよ (^^)
お礼
「公理的ごみ屑」に似た、abstract nonsense(抽象的ナンセンス)というのは 耳にはさんだことがあります。 真理といって、公理化を推し進めすぎるのも良くないぽいですね。 回答ありがとうございます。