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日本語は消化されるべきか?
失礼! ここで筆者が言うのは外国語を日本語に翻訳されてから教えてやるべきか、 どうかという意味です!(説明すると寿司→sushi)などのように、(分かりにくい人は文脈でそのうち) 例えば明治期には欧米各国の言葉が日本語に翻訳されて民族、社会、革命、広場、主義 入口、闘争などの言葉が日本なりに漢字を交え翻訳されていったと聞きます! しかし、今はサボる(サボタージュ)グロい(グロテスク)、IT(情報技術)などその他様々に外国語をそのまま受け入れている感じがします!(前二つは消化されているようないないような) 果たして日本語はこれからも外国の言葉をそのまま自分たちの社会に取り込むべきなのか、 それとも外国語を翻訳すべきなのでしょうか? ご意見お願いします!
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- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
なるべく翻訳すべきだと思います。 100%は無理でしょうが。 中国などはそういう傾向があるようです。 その為、翻訳はユニークなモノが多いです。 例えば、バイアグラは、日本ではそのままですが、 中国では「偉大なる兄貴」と翻訳しています。 パソコンは、電脳ですね。 こういう点は見習っても良いのではないでしょうか。 カラオケはカラオケですが。 日本人は楽をし過ぎているように思います。 もう少し、翻訳の苦労とか努力をしないと 日本語が進歩しないのではないでしょうか。 文化、文明、民族、思想、法律、経済、資本、階級、分配、宗教、 哲学、理性、感性、意識、主観、客観、科学、物理、化学、分子、 原子、質量、固体、時間、空間、理論、文学、美術、喜劇、悲劇、 社会主義、共産主義・・・・・ これらは皆、日本人が翻訳したもので、中国でも使っています。 使っているどころではありません。 これらが無いと、もはや現代文が書けないぐらいに なっています。 韓国がハングルに統一して漢字を廃止したのは、日本人が造った 漢字を使うのを嫌った為だ、という説があるぐらいです。 安易にカタカナで表現してしまうのは、日本人の知的レベル を下げるのではないでしょうか。
- emiri-w
- ベストアンサー率16% (5/31)
今は外国語をそのまま受け入れてもいいと思いますが、 将来気付いたときには、カタカナとローマ字だらけになっていそうで怖いです。 IT社会では企業がグローバル化して、GDPでは…… まあ、これくらいなら私でも分かりますけど、ITやGDPっていう言葉を知らない人や、グローバルの意味がイマイチ分からない人には?な文章になりますよね。 だから、徐々に日本語に翻訳したり、漢字に直して行った方がいいと思います。
- codex_regius
- ベストアンサー率52% (55/104)
明治期における日本語への翻訳は、言葉だけの輸入ではなく、概念や思想も同時に輸入されたのだと思います。それゆえに置き換えるべき日本語も適切なものがなかった事情もあったんじゃないでしょうか。 それに対して、サボるなどの外国語の日本語化は概念自体は既にあるものですよね。怠けるでもいいところをサボるという時代性を孕んだ言葉を取り入れることで、怠けると置き換えるだけでは伝わらない部分を補完しているのだと思います。その時代性は意味というよりも語感や響きだろうと思います。 例えば、「さようなら」と「バイバイ」は意味や概念としては同等のものですが、微妙な差異で使い分けられていますよね。バイバイを使う時はプライベートな関係性であることが条件となる。日本人はこうした微妙な差異に敏感で、それを切り分けるために貪欲に外国語を日本語に取り込んできた民族だといえるだろうと思います。 そう考える時、概念自体の輸入の際には日本語への置き換えによって概念理解から始める必要があるでしょうが、ある程度、概念が浸透してしまえば、外国語は微妙な差異を伝えるために、そのまま流用されるといっていいんじゃないでしょうか。 リストラという言葉を再構築という意味で使う日本人はあまりいないと思います。 ほとんどの場合、会社をクビになる意味で使いますよね。クビと言えばいいのにリストラされると言う場合、再構築の一環としての解雇という意味と、クビという直接的な表現を避けたい意識とがそこにはあると考えていいんじゃないでしょうか。 微妙な差異を表現し分けるために、おそらく日本語はこれからも貪欲に外国語を取り入れていくだろうと思いますし、そこに差異が見いだせなくなったら、おそらくその言葉は淘汰される。つまり、死語と化すわけですね。 今時アベックという人はいないし、スパッツもレギンスに取って代わられています。時代性と清新さ、響きの新鮮さが失われた時、死語となる外国語は少なくないです。 自然淘汰の機能が日本語にあるのなら、自然のままに取り込んでも問題ないだろうと思います。 勿論、翻訳するのも自由ですが、その翻訳が微妙な差異を表現し得ていない場合、使われることはないでしょう。 アイデンティティという言葉が外国語のまま流通しているのに対して、その翻訳語にあたる自己同一性という言葉はあまり使われませんよね。 翻訳しても使われずに外国語の方が使われるケースもあるわけですから、翻訳すべきとは言えないかもしれません。
>IT(情報技術) これは両方使われているようです。IT の場合のinformation,スパイの世界のintelligence,report などもこれでいくことがあります。 以前は外国映画の題名も日本語に書き換えて上映するということが殆どでしたが、今はストレートにカタカナで通用させていることが多いですね。もちろんそればかりでもないようですが、ある意味残念だと思うこともあります。 外国語を漢字に置き換えて意味を符合させる、それをうまく社会に通用させる、このあたりを『消化」と仰っておられるのでしょうが、明治の初期には大いに意味のあったことが、今の時代には意味を成さないということもあると思います。現実としてこのグローバル化された現代にそういったことが実際可能なのかどうかということがありますし、それ以上にそれが今からの日本に必要なのか、メリットは?ということを考えると、私は否定的です。 大きな理由として、日本の言語を国際社会でガラパゴス化させず、むしろ外国人に気軽に使ってもらうという意味でも便利にしていく必要があり、それには外国の言葉をそのまま通用させていくのは有効だと考えられるからです。そういうことが簡単に出来るという意味合いから、日本の言語、特にカナを含む文字は非常に良く出来ていると思います。 確かに言語はその国固有の文化で、その純粋さを出来るだけ守っていく必要があると思います。しかし、もう一方では言語はきわめて有用で基本的で重要な社会の情報ツールでもあります。これを出来る限り混乱させることなく社会に流通させていかねばならないわけです。 あまりに従来の単語を違った意味で用いる、文法が乱れるというようなことは規制しなければならないと思いますが、単語の流通レベルにおいては下手に人為的にいじるのではなく、社会の赴くままにさせていくほうが(この場合は)いいのではないか、と思います。 外国語(の単語)自身も日本でいろいろ用いられていくうちに、日本独自の意味を含むようになって、ある意味日本語の一部になって、日本語を豊かにさせていっているのが現状だと思います。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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こなし、或いは新規に言語を作るのも定着するのに一定のプロセスが必要ですね。 私もヒンドゥや英語の宗教や哲学の本を読書していますが、その著者自体が内容としている意味内容はその著者自体のものですから、そして読む側の私の存在の中での受け取りですから、言い換えることが難しいですね。 だからといって、そのタームをそのまま何時までも使っているのも自己の理解の本当化に支障がありますからね。 そうかといって、自分で新語を造出しても人には説明が必要だし、自分だって社会的存在として意識形成が為されているので、そういう中で(社会的意識全体で)余りに独特なのは自分でも困るもですね。 つまり不便です。 外界に単純に対応する物的存在であれば、どんな表現でもいいのですが、概念とか観念或いは、カテゴリみたいなものは、やはりある程度自分の中でこなしながら、対応の言語表現を選んだり、造出することにしています。 どちらも、著者の民族性や心性との問題があり、適切性に不十分です。 読書や訳出って、結局新たな著述になるのかなぁと、失望的になっています。 単なる悩みで、回答になりませんが。
- pluto1991
- ベストアンサー率30% (2017/6677)
日本人は4つの言語を同時に使っています。 古来本当はひとつだけだったんですよね。でも文字を持っていなかったために漢字を受け入れた。 それが複雑さの始まりです。 今更しょうがないですが、それを3つに減らすのはできないと考えるしかないでしょう。 4つとは ・日本語(ひらがな=よみ)くうちょう ・中国語(漢字=意味)空調 ・外来語(カタカナ=よみ)エアコン ・英語(ローマ字=英語)Air conditioner ですね。 マイクロソフトのWindows7を購入して私のノートパソコンThinkPadにインストールしました。 外来語は文化の中で浸透していくものですが、日本にはカタカナという、いわゆる発音記号的な文字があるので中国語に比べて浸透させやすいという面があるのではないでしょうか。 (なので、覚えるのが猛烈に困難な言語ですよね。) 中国の日本語学科の学生が「日」というたった一文字に一体何通りの読み方があれば気が済むんだ! と怒るのもうなずけます。
- love_pet2
- ベストアンサー率21% (176/826)
日本語は消化されるべきか? 反対です。。。 以上。。。 もっと楽しい質問を考えて下さい。。。
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
フランスが似たようなことを考えて、実行したことがあります。 結果は、フランス語学者が集まって英語などから来る新しい外来語を翻訳する前に、英語そのままで一般に流通してしまうため、フランス語化してもほとんど役に立たない、ということになっているようです。 確かにここ数年でも新しい言葉、特にIT用語はどんどん増えていくばかりで、発信する言語(主に英語)以外の国では自国語に取り入れるのがとても大変なようです。 その点、日本は明治期は一応翻訳(質問者様のいう消化)されたものの、江戸時代よりも前の時代だと中国語をそのまま取り入れている事例もたくさんありますし、江戸期の外来語(カルタ:歌留多、コンペイトウ:金平糖)など一見日本語のような体裁をとりながら外来語の音をそのまま利用しているものも古くからあるわけです。 日本語の創世期において、外国語・外来語の受容はとても重要なことであり、文法構造を変えないようにしながら外来語を取り込むという能力については、他の言語よりも日本語は得意なのではないか、と思うことも多々あります。 特に日本語の特徴である「膠着語」は、外来語であってもそのまま表記して後ろ(または前)に付属辞をいれれば日本語として文中に取り込めるわけですから、こんなに便利な文法体型もなかなか無いと思います。 逆にドイツ語やフランス語など男性詞・女性詞などの区分けがあったり、単数形・複数形などの区別がある場合には、言葉をそのまま受容するにしても、最低限の決め事が必要になってしまいます。 (最近、トヨタのプリウスの車種が増えたため、英語の複数形を決めるキャンペーンをやっていました。結果プリアイ:Priiと決まったようです) 日本語にはこのようなめんどくさいルールは一切ありません。せいぜい受容当初「コンピューター」と表記していたものが最近は「コンピュータ」と表記されるようになったぐらいでしょう。 アカデミックな世界や報道などの正確さを必要とする所では、もう少し厳密なのかもしれませんが、それにしても日本語の外来語の受容力はずば抜けていると思います。 ということで、新しい言葉がどんどん出てきて翻訳するのはむりだから、そのまま取り込むに1票です。ただし、お役所が市民を煙に巻きたいときに使う、へんな外来語などは日本語におなじ概念がある限り日本語に翻訳するのがいいと思います。
- cxe28284
- ベストアンサー率21% (932/4336)
そこまで日本語に忠誠を尽くす言語学の専門家がいるでしょうか。 もしいたとしても日本語として認知され流布するでしょうか。 このページの右に並んでいた言葉だけでも、結構あります。 ライフ デジタルライフ エンターテイメント ビジネスキャリア マネー レジャー コンピューター アンケート コミュニティ とありこれらを日本語に変換して覚えなおすのは無理だと思います。 secondo languageとして英語を覚えるしかない未来が来ると思います。
- kensan39
- ベストアンサー率13% (227/1648)
これからも取り入れるでしょうね、これは日本語の特徴です。 もともと話し言葉ですから中国から漢字を取り入れヨーロッパから ローマ字を取り入れ文字だけでも多数あります。 このような複雑な文字を持つ国は大変少ないです。 話すだけでしたら、外国人も簡単に出来ますが読み書きは 大変難しいです。逆に日本人は外国語が話せない人が多いです。 私はこれからもどんどん外国語を日本語に取り込み続けるでしょう。 そしてそれが外国人には大変解りにくい日本語になります。 日本語が変化する言葉なのです。 この変化は日本人にはよく分かります。 日本語は、それ自体が暗号なのです。 これは日本語の大変な特徴です。 二人だけの言葉もあるのですから数人もおればもう無数にあります。
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