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自己防衛本能とは?DNAに組み込まれた生命維持の本能
- 自己防衛本能は生命維持のためにDNAに組み込まれたと心理学の本に書かれていますが、犬の行動や赤ん坊の反応などを通じて疑問が生じました。
- 犬は叩かれた経験がないため怯えませんが、叩かれた犬は叩こうとすると首を竦めるという状況から、自己防衛本能は経験からの教訓と考えられます。
- 赤ん坊が生まれた瞬間に泣くことから、自己防衛本能があるのかと疑問が生じます。赤ん坊の泣き声は助けを求めるサインとも言えるので、これが自己防衛本能の一環と考えられます。
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こんにちは。 DNAに組み込まれているものを「本能行動」と言います。 「自己防衛本能」といいますのは苦痛や危険に対して回避行動を選択する「無条件反応」のことです。ですから、これが本能行動であるためには、何が危険であるかの「反応基準」がDNAにプログラムされていなければなりません。ですが、本能行動によって回避できるのは「身体的な苦痛」や「精神的な不快」など生命維持に必要な最も基本的なものだけであり、生後環境におけるあらゆる危険が予め全てプログラムされているというわけではありません。ですから、それ以外の危険を避けるためには様々な判定の基準を生後体験によって学習しなければならないわけです。 叩かれた犬が苦痛を感じて回避行動を選択するのは防衛本能です。ですが、叩かれた体験に基づいてそれを危険と判断するのは本能行動ではなく、この部分は「学習行動」です。 多くの動物の中には外敵の鳴き声や姿に対し硬直したり攻撃したりするもがいます。このようなものは遺伝的にプログラムされた「無条件反応」です。このため実際に苦痛が与えられる前に危険を察知することが可能なのですが、ひと一度これが発動しますと、逆にそこでは定められた反応以外の行動を選択することができなくなります。果たしてこの「無条件反応」が、それがDNAに組み込まれている証拠であり、そしてこの場合、全ての個体が例外なく同じ行動を執ります。 何処までが本能行動で何処からが学習行動であるかを選別するのは中々難しいことですが、一般的には以下のようなものがほとんどの動物に共通する嫌悪刺激と考えられます。 「苦痛:身体的な侵害刺激」 「不快:空腹、枯渇、疲労、束縛」 「大きな音」 「眩しい光」 生後環境において動物が本能的に危険と判定できるのは主に「一定の閾値を超えた強い刺激入力」であり、ここにもうひとつ「突然の変化」といったものが加わります。このように、遺伝的に定められた基準に従って判定できるものを「信号刺激」といい、この信号刺激に対し「無条件(学習無し)で発生する一連の反応」を本能行動と言います。 生後二歳ぐらいまでの赤ちゃんは「感覚的運動知能期」といい、物を口に入れるのは食べるためではなく、それが何であるかを探るための「無作為行動」です。もちろん、何のためにやっているのかは本人も分っていません。ですが、これにより赤ちゃんは、やがてそれが何であり、何を意味するのかを自分で探り当てます。 それが食べられないとか不潔であるといったことはずっと後で学習することです。美味い不味いも分っていません。赤ちゃんに判定できるのは「苦い(毒物)」、あるいは辛味や酸味といった「強過ぎる刺激」だけです。そして、やがて乳離れして色々なものを食べるようになりますと様々な味を覚えます。食べ物の好き嫌いに個人差があるのは、それが生後学習の結果であるからです。 赤ちゃんの産声は、これは肺呼吸を始めるときの運動ですよね。ではそれ以降、赤ちゃんが泣くというのは上記で述べましたような苦痛や不快に対する「無条件反応」ということになります。とは言いましても、これでは単なる無作為反応であり、実際にはそれで危険が回避できるわけではありません。ところが、赤ちゃんが泣きますと親がおっぱいを上げたりオムツを換えてくれたりします。赤ちゃんはこれによって報酬を学習し、泣くことによって親の支援が得られることを覚えます。 子供が泣くというのは現実には回避行動ではありません。ですが、人間の社会では結果的にはそれが自己防衛となります。困ったときに泣くのは助けてもらうためです。ですが、やがて自分で解決しなければならない問題も出てきます。サルのお母さんは子供が泣かされて帰って来ても無視して助けてあげないそうです。厳しいですね。我々は成長すると段々に泣かなくなります。これは、泣いても誰も助けてくれないからです。 お父さんに叩かれそうになりますと子供は逃げます、あるいは言い訳や嘘を吐きます。果たして、これは本能的な回避行動であり、また人情です。ですが、例え人間でも、やはり叩かれたら痛いという体験がなければそれが危険であると学習することはできないわけです。
お礼
とても勉強になりました。ありがとうございました。