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信長の京都駐留時の兵糧
信長は京都駐留してから浅井朝倉を攻め滅ぼすまで畿内に大きな領地はなかったと思うのですが、駐留軍の兵糧はどこから調達していたのでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
続応仁記とかに、公方家再興の御軍用として本願寺には五千貫、当初は抵抗するものの堺も二万貫を払わせ、これを兵粮や公方家の在京御官位等の御入用に使用したとあります。
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- izuhara
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回答No.2
文献に基づく意見ではありませんが、購入していたものもあると考えます。 畿内は物流の中心地ですし、よく知られているように堺・草津・大津への代官配置もしておりましたから、兵糧を調達する条件は十分調っていたかと。
質問者
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ご回答ありがとうございました。
- comattania
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回答No.1
信長に限らず、周辺農地から略奪したり、購入したりです。端境期などの場合は、領地から持参したのは、近代戦と同じですが、完璧な兵站線は確率はされていなかったようです。
質問者
お礼
ご回答ありがとうございました。
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ご回答ありがとうございました。