- 締切済み
価値の高い人間・低い人間
いつもお世話になっております。 こちらを閲覧しておりますと、「価値のない人間などいない!」といった ご回答を見かけることがあります。 この点に関しては、同意できます。 でも、価値の「高い人間」と「低い人間」は存在するように思います。 ただし、「価値の高低」は評価対象の所属する社会によって変化する、 ということが前提です。 例を挙げますと、 ●会社ではお荷物社員⇒会社では『価値の低い人間』 ●家庭では、一家を支える大黒柱⇒家庭では『価値の高い人間』 といった感じです。 言い換えると、対象の評価は視点によって変化しうるものであり、 絶対評価ではない、ということです。 質問は何かと言いますと、私は「人間の価値には高低がある」という 考えを持っている自分が嫌いです。 しかし、上記の自らの考え方が間違っているとも思えない。 ですので、上記の私の考え方を否定するご意見を伺いたいのです。 理由も添えて。 妙な質問かもしれませんが、よろしくお願いします。
- みんなの回答 (13)
- 専門家の回答
みんなの回答
- kankan417
- ベストアンサー率30% (4/13)
No.9です。 「価値の低い人間」と見られてしまうのは確かに喜ばしいことでは ないと思います。だからこそ、そう見られないように人間は精一杯 努力し、より良い人間であろうと努力するのではないでしょうか。 もちろん努力する理由はそれだけではありませんが。 以下、少し論点がずれるかもしれませんが自分の意見です。 tetrahedralさんが、低く評価されている人を見て悲しく思うので あれば、せめて自分はその人の良いところをできるだけ見てあげ ようと心がけてはいかがでしょうか。 誰しも良いところ、悪いところがあり、またその良いか悪いかも 見る側(評価する側)次第です。それでも評価が低いのであれば 誰からもより良く評価されるよう助言していくことも必要かも しれませんね。 とはいえ、なかなか難しいことで自分ができるのかといわれると、 常にそうありたいと思いつつもなかなかできません。あくまでも 理想論のひとつかもしれませんが、できれば人の悪いところより 良いところをひとつでも多く見られるようになりたいものです。
- CTAB
- ベストアンサー率57% (41/71)
興味深い討論だなあと思ったので参加します。 ただ、質問が分裂して入るような気がします。価値が相対的なことを否定して欲しいのですか? それとも人の価値に優劣が有るということを否定して欲しいのですか? 質問からは後者を聞いているような気がするのですが、皆さん前者について討論しているような気がしました。 まあそれはおいておいてまず前者について、人間の価値が絶対評価でなく相対評価である、ということについて否定してみますが、会社で価値が低い高いというのは「人として使えるかどうか」の有能さですよね。 家庭で価値が低い高いは給料でしょうか。ご近所の評判だったら社交性ですよね。人間性だったら全項目に共通しそうですけど、給料とか社交性とか有能さって別のパラメータですよね。 つまり、人によって相手に対する価値観が変わる・・・という意見ですけど、わたしはこれに反対で、家庭と会社で価値が違うのは、人がその場所で、相手のどの部分を重視するかによるものである、とするべきだと思います(それは当たり前の前提で討論してるんだよ・・・といわれそうですけど、まあそこは目をつぶってください) また会社で価値がないと思われている人だって、家庭ではいいパパさんだということを同僚が知れば、同僚はその人が失敗してもああ、まあいいやつなんだけどな・・・と上方補整を加えるでしょう。同僚はいやな気分にもならずに後始末をしてくれるかもしれません、それは効率を上げることに繋がり、きっと「会社での価値」として意味のあるものになるでしょう。 いいパパさんであることが、会社での価値のあるなしに関わらないとは一概には言えないわけです。 つまり学校の通知表で言うと、会社での価値は数学の成績で、家庭での価値は国語の成績、tetrahedralさんが求める人としての絶対的価値というのは通知表の総合評価の部分って感じですかね。だから会社の価値とか家庭の価値は互いに影響しあっており、人の価値とは「総合評価」として絶対的な価値で表現できます。これがわたしの意見です。 まあ簡単に言えば、価値観を全部総合したものを定義すれば人の価値を絶対的に表現できるよね・・・という乱暴なものですね。 既にかなり長文なんですが、次に人に優劣はあるのか、について述べます。これはすごい否定しにくいですよね。この世にテストというシステムがあり、人は自分を向上させることができる、という概念がある限り不可能な気がします。 ものすごく簡単に、かつ乱暴に言えば、人の価値に優劣がないとするなら、毎日勉強している浪人生にとって「昨日の自分」と「昨日からさらに勉強を行った今日の自分」の価値に優劣がない、としなければいけないからです。これってちょっと非道ですよね。 価値のない人間はいない・・・なんてお約束ならまだしも、優劣は無い、というのは少年漫画の主人公しか口に出せない言葉です。 ここから否定は難しそうですが頑張ってみましょう。それでも否定するなら、まず第一に、誰だって誰かから死ぬほど必要とされる事が出来る、ということを強調します。一番オーソドックスなのは恋愛ですね。オンリーワンで一番当たり前に存在するものです。その人がいなければ相手は今の幸せを得る事が出来ない、もしくはできなかっただろう、そう考えるとその人の価値というのは相手にとって無限大です(比較対象がありませんからね。0と1の差は1と2の差とは別物であるという考え方ですね)。 いまお相手がいない人だって、いつか誰かを愛して、もしくは必要とされ、その人にとって何にも換えられない価値のある人になる可能性が”ありえる”わけです。(こっちは先行投資的な考え方ですね。潜在価値ともいえます) つまり先ほど述べた通知表の話で言うと、あるパラメータだけが飽和状態なわけですね。つまり、総合評価も無限大です。当たり前ですよね。 そうするとどうなるか、つまり人間の価値は誰だって無限大。当然、無限は比較も出来ずに同率一位でタイですね。ほら、人の価値には優劣なんてありません、となるわけです。 とまあ、こんなところでどうでしょうか?
- hurasuke
- ベストアンサー率18% (191/1056)
●会社ではお荷物社員⇒会社では『価値の低い人間』 ●家庭では、一家を支える大黒柱⇒家庭では『価値の高い人間』 あなたはみんなよくわかってらっしゃると思います。恐らく私と同じ側の人間です。 会社では価値の低い人でも家庭では価値の高い人かも知れない・・・よくあることです。同じように、家庭では価値の高い大黒柱も、奥さんの前では男として無価値かも知れない・・・。価値の高さとは絶対的なものではなく、人により、場合により、状況によるものです。 あなたの考え方は全く正しいし、否定できないのです。なので、私としては違うところを否定させていただきます。 >質問は何かと言いますと、私は「人間の価値には高低がある」という 考えを持っている自分が嫌いです。 せっかく、客観的に公平で正しい考え方を持っているのですから、それを否定するご自分をどうにかして下さい。間違った考え方をしてるのならば、そんな自分は変えなくてはなりません。しかし、正しい考え方を憎んで変える必要はないんです。 そのまま突き進んで下さい。
No.5です。 >「流動的ではあるものの、人の価値に高低はつきものだ」 ということでしょうか? 人の価値に高低はあっても流動的なものなので、 固定評価は不可能で意味が無い。 人は一時の基準で評価してるに過ぎなく、 次には高低は逆転してます。
お礼
2度目のご回答、ありがとうございます。 >人は一時の基準で評価してるに過ぎなく、 >次には高低は逆転してます。 たとえ一時であれ、他人を評価し「価値の高低」が付与されている。 そのこと自体に嫌悪を抱くのです、私は。 とは言え、「一時的な評価」って当り前のことなんですよね…
- kankan417
- ベストアンサー率30% (4/13)
評価の数や質に差を求めている限り、「人間の価値には高低がある」ということを 否定することは出来ないと思います。今の世の中、1つ役に立つより2つ役に立つ ほうが「よりすばらしい」と評価されますのでその基準を変えていくことで人の価値の 高低はなくなると思います。簡単なことではないですが。 そもそも、人の評価は評価される側の意図は関係なく、評価する側の判断により 決定されます。人が人を評価する限り、「人間の価値には高低がある」という 考え方をなくすことはできないのではないでしょうか。
お礼
ご回答いただきありがとうございます。 >人が人を評価する限り、「人間の価値には高低がある」という >考え方をなくすことはできないのではないでしょうか。 私もそのような気がします。 でも、「価値の低い人間」って悲しくないですか? 例えそれが赤の他人であっても…
- divi
- ベストアンサー率22% (43/194)
環境を破壊するだけの人類に生きる価値はあるのか? 人を殺す奴に、人としての価値はあるのか? 医療なしでは生まれてくる事さえできなかった人間が、 そこまでして生まれる価値はあるのか? そもそも、人の価値にも「生きる価値」やら「利用する価値」やら 「存在する価値」やら「尽くす価値」やら いろんな「価値」の物差しがあります。 人の価値なんて言い出したらキリがありません。 人間の価値に高低がある!なんてのも、質問者さんの物差しの1つでしかなく、 自分にとって都合のいい主観的観測でしかありません。 人間として、時に何かを比べて見る事は必要なので仕方ないと思いますが、 「価値」というものに拘らなくても、「比べる事」はできるはずです。 仕事で出世はできなさそうだけど、家族にとっては居なくなっては困る大事な人です!でいいのではないですか? 人にとって大事なものが、自分にとっても大事なものとは限らない! のは当たり前の事です。 それは「価値観の違い」というだけではないでしょう? 立場の違いもあれば、考え方の違い、老若男女の違い、環境の違い、 いろんな要因があります。 全てが必ず「価値」というもので、評価しなければならないわけでもなく、 自分を含めて評価されていいわけでもないでしょう? ましてや、高いだの低いだのは、 所詮、学歴や家柄や好き嫌いを比べるのと大差ないレベルですよ。 間違ってはいないでしょうが、自分に関わりのないものにまで、 わざわざ指さしてまで比べる程のものではないはずです。
お礼
ご回答いただきありがとうございます。 返事が遅くなってしまい、申し訳ありません。 回答者様の文章、昨日からずっと考えていました。 これからも考え続けると思います。 ありがとうございました。
- boke-chan
- ベストアンサー率22% (137/604)
天才もいれば、馬鹿もいる。 有能もいれば、無能もいる。 必要な人もいれば、不要な人もいる。 価値の高い人もいれば、低い人もいる。 別に間違ってはいませんし 否定する必要もありません。 何故、この考えが嫌いなのでしょう? それを説明されないと答えは出ないのでは? 想像するに、 価値が低いと一方的に決め付ける事が嫌いって 事なのでしょうか? あるいは、人間は価値的に平等であるべきだと 思いたいのでしょうか?
お礼
ご回答いただきありがとうございます。 >価値が低いと一方的に決め付ける事が嫌いって事なのでしょうか? >あるいは、人間は価値的に平等であるべきだと思いたいのでしょうか 両方です。 「社会的に価値の低い人間」って、悲しくないですか? 例えそれが見ず知らずの他人であっても…
- tengenseki
- ベストアンサー率25% (161/638)
誰それは人間の価値が高いとか低いとかという言い方が 冗談や軽い気持で使われる場合はあるでしょう。しかし、 殆どの人は真面目な席では言いません。会社のリストラ の場合でも、上司は「あなたは価値が低いから・・・」とは 言わず「あなたを必要とする仕事が無くなった」とでも言う でしょう。”人間の価値云々”は個々の人間の尊厳に触れ かねない表現ですから、まず使いません。従ってあなたは ”人間の価値に高低がある”という無意味な表現に悩むこと はありません。
お礼
ご回答いただきありがとうございます。 >”人間の価値云々”は個々の人間の尊厳に触れ >かねない表現ですから、まず使いません。 まともな組織では、それが普通だと思います。 でも、個人の心情レベルでは別ですよね? 私が問題としているのは、組織レベルの話ではなく私個人の心情レベルの 話なのですが… >”人間の価値に高低がある”という無意味な表現 無意味… その通りかもしれませんね。
「人間の価値には高低がある」というより、 人間の価値は変化し絶対では無いのでは。 環境変化もありますし時間的変化もあります。 人の価値は高い時もあれば低い時もある。 どんな人も例外ではない。 何事も絶対だと決め付けなければ良いだけの事。 誰しも時には逆らえません。
お礼
ご回答いただきありがとうございます。 「流動的ではあるものの、人の価値に高低はつきものだ」 ということでしょうか?
- aymhfgy
- ベストアンサー率43% (1472/3372)
>質問は何かと言いますと、私は「人間の価値には高低がある」という 考えを持っている自分が嫌いです。 質問者さまの潔癖な御気性が伺える文でここには好感を持ちました。 しかし、私は人間は品物ではないのだから価値という言葉を当てはめて考えること自体に違和感を覚えます。 上記のお考えに否定する意見を求められていますのでそれに沿って回答させて頂くなら、その考え方は人のごくうわべだけを見た言葉で浅い見方であると思えます。ひとことで会社で仕事の上ではお荷物だったとしてもその人がいることで人間関係に潤いがもたらされる場合もあるだろうし、一家を支えてはいても我儘で家族を苦しめている人もいると思います。 金銭的なことに価値観を見出すか、精神面から計るかで評価は大きくは違ってくるものと思われます。 それから絶対評価はないと言われていますがその通りで時代というものは動きますので万物は流転するという面から考えると単純に人の評価は出来ないと思います。 いずれにしましても人に対しては価値などという単純な言葉では括れない存在だということを明記したいと思います。 どんな時でもどんな時代でも自分というものをしっかり持って人の本質というものから目を逸らさずまっすぐな視線を注ぐようにすることが大切だと改めて考えさせられました。 良いご質問だったと思います。
お礼
ご回答いただきありがとうございます。 >その考え方は人のごくうわべだけを見た言葉で浅い見方であると思えます。 >ひとことで会社で仕事の上ではお荷物だったとしてもその人がいることで >人間関係に潤いがもたらされる場合もあるだろうし、一家を支えてはいても >我儘で家族を苦しめている人もいると思います。 私の例えが悪かったのかもしれませんが、複数の要因で評価するのが 普通だと思います。その点に関しては質問に明記しておらず、申し訳ありませんでした。 ただ、それはそれで評価が可能ではないですか?例えば、 金銭面「良」+性格「良」⇒100点 金銭面「悪」+性格「良」⇒80点 金銭面「良」+性格「悪」⇒70点 といった具合です。 (数値化したのは、あくまで分かりやすくするためです。他意はありません) >人に対しては価値などという単純な言葉では括れない存在 人間だけは特別なのですか? この点に関しては、いま一つ納得しかねます。 >良いご質問だったと思います。 褒めていただいたと思ってよろしいのでしょうか? 素直に受け取っておきます。ありがとうございました。
- 1
- 2
お礼
ご回答いただきありがとうございます。 >せっかく、客観的に公平で正しい考え方を持っているのですから、 >それを否定するご自分をどうにかして下さい。 これは全く想像してかった回答です。 回答者様のおっしゃることが正しく、私が間違っているのかもしれません。 よく考えてみますね。 ありがとうございました。