人間には『意識』が二つ在ります。一つは顕在意識です、もう一つは無意識です。この二つの意識は交代制を取っていますが、その切り替わりはなかなか判りませんが、神経質な人や不安に為り易い人は判る場合があります。
普通の人間が一日の中でその二つの意識のうちどちらのの状態で過ごすのかを、研究した成果を昔見た記憶がありますが、顕在意識が約20パーセント、無意識での時が約80パーセントと書いてあったと思います。
全く普通の生活が出来る人を『健常者』と呼んでいますが、この人達は、今書いた事(二つの意識の交代制)と云う事には気が付きにくくなっています。その訳は『二つの意識が上手く同調出来ている』からです。交替する時の『軋みが無いからです』
それに反して、二つの意識に気が付く場合があります、顕在意識(自我意識)の何処かに『違和感を感じる場合です』この場合が神経質とか、不安になりやすいと云うことになります。
そういう人は自分に敏感と云う言い方も出来ます。
人間の行動は全て『二つの意識の交替制から』成り立っています。例えば眠る場合ですが、自我意識は意識が無くなってゆきます、完全に意識がなくなった時とは『無意識の自分と切り替わっています』この事を眠りに入ったと言います。ですが、無意識と切り替わった事を自我意識は知りません、何故なら『意識が無い事を』意識出来ないからです。
話をする場合でも、つばを飲み込む時でも、字を書く時でも、『スムースに事が行われている時は』自我意識が無意識の自分に替わって、しています。全ての行動時においてです。その行動においては『無意識でないと出来ないからです』
ですが中には今言った事(切り替わり)に気が付く場合があります、気が付いた場合には、意識するために、無意識の世界に入り難くなってしまう場合があります。この場合意識した事が出来なくなる場合があります。
この場合の意識して出来なくなった事が症状名と云う事になるのが『神経症』です。今まで無意識に身体における機能面をやってもらっていたのに、意識したために、身体における機能面が出来なくなる事が『自律神経失調症』です。機能していないのではないかと云う錯覚です。この場合検査をしても異常は無い事になります。
今までは、交替制でうまく行っていたのに、意識したために、心理面や精神面で上手くゆかなくなる事が『心を病む事』になります。
二つの意識(二つの人格)が仲違いを始める事になります。その時自我意識が感じるのが『違和感=罪悪感』です。この心の矛盾や対立や分裂を、『心の苦しみとして』宗教文化が発展してきた事になります。
心の苦しみからの解放を、宗教が、担っていたと感じます。心の苦しみ=感じる違和感=罪悪感、とは心の矛盾が生み出しています。それは無意識からの要求です。
意識地獄に陥っている『自我意識に対しての救いの者』という事になります。その訳は『今までのようにうまく行っていた時のように、もっと無意識の自分の出番を増やしてもらいたいと云う、交替要請』です。
もう時間がなくなってきましたので、聞きたい事が在るなら、補足ででも書いて下さい答えたいと思います。
補足
教えていた事をもとに色々調べてみましたが、どうやらtumaritou1さんが仰るとおり、私の症状は神経症でほぼ間違いないようです。特に『強迫性障害』が当てはまりました。自己診断ですが。 「心身に何か問題はあるのか」という問に関してはすごく納得しました。ありがとうございます。 あとはもう一つの疑問。 >>その行動においては『無意識でないと出来ないからです』 これが一体なぜなのか、を教えていただきたいです。 (質問の「こういった事」では何を指すかわかりにくいですね。すみません)