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価値観ってどこで生まれるの?
美形に生まれたかったという気持ちは誰でも一度くらいは思ったことがある筈ですよね。では、美形とはどんなものでしょう? そう問われたら、きっとあなたは自分がなりたい憧れの姿を頭の中に思い浮かべると思います。でも、どうしてその姿を想像したのかと問われると、う~ん(~-~;って思いませんか? これは一例で、他のことでも好きなこと、嫌いなこと、正しいこと、悪いこと、掘り下げて考えてみると自分がなぜそういう価値観を持つのか不思議。すごく不思議で探求してみたくなりました。 きっと自分と同じことを考えている人がいると思い、価値観をキーワードにネットや本屋を探してみたのですが、なかなか見つかりません。 このようなテーマの本などあったら教えていただけないでしょうか。よろしくお願いします。
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おはようございます。 価値観をテーマとした本は意外に少ないですね。 価値観が、経済学、社会学、心理学、哲学、生物学など、広い範囲に関連するからでしょうか。 私もこのサイトで紹介していただいたことがあります。 人はなぜ感じるのか「ジョンストン」 遺伝子関係の本です。 美形とは、目や鼻の形や大きさ、位置関係が平均に非常に近いとの事でした。他にも感情について面白い話があり、この中では、読みやすくお奨めです。 価値意識の理論「見田宗介」 社会学の本です 広範囲な実験の資料をもとにしていますが、少々難しいところもあります。 貨幣の哲学「ジンメル」 哲学と有りますが社会学の学者です 難解ですから、読まれるなら、後半から読まれることをお奨めします。 最近の本屋さんは、流行に敏感でないとやっていけませんから、図書館にいかれた方が見つかりやすいと思います。 いろんな分野に分散していますから、隠れている価値観を探すのも楽しいのでは。
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- sowow
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そぉですよね。 そのへんが、僕もハッキリさせたいんですが、なかなか「普遍的基準」てのが見出せないのです。 そんなもんは無いのかもしれません。 でも世には「美形とはなにか?」を研究していらっしゃる学者さんも結構いるようです。 気になりますよねー。 「シンメトリー説」(左右対称がスバラシイ説)は面白いと思うんですが、人間にとっては、他の自然の人間に与える影響力と同じように、遺伝子がしくんだような力はかなり貧弱ってんじゃないか?と思います。 だからってあなどれもしないんですが。 結局は、意識、つまりは「人間の脳はいったいどうなってんのか?」 とゆー問題になろうかと思います。 オススメは竹内久美子さんの「シンメトリーな男」(新潮文庫)です。 難しくないし面白くて読みやすいですよ。 ただ、あまり鵜呑みにはしないほうが・・・。
お礼
お礼が遅くなってすみません(^-^; 普遍的基準・・私もそれは無いような気がします。 強いていえば「考える」くらいでしょうか。。 考えるから価値観も生まれるわけで・・って無理矢理ですか(^-^; 竹内久美子さんの本、探してみます(^-^) 回答ありがとうございました。
価値観は、命令のあるところで生まれます。 人の顔については、シンメトリやある種の黄金比などがあり、それから大きく外れない人は、美形であると判断されるようです。 生後一、二ヶ月程度の赤ん坊でもそれを見分けるという実験結果です。 また、その比率、例えば顔のパーツの配置、輪郭などは、その個体の免疫力を現し、その比率に律儀な顔立ちほど、免疫力が高い個体だそうで。 で、国を変えても、時代を変えても、その比率が古今東西様々な人の間でも、美しいと判定されると言うことです。この場合、文化の違いはあまり関係ありません。 つまり、ここで言う美しいと言うこと、それはセックスアピールです。 また、いい匂いをかぐと、口内の免疫力が高くなる。 そういう話を、「TV」で見たことがあります。 つまり、自分の本能的な好き嫌いに忠実にそっていれば、ある種、幸せになれるということです。 ですが、私は、生き方は如何? これに重きをおきます。 賢いとか、美形であるとか、健康であるとか、金回りなど、そういうものは後からついてきます。 生き方を透徹したい。 そのような生き方のイメージ、感覚、たくさん自身の中で抱いていますが、それらは、文化的、本能的、両者以外の様々な因果は色々あろうと、最終的には自分が生きてるから現象したものであって、それらが確かに在り、私自身の生き方に大きく影響しているのだから、私の生き方はまだまだ透徹されていないと言うのが、私の判断です。 価値判断というよりも、透徹しているかしていないかでは、していないという観測です。 選択したもの、現象した生き方が、常に他の選択肢より価値のあることかというと、そうではないと思います。 選択の決め手は、自分の価値観なるものによって、行われるとは限らないからです。 むしろ、選んだと考えられる場合、それは自己の価値観とされる「反応」によって、選ばされたとなるでしょう。ここで、価値観が生まれているわけです。 価値観と言うより、ある種の重み(価値)、優先順位を付与することで、判断が下されるのです。流動的に。価値があるというより、そういういう判断をくだすというだけです。そういう優先順位があたえられたのであり、学会の発表に遅れてでも、トイレを優先するという、「生態による判断」です。 本能によってある程度的を絞られた前提での没価値観(五感の情報など)によって得られた情報から、生態は、その情報を得た個体に、定まった行動を選択させているとも言えます。 それは、優先順位という名の反応で、選ばされているのです。 それは、個体にとっていいこととは言い切れないのです。 生態とは、ある個体のみを命令範囲としているわけではないからです。 それはまさに、生態系のシステムそのものです。 文化的側面を持つ価値観、判断材料については、同じく文化的な産物から情報を得た個体に、生態が定まった行動を選ばしていると思われます。 この生態(本能)を、文化、知識など、つまりミーム(文化的産物の遺伝情報、行動を決める基準になりえる情報)によって、欺いたり、駆け引きすることも可能であり、しかも、その個体は、文化を選ぶか、本能を選ぶかの選択に立たされるのではなく、命令を通した方に選ばされるとなります。 命令に従うのは、自由意志ではありません。 生き方は命令されて生きてるし、生まれたときも遺伝子の命令で生まれたと言えばそれまでですが、生まれた生まれないの、そういう話ではないということも、在ります。 自然の摂理も、反応にその本体が在るのではないのです。反応は、その摂理と言われるものの一側面に過ぎません。 何故そうなったのか? 何故本能がそういう命令を下すのか? そういうことを見てみると、命令に従わない自分というのも、確認できます。 観測する意識という、システムが在るにせよ、少なくともこのシステムは、命令を聞くような存在ではないのです。むしろ、報告役を演じます。命令を、外部にに転送するのが、この意識の役割と思われます。 つまり、生態系や文化系とは別の、更なる判断基準が、在りえるのです。 その報告役を演じる意識が、とりあえずの基本姿勢だろうと思います。 本能(遺伝子)でも、文化(ミーム)でもなく、その両者を逆に使役しえる存在が、意識というものによって確認されるわけです。 この意識は、情報を得る方向(個体サイド)、INPUTと、解放のOUTPUTの両面性を持っていると言うことです。 また、解放の方は、INPUTも可能であると言うことです。そこにはさえぎるものが何もなく、ひらかれているからです。 その報告役を演ずる意識からが、自由意志性をもつのだと思います。 その意識をもって、本能や文化でもない、更なる命令が下るのか、なんもないのか、色々場合が在るわけです。無数に。 でも、命令によらない在り方というのが、ここではじめて可能なのです。 その意識は、ただただ中継施設、伝導空間だからです。 この中継施設が、何処に由来するのかと言うことですが、個体から情報を得てはいますが、OUTPUTのほうは解放状態なので、おそらく、この個体性に由来するでしょう。 解放状態は、どことでも誰とでも、幾らでもIN OUTしているといえるからです。 そのうちの一つの中継地点が、私と言う個体でしょう。その穴が崩れたときが、死ぬときと言うことになります。 ですから、死んだ後は、外部を情報となって色々に変形しながら流れるのかもしれません。 むろん、それは只の情報であり、私ではないのです。 私が見慣れた風景であるにせよ。 その中継地点という意識を確認した時点で、自分という者はひとつのシステムに過ぎないですから、そればかり見ている必然性もなくなるわけです。 ここから、観想が瞑想に移行していくと思われます。 世界はまだまだ広いようです。 えらく脱線しました。が、いちおう参考にということで、投稿します。
お礼
お礼が遅くなってしまってすみません(^-^; 命令のあるところから価値観は生まれる。。そうですね、何かを判断する時に価値観があらわれるものですよね。 文化が違うと人の価値観もかなり変わってきますよね。でも人間の根本なところはみんな同じだったりするんですよね。喜怒哀楽とか・・ ご意見ありがとうございました。
- jjjiiiooo
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では、考え方の例を書いてみます。但し、それ以降は御自身で努力して下さい。 努力とは「考える事」です。考える事とは、情報や知識を取り入れ考察する事です。 では例を、 >美形に生まれたかったという気持ちは誰でも一度くらいは思ったことがある筈ですよね。では、美形とはどんなものでしょう? <人間には、「繁殖」という「本能」があります。そして、より優秀な「遺伝子や固体」を残そうとするのです。 つまり、美形=例えば、自分の子供はジブン(男)側とアイテ(女)側のどちらかの外見的特徴を受け継ぎます。 その為、外見が優れてる → 遺伝的に考えて「子供」が生きていく上で「有利」と本能的に感じ その為、人々が「美形・良い」と判断する物を美形・良いもの、と感じるのです。 但し、人々が「美形・良い」と判断したのは、その顔が今の時代で特徴的に優れている物を持っていたからです。 例えば、江戸時代前や密林の奥地など「食べ物が足りない時・所」は、「太ってる人が美しい」とされてたりするでしょ、あれは、太る=栄養を貯蔵するのに優れていると、その時代の人達が本能的に感じて、判断しているのでしょう。(食べ物が無いのに細い人がキレイなんて思わないでしょう?死にやすいし、ガリガリしてたら人々は求めないでしょう。)そう考えると今の女性が「痩せてる」を求めるのは食が溢れてる所為かもしれないですね。 例1はこんな感じです。御参考に 例2>その商品にみんなが同じように思う魅力があったからでしょうか。。可愛かったから?便利だったから?なら何故みんなは、そう思うのか・・ 便利?便利とは使い勝手が良いなど、機能が優れている、などですよね。なら、人々が需要を求めるのは当然名な事でしょう。人人は商品に「使い易さ・や 機能面の優れ」を当然求めますから あなただって、大量のダウンロードを1分で出来るソフトと、30分掛かってしまうソフトが有ったらどっちを求めますか?このように、人々が商品に求めてる「モノ=要求」を考えれば答えは見つかります。 >可愛かったら? 可愛い も、「人々の求めてる商品」 = 「外見が良いのを求める」まあ、誰だってミテクレの悪い商品と良い商品が同じ機能・価格だったらミテクレの良い商品を選ぶじゃないですか、だから、可愛いも人々の商品を求める要因になります。 でも、それ以上にそういう爆発商品は「流行」など「自分の周りの多くの人が求めてる物を求めてしまう人間の特性」の影響が大きいと思います。 つまり、機能的・視覚的・流行性質的などの 上記の理由により、流行った原因、人々が求めた理由を考えられるというわけです(他にも理由はありでしょうが) >マーケティング的考え方でしょうか・・ まあ、初めは傾向を覚えるために、それで良いんじゃないでしょうか。でも、人間の特性的なクセを覚えるとどんどん深い理解が出来るようになっていきます。 重要なのは情報と知識を考察しながら入れる事です。 テレビを見てる時も、だんだん、似たような事象で似たような傾向がある事に気付いていきます。そして、これはこうなんだ・・・と分かってきます。 「本」は・・・・必要ないと思いますよ。読んだ事ないですし、自分で学べるモノだと思います。 では、御参考に
お礼
外見が優れてる → 遺伝的に考えて「子供」が生きていく上で「有利」という本能。 外見が優れていて有利なのは人間関係が円滑という利点があるからなんですよね。ちやほやされたりとか・・ この利点がなければ外見の良さは価値がなくなると思うのです。 生きるのに有利=寿命が長いor丈夫として考えると、外見はあまり意味がないと思うのです。五体満足ならどちらも同じでしょう。人は何故は、美形を大事にして醜い人を嫌うのでしょう・・? 私なりに考えてみたのですが、これは日常から拾った情報のせいだと思うのです。 例えば、お話にでてくる良い人は美形に、悪人は醜く書かれているものです。これは子供が読む絵本や漫画に顕著です。悪人とすぐ分かるように黒く醜く鬼のような形相に書かれていたりします。それを見た純粋な少年少女達は醜い=悪人をいう認識をもってしまうのかもしれない・・ この考えにいたった時、なんだか怖くなってきました。 価値観って自分を形成するうえで、すごく重要なものだと思っていたのですが・・自分は自分が作ってきたものだと思っていましたが、本当はまわりに作られてきたものなのかもしれないですね。 本は必要ない・・でしょうか。。 私はこんなふうに考えますが、他の人はまた違った意見を持っているかもしれません。それを刺激にまた違った考えが浮かんできたりして楽しいと思うのですが・・(^-^; でも、まぁそれは本ではなくてもココで充分刺激もらってますね。回答していただいたみなさんにはとても感謝しています。 また、長くなってしまいました(^-^;再度回答ありがとうございました。
- jjjiiiooo
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こんな事いうとアレですが 「考えるようにすれば」分かるようになりますよ。 自分で考えるクセをつけなければ、ずーっと 分かる様にはなりません。そのクセを付けるようにした方がいいと思います。 >掘り下げて考えてみると自分がなぜそういう価値観を持つのか不思議。すごく不思議で探求してみたくなりました。 人の精神(価値感)が何に影響されていると あなた自身は思うのですか? それを自分にアテはめて考えてみて下さい 。 自分は、これについては、こういう考えがある(好嫌の印象がある)←それは何故?と自分がそう思う理由を考えれば、答えが解かる事象もあるはずです。 そして、次に他人の考え方、価値観を「何故?」と考察してみて下さい。 そうすれば、人間にはこういう考え方をする傾向がある、など こういうモノが影響を与えている、と解かってくるようになります。 大事なのは、色んな事象や出来事(ニュースなども)を色んな視点で考えるようにする事で、そうすれば少しずつ解かるようになっていきます。 まあ、簡単にあなたの問いに答える「要約的言葉」はあります。しかし、それじゃ意味がありません。それじゃ、成長出来ないとおもうので、答えない事にします。トピの問いを、KIKOさん自身が解かるようになれれば それがベストでしょうから
お礼
私は頭が良い方ではないので、考えが足らないのしれません(^-^;考えれば考えるほど深みにはまってしまうのです。 自分の価値観と他人の価値観から人間の価値観の傾向を見出す方法、マーケティング的考え方でしょうか・・具体的な例にしめしてみると人は何故あの流行物にハマってしまったのか!?みたいな(^-^) う~ん、何でしょう。 その商品にみんなが同じように思う魅力があったからでしょうか。。可愛かったから?便利だったから?なら何故みんなは、そう思うのか・・そうやってどんどん掘り下げると人の根本的なところへいってしまって、最後には言葉につまってしまいます。 あ、ひとつだけこれは言っておきたいのですがココで本の紹介を希望したのは、考えるのを放棄したからではないです。自分と同じことを考えている人がいて、その人の意見を聞くことって楽しいじゃないですか(^-^*
マーク,トゥエイン(トムソーヤを書いた人)がかいてたと思うのですが, あるひとの価値観や意見は, そのほとんどがオリジナルと自分では思いこんでるけど、 実はどこかで聞いたとか,誰かが言ってたものだとか... 価値観って,いろいろある意見の洪水の中で, 自分が 「どれを拾い上げるか」ということだと思います その取捨選択を決めてる物は何か,という御質問でしょうか? わたしは、自分が好きな物が,実は,父親も同じものが好きだったと言う事がかなり、あるので, 多分,知らず知らず,父の価値観が流れこんでるんだと思います.私自身,父が大好きなので. 父は非常に無口で,自分は何が好きなんてほとんどいいません.言葉で話したことが無い部分でも,にて来るんだと思います 親の影響,自分が尊敬する人の影響は多そうです 親と全く反対の価値観,という人もいますが, それって『親と反対である』と言う事自体が, 親の影響を濃く受けてるのではないかと. まだ赤ん坊のときわかれた親と 大人になって再会しても, 『ああ、自分に似てる!』ト思った,,,という話などもよく聞きます 血,といいますか... すみません、詳しい本などは心当たりが無く, 自分のことばかり書いてしまって. 大部分は親の影響だろう,というのが私の意見です
お礼
ことわざでも3つ子の魂100までと言いますし、幼少時代を共にする時間が長い両親の影響は大きいと思います。 親の価値観を肯定するにしても、否定するにしても親の影響を受けているという意見には私も同意見です。でも肯否の判断をするには当人の価値観があるからですよね。その価値観はどこから来たのかと考えてみると、日常見聞きしたもの、brightsideさんの仰る「拾い上げてきたもの」にあたると思うのですが、それを拾い上げる判断をした中にも価値観はあると思うのです。こんなふうに掘り下げていくと卵が先か鶏が先か論的な考えに陥ってしまいます。こんなこと考える私って変ですかね(^-^; 血ですか・・人は生まれながらにして価値観の種のようなものを持っているという考え方、すごく興味深いです。 回答ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 紹介してくださった本、どれも面白そう(^-^* 早速図書館に行って借りてきたいと思います。