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私の実体
肉体(生命体)の組織力には驚くばかりですが、 その肉体の中をどれほど探したとしても深遠なる心らしきものは見つからないと思われるところ。 いったい私という実体はどこにあるのでしょうか。 実体の場所など、どこでも良いにしても、どうして私はいつでもこの肉体とともにあるのでしょうか。
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人は、「見えている空間的広がり」を“外”だと感じ、そこに射影された 自己(感受表面)の内部を“内”だと感じる。 しかし、その見えている世界とは、「自己」の脳内の現象に過ぎない。 あるいは、その「空間的広がり(外的存在)」とは、感受表面における 五感の相関した刺激の蓄積において、光や音といった先行感覚の 刺激パターンに対して触覚や味覚といった生理的感覚が励起される 事によって生じるものに過ぎない。 全ての存在は量子的な不確定性(確率波動)に基づいており、 無限に詰め込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなる。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、潜在的 認識可能性の仮定断面の運動(プランク定数hの収束の時系列化= 物体収縮=宇宙膨張)を想定すれば相対的に無の風は光になり、 認識体はその光の向うに、自我仮説の補完としての時空仮説= 宇宙を認識するのだ。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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ヒンドゥ哲理のある本を読んでいます。*Self-Realization Fellowship発行、パラマハンサ・ヨガナンダ著、The Bhagavad Gita(上下2巻)その下巻0752p. に以下のPublisher’s Noteがありました。なお余計でしょうが、この後の投稿にご参考までにかいつまんで下手な理解を箇条書きで付加します。"Today modern science is venturing into realms that for more than four millennia have been the fieldoms of religion and philosophy" wrote Professor Amit Goswami, Ph. D., in The Self-Aware Universe: (Los Angeles: Tarcher, 1993), How Consciousness Creates the Material World. "Until the present interpretation of the new physics, the word transcendence was seldom mentioned in the vocabulary of physics. The term was even considered heretical. " However, he states, a 1982 experiment by a team of physicists in France has confirmed the idea of transcendence in quantumphysics. The experiment, conducted by Alain Aspect and collaborators, proved that two quantum particles emitted from the same source remain inextricably correlated: When a change is made to one particle, instantaneously the other particle is affected similarly—even when separated by vast distances. Says Goswami: "When there is no signal in space-time to mediate their connection.., where, then, exists the instantaneous connection between correlated quantum objects that is responsible for their signalless action at a distance? The succinct answer is: in the transcendent domain of reality. "The technical name for signalless, instantaneous action at a distance is nonlocality . . . According to physicist Henry Stapp, the message of quantum nonlocality is that 'the fundamental process of Nature lies outside space-time but generates events that can be located in space-time."
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 ★ いったい私という実体はどこにあるのでしょうか。 ☆ それは いまそのように述べているあなたの《わたし》にあります。 ★ 実体の場所など、どこでも良いにしても、どうして私はいつでもこの肉体とともにあるのでしょうか。 ☆ 《実体の場所など、どこでも良いにしても》と見なしたように 《どうして私はいつでもこの肉体とともにあるのか》など どうでも良いにしても と見なしてください。 あなたがあなたの《わたし》を《わたししている》ならば 無条件によいでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございました。 僕は何の得にもならないようなことを思考するのが趣味なので
- 柊 うろん(@uronly)
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【肉体=パソコン】としたとき【精神=プログラム】 的な関係なのかな~と、思いつきで仮定してみた 誰かに意見を保存される→自己の拡散なのカモ
お礼
ご回答ありがとうございました。 >【肉体=パソコン】としたとき【精神=プログラム】 僕がこの問題を思考する時も、ここから出発点になるのですが そのあとが続きません。
- ふじ-さん おたま-さん(@OtamaFJWR)
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意識(心)というものは「神経ネットワーク」があれば、何でも意識が宿ります。 たとえ、機械であっても意識は存在可能。 あなたの身体の細胞群は自律性を犠牲にして他律的反射により動いています。 脳からの信号で動くでしょ? 脳が「神経ネットワーク」の1つの形式です。 異星人の中には、個体の自律性を犠牲にして、種族全体で意識(心)を持つ ものがおります。自然界では、アリ、ハチ、が有名ですよね?中央集権的遺伝子により、 女王バチを中心とした種族が「意識1個」を持っているんです。 と同時に「宇宙1個」を持ちます。 意識=認識があれば、宇宙を顕在化させられるのです。 宇宙は最初からあるものではなく、認識体との相補分化により発生します。
お礼
ご回答ありがとうございました。 覚悟はしていましたが 難解な回答にコメントをすぐ付けるのは無理なので とりあえず御礼申し上げます。
- hanniyagi
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あなたの心、なる実体は在りません。 在る、とは、方向性がある、こと。という言葉はカントとサルトル、の書で見た記憶がありますが。 在るとは、何かが起こること、であり。何かが起こる、とは。実体のあるものに、差異、変化、が起こる。ということなのです。そのためには、変化を起こすもの、変化を起こす能力方向性、がなければ、ならない。能力、方向性、というものには、実体、がない。 考えられる事は、すべてを起こす能力とて、創造主、神、あるいは、変化を起こす、実体のない、 能力だけの幽霊、霊魂、が存在し、それが、実体のあるもの、を支配しているのか。 それとも、実体あるもの、と実体のない能力、は常に一体となって、一つの存在単位、となっているのか。 中間的な考え方といえるのが、エネルギーという概念になります。 エネルギーとは何か、を本当に自分で考えたことがおありでしょうか。 マスコミなどで、エネルギー問題、などと言っているのは、石油などの、燃料の確保、の問題、であり。エネルギー不足、省エネ、などと言うときは、電力不足、節電、の問題、なのです。 物理学が、力、も熱もエントロピーも電力も物質もエネルギーである。というなら。エネルギーという言葉は、それらの、変化を起こす能力、の総称にすぎません。 エネルギーという概念は、実体のない能力だけの、幽霊。 「神がいなかったとしても、の物理学が陥った、神、の概念」ではないでしょうか。 それ故に何にでも一応の説明がつき、実体のない能力だけの、死期の霊魂の存在も不定出来ないので、考えもなしに受け入れられ易い。易占いや、カルト宗教までもが、エネルギー、パワー、オーラ、などと言っているようです。 そうではなく、実体あるもの、と実体のない能力、は一体である。 一体である、ということを「×」という記号で現すと、 実体あるもの×実体のない能力=一つのもの というのが。東洋哲学、釈迦や老子の、基本的考え方、なのです。 あなたの(肉体×心)=あなた という在り方 であり。 肉体だけのあなた、は存在、生きていること、にはならないし。 肉体(脳)がなければ、あなたの心は存在しない。と云う事です。 心とは、縁によりて、今、想起している、だけ。であり、今想起している心を縁として、次の心が想起してゆく。実体がある訳ではありません。 ついでに云えば、哲学とは、釈迦や老子がそうであるように。知恵×心=1(一定)と捉え。 心を小さくするなら、知恵が大きくなる。心が想起している時は、知恵は眠っている。知恵が想起している時、心は消滅している。ということを基本認識とするものではないでしょうか。 心がない、心を滅している、釈迦や老子が、最も安心感を与える人格となっているのです。 自分の心、という執着を離れる、ことをしてみてはどうでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございました。 覚悟はしていましたが、 難解な回答にコメントをすぐつけるのは無理なので とりあえずはお礼申し上げます。
- ukiyotonbo
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あなたという実体が常にその肉体とともにあるのは、回答者である私から見た場合です。 私は、私から見ていつでも肉体とともにあるとは感じていませんが、私にとって私ほど確実に実体のあるものは他にありません。私は私にとって自分の肉体以上に存在しています。 しかし、その私は、実体のない幻想です。なぜなら、私なんてどこにも無いのですから。
お礼
ご回答ありがとうございました。 >あなたという実体が常にその肉体とともにあるのは、回答者である私から見た場合です。 同感です。 >私は、私から見ていつでも肉体とともにあるとは感じていませんが 同感できずです。
- Y Y(@yy8yy8az)
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この質問文に刺激を受け、イメージしてみました。 もしかしたら「私」には、肉体のように個としての実体と云えるような形では存在しないのかもしれません。 イメージとして例えてみれば、水を熱して沸騰させれば、水蒸気が発生します。 「私」もこのように、肉体に備わった脳を通して発生するものであると。 「私」と云うものが“在る”わけではないと、受け止めてみるのです。 でも、それじゃあ霊魂てなんなの?と疑問が出てしまいます。 そこで、思いつくのは“在る”と云うのは物質と精神の合体による。という考えです。 あえて言ってみれば肉体は精神の塊。 この精神の塊はこの肉体を保持している。 肉体から離れるという事は、肉体の消滅を招く。 言い換えて、肉体の精神の粋を凝縮したのが魂。 その魂は肉体の成長と共に「私」を形成してゆく。 だから「私」はこの肉体の脳から生み出されるもので、実体と云えるような存在にはならない。 「私」は霧のようなものだけど、“魂”イコール肉体。 「私」はこの肉体から発生する“霧”・・・・・
お礼
ご回答ありがとうございました。 この質問文に刺激を受けていただいただけでも質問してよかったと思っています。 実は質問した後、自分自身でも自問自答を繰り返しながら楽しんでいるのです。 ただ、自分の限界は超えられないままですが。
>私という実体はどこにあるのでしょうか。 貴方自身(そして貴方以外ではないこと)を証明する生きた遺伝子と、これまで貴方が生きてきた自分史の記憶のすべてが残っている(多分)大脳の中の記憶の総体を言うのではないでしょうか。 貴方が死ねば、二つともこの世からなくなります。 >どうして私はいつでもこの肉体とともにあるのでしょうか 上記の貴方の遺伝子の生きたかたまりと記憶が貴方の肉体に(いつも)付属しているからではないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございました。 生きた遺伝子と大脳の中の記憶の総体ですか。 ごめんなさい。 これでは納得できないのです。 もっとエキサイティングな回答を期待していましたので。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 前段は寒気がするほどエキサイティングです。 後段はこの世のものとは思えない呪文みたいですが。 さしずめ私という実体は感受表面の化学反応ということになってしまったようですねw またの機会にご教授いただければ幸いです。