自尊心じゃなくて、依存心が強すぎるんですよ。
自分じゃなく他人がやるべき ってのが毎回訴えている内容ですよね。
「やってよ」って駄々っ子のように振舞ってますよね。
それは自分は他人に比べてすごく劣っていると自覚しているから。
他人は自分より優れているので、「自分の面倒をみてよ 何故ならあなたがたは私よりうんと優れた人だから。」というのが、他人に「やってよ」と言える理由ですよね。
どうして他人に依存する人間になったのかというと、小さい頃からの慣習ですよね。
常に周りの人があなたの面倒をみてきた それが当たり前だった。
私の知り合いにも自閉症っぽい人がいる。
小さい頃、同級生たちができることができなかったそうです。
母親は練習をすればできるようになると、自分の子供の能力を見誤ったようです。
自由にハサミが使えなかったので、特訓させたたしいができなかった。
それで母親は怒りにまかせて、鉛筆をそのこの手の甲に刺したそうです。
努力不測ではなく、生まれ持ったものだと気づかなかった。
破天荒な子だったようだが、友達にはかわいがられていたようです。
私は大人になった後にその子と出会ったのですが、会話していて妙だと思った。
言動をみていて、高次脳自閉症の人に特徴が似ていると思った。
じっとしていることができず、すごく不器用。
突如理由も不明の奇声を発して叫び続けたかと思うと、スイッチが切り替わって、「なんでもない」とポツリといい動かなくなってた。
「あのね あのね あのね あのね あのね あのね あのね あのね あのね アーーーーーーーーーーー-----!!!!!!」と真っ赤な顔をしてずっと叫んでいるとか。
「んーー? 聞いているよぉぉん」とのほほんと返事すると、緊張が和らいで、普通に喋れるようになってた。
で、なるだけ緊張させないように接していたら、そのこは過去を自ら喋りだした。
鉛筆事件とか。
お姉さんの方は、その子が「できない」ということを受容しており、なにかと世話をやいて、代わりになんでもやってあげてたそうです。
「だからか」と思った。、ちょっとのことも「私はできないから やって」って口癖になった理由はこれ。
「私はできない人、私以外の人はできる人、だから私以外の人が私のやることを代わりにやってくれるべき」と思っていた。
それが言動に如実に表れていた。
お姉さんが過剰の保護しすぎたせいだと思う。
で、こんなのまでも?ってことまで、お願いされて、「ねえ 少しは自分でやろうよ」って言うと、「だって私はできない人なんだもん。○○はできる人じゃない。それなのに私にやれって意地悪だよ ひどいよ ひどいーーうわーーん いじめられたーーー」って。
自閉症の人の特徴、他人は嘘を見破れないと思っていること。
「あのね 嘘泣きなのはわかっているよ。 これはね こう持つの やってみて」って言うと、通用しないと諦めしぶしぶやりはじめた。
「ほら できたじゃない」というと、「それはそばで見ていてもらったら。私ひとりじゃできなかった。私は一人じゃ何もできない人だから」って。
他人にやってもらうことに慣れすぎているのは、お姉さんのせい。
あまりに母親に嫌われる妹が不憫で、ちょっかい出さずにはおられなかったのだと思う。
で、おそらく妹に対して、できることまで「あなたはできないの どれ かしてごらん」って奪っていたんだと思う。
残酷ですよね。
「(どうせ)あなたはできないから」という言葉が裏にあるわけです。
彼女はお姉さんや周りの人にやってもらうことが当たり前になっていて、自分はできない人で、他の人はできる人という他人と自分の違いを確立していき、弱者ゆえのお徳な世渡りを編み出した。
もう そのお得な諸税術な考えは一生変わらないと思う。
だってお徳だから。
弱者利得というお徳を利用しない手はない。
おたまさんも自分を弱者とすることで、安心感を得ているのだと思う。
自分は弱者だから当然 強者から養ったり奪ったりしてもいい地位にあると思っている。
障害者の一番の損は、傷害ゆえに甘やかされて育ってしまい、他人にやってもらうのが当たり前という価値観を身に着けてしまい、自分で人生をいつまでも自分の足で歩もうとしない他人依存型になってしまうことだと思う。
もちろん そういう人ばかりじゃあないが。
他人にやってもらうから 常に不満足なんです。
自分でやらない限り満足することは決してない。
了解?