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「尊敬」と"respect"
助動詞「れる・られる」には「尊敬」の意味もが含まれていますが、 古代日本社会では西洋近代的な自我同一性が普及していなかった訳ですので、 "respect"の語を翻訳する為に当て嵌められた「尊敬」の語には、 違う意味での利用への適格化が無意識の裡に期待されている筈ですから、 質問をさせて下さい。 『「れる・られる」の「尊敬」と"respect"との相違に気付かなかった理由は何なのでしょうか?』 此の問題は深い価値をも孕んでいる筈ですから、 辞書からの単なる転記ではなく、思想的な背景への言及を御願い致します。
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お礼
http://okwave.jp/qa/q6600864.html こういうページもが御座いました。
補足
素早く回答を下さいまして、誠に嬉しく思います。 前回の返事の際に、一部の表現を盛り込ませて頂くのを忘れておりましたので、重要な部分になっておりますから、追加をさせて下さい。 『「時制の一致」の管理者の尊厳への表敬』に拘りたがる民族の文化圏では、作者の主張の独自的な「秩序」を自分の作品で訴え過ぎていますので、その「透視遠近図法」的自然観のせいで、 「連歌」の様に『「諸行無常」の「混沌」』を受け入れる、という発想が、其処(近代の西洋)では誕生し難いですよね。 確かに相手の尊厳を称える為に精神的な距離を設ける発想の御蔭で、 共通の認識客体へ距離を設けられる様になり、 結果的に『再現性が高い情報の「帰納」』が叶ったのでしょうから、 "respect"の威力は素晴らしい、と私にも思われます。 でも違う伝統文化の領域で流通してきた概念を 「西洋近代」的な手段で分析しますと、 「不完全性定理」の指摘の通りのパラドックスに陥るのでしょうから、 其の展開からの「解脱(?)」の為には、 「天神合一」の視点からの見直しが必要になるだろう、 と考えまして、此の質問を纏めさせて頂いております。