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日本人の個性の欠如について
- 養老猛司氏の『死の壁』によれば、日本人の個性の欠如は「西洋近代的自我」という考え方の影響によるものだと言われています。
- 「西洋近代的自我」とは、情報化された自己像を指し、明治時代以来の日本のインテリたちはこれを自己の一部として受け入れてきました。
- しかし、個性は本来身体に備わっているものであり、それが意識にあるものだという勘違いが蔓延しているため、「日本人は個性がない」「没個性だ」という見方が広まったのです。
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個性、個、個人、というのは、生物学的・医学的に先天的に決まっているもので、後天的に獲得していくものはない、それを日本のインテリは主体的に形成されるべき近代的自我と混同しているのだ、と養老猛司氏はいっています。 一般的に、個性とはラテン語のpesona(仮面)を原義とする西洋語(英語でいえばpersonality)の翻訳語です。人間個々の環境への適応方法を規定する心理的・生理的なシステムのことをさします。先天的なもの、もしくは幼児期までに取得されて固定的なものをいうようです。 一方、自我とは、ラテン語のegoを訳したもので、英語文脈では"the ego"と書かれていることが多くあるようです。端的にいえば、他人と区別される意識行動の主体となるものです。この一つの考え方としてデカルトの「われ思うゆえにわれあり」が有名です。「われ思う」というのは主体が自分の意思にあるわけですから、生理的に規定されているものではありません。 つまり、「自分はラップ音楽が好きだから、アメリカのストリート・ギャング系の服装をしよう、これは他の人間とは違うぞ」という類のものは個性でもなんでもないというわけです(もちろん近代的自我でもない)。 >また、西洋からの輸入ならどうして海外の人たちは >日本人を「没個性」と呼ぶのでしょうか。 >彼らの考え(西洋~)なのに、と疑問に思ってしまいます。 養老猛司氏の該当文章からそれを読み取れますか? この文章からは、日本人が日本人に対しての言う場合の「没個性」しか読み取れません。「明治以降の日本のインテリは『没西洋近代自我』を『没個性』と間違って使っている」としか言っていないと思います。「個性」は意思の問題ではないのだ、と指摘しているのです。 ま、日本人は日本人であり西洋人ではないので、西洋近代自我が日本人にないのは当たり前のことでしょう。しかし、日本の「近代化」というのは「西洋近代文化」を模倣することに等しかったわけですから、明治以降の日本のインテリは、日本人は西洋近代自我もマネして身につけなければならないのに全然身についていないではないか、と言い続けてきたのです。 氏の本音は「日本の近代化」を語句使用の問題に置き換えて批判しようとしている所にあるように感じます。要は、「個性の尊重」に対して、二重の意味(日本の似非近代化・「個性」という用語使用の誤り、の二つ)で苦情を言っているのだと思います。 日本の似非近代化については明示的ではなくニュアンスにすぎないのですが、そう感じさせる文章です。
お礼
回答が遅くなってしまい、失礼しました。 個性は先天的なもの、もしくは幼児期までに取得され固定されるもので 一方、自我とは他人と区別される意識行動の主体となるもので 生理的に規定されているものではない。 「個性の尊重」に対して、二重の意味(日本の似非近代化・「個性」という用語使用の誤り、の二つ)。 以上を頭に入れて再読してみます。 どうもありがとうございました。