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故郷を捨てる(去る)
- 東北大震災で多くの方が長く思いの深い地を離れます。辛さを感じることばかりです。
- 江戸初期からおられ、多くの分家のある方が引っ越しをする事例について教えてください。
- 無血開城となった江戸城に住んでいた人々の引っ越しに関する話や、時代の変化によって故郷やお城を明け渡すことになった人々の気持ちについて教えてください。
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こんにちは。 bungetsuです。 1. 私の近所でも江戸初期からおられ、多くの分家のある方がお引越しになります。 そんな事例や当事者さまのお気持ちなどはどうなのでしょう。片鱗でもお話下さい。 江戸時代初期からお住まいですと、もう400年近くなりますね。 やはり、自分や家族が育ち根を降ろしていた先祖伝来の場所ですから、故郷をなくすることには悲しい、寂しい気持ちがあったのではないでしょうか。 しかし、移り住んだ場所も、その方々にとっては第二の故郷になるわけですから、その場所で新しい人生を切り開いて行っていただきたいものと考えます。 私も、佐渡の生まれで高校までは地元で過ごしました。大学から東京に出てきて、その後現在の地に35年余り住むようになりました。もう、佐渡での生活より、今の場所が長くなりました。 でも、お盆になると帰省をし、先祖の墓参りなどをしますが、やはり忘れがたい故郷です。 息子は、今の地で生まれ育ちましたので、息子にとっては今の地が故郷になるのでしょうね。 2. 江戸城は無血開城となりました、旗本・御家人は別にお邸があったでしょう。 江戸城(舞鶴城ですか)に住い、そこを引き払う方のお話は残っていないでしょうか? 明治に改元してからは、旗本、御家人は今まで官舎住まいでしたから、原則的には明治政府に官舎の明け渡しをしなければなりませんでした。 しかし、これを実施してしまうと何十万人もの宿なしがでますので、特に明け渡しは要求しませんでした。 つまり、そのまま住むことを許したのです。 大奥からの退出者は、天障院篤姫の例をとりますと、城中では何百枚という着物がありましたが、気に入った着物数十枚を持ち出しただけで、多くは舞鶴城に残したまま一橋家へと向かいました。 多くのお女中たちもそうであったと考えます。 3. 江戸時代、そして明治と時代の移り変わりで故郷やお城を明け渡すことになった方々のお気持ちなどについて、ご存じでしたらお話ください。 お城に女中奉公にあがる・・・と、言うことは、地位が上になればなるほど城で生涯を過ごすことが求められ、本人たちもそのつもりだったはずです。やはり後ろ髪を引かれる思いで立ち退いたのでしょうね。 ちなみに、天障院には60人あまりの女中が一緒に一橋邸へ移りましたが、天障院は、自らの着物を切り売りして、そのお女中たちの再就職や結婚に奔走し、亡くなられた時には3円(6万円位)しか持っていなかったと言われています。
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- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 bungetsuです。 >>先日はたいへん無様なことになり失礼しました。 いえいえ、こちらこそありがとうございました。 >>私は浅草生まれ・育ち。 そうでしたね。あなたさまは浅草が故郷でしたよね。 私も、湯島の大学病院へ勤務していた頃、浅草寺の「あさがお市」や「ほおずき市」に友人と良く行きました。 とは言え、あさがおやほおずきは買わず、もっぱら飲み会でした。(笑) 数ヶ月前、用事で湯島方面へ車で行きましたが、浅草も変わったとは思いますが、湯島も大きく様変わりをしてしまっていました。 あの頃は、若かった、何をしても楽しかったように思い出されます。
お礼
度々お相手下さり有り難う御座いました。 順天堂病院などありますね。
お礼
文月さんおはよう御座います。先日はたいへん無様なことになり失礼しました。 天障院、旗本・御家人たちのこと、有り難う御座いました。いずれにしろ辛いことですね。 私は浅草生まれ・育ち。そして隅田川と荒川の間が高校や浪々時代。その地域の変容も近年激しいものです。 20に原宿の大学に就職し移転する時は、ハード部門の建設主幹をし、学生課長で新キャンパスに移転したのに暫く通勤しませんでした。 原宿通勤でした。悲しいという思いを持っていた自覚はなく、応対をしなくちゃとか、なんとか用事をみつけていました。 その江戸初期からの旧家も小学校から高校まで一緒だった友達がいましたが、跡取りの兄さんがなくなり、嫁さん一人。数日前までがらんどうの何もないところで犬と一緒にいました。 なんとかかんとか用事があったようですが、もう一昨日から取り壊しになり、さすがにもうお出でにはならないようです。 かの浅野家の大石城代さん以下も、後になっても、浮かび上がるものがあったでしょうね。 私も思い出すのは旧キャンパスの光景ばかりです。 有り難う御座いました。