- ベストアンサー
御請求書、お見積書は正しい用法か
- 御請求書やお見積書の正しい用法について、丁寧語や敬語の原則に基づいた意見が対立しています。
- 一方で、「お」や「ご」は各種の名詞・名節に冠せられて丁寧語を形成する接頭語であるため、御請求書やお見積書に使用することは正しいとする意見もあります。
- さらに、お客様への文書であるため「御」を使用することが一般的とされることや、「御領収書」のような表現が存在することも指摘されています。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
1. >自分の行動に敬語をつける必要はありません。「お」「ご」は不要です。」 と同じ意見を持っています。 敬語・丁寧語の原則として、自分の行為に敬語はつけないからです。 : 「自分の行為であっても、その【行為の向かう先を立てる必要が場合】は敬語を使う」ということも良く言われます。 「私が先生のおカバンをお持ちします(お持ちいたします)」 「私が社長にご説明します(ご説明いたします)」 など。 一素人ですが、私としてはこれが、今回のケースにおける基本的原理と思っています。 解釈の問題になると思われますので、以下、順次私見を展開させていただくことにします。 2. >意見1. 「お」や「ご」は、この場合、各種の名詞・名節に冠せられて丁寧語を形成する接頭語 [資料2]の第1回答者の意見を引用させていただきました。 私は、これは、正しいとする理由としては、片面的であると思います。 : おそらく「美化語」のことをおっっしゃったのだろうと思われます。 「お酒」「お料理」「お花」など、行為者に関わらず使える美化語として「請求書」「見積書」を捉えることが可能である、と言っているのでしょう。 ひとつの見方ですが、何にでも適用できてしまいそうで、ちょっと苦しいかもしれません。 その意味であれば、 「>接頭語だからと言って、名詞につけさえすればいつ何時でも正しいかというとそんなはずは無いからです。」とおっしゃる点には同意できます。 3. >意見2. 普通はお客様へ出すときには「御」を付けます。御見積書に関しては、こちらで作ったものでも その文書はお客様のものだからです。 [資料1]の回答です。もしこれを一般化すれば、「御領収書」だって許容されるはずです。 また、お客様の基準があいまいです。資金移動で判断するなら、購入側の出す文書には「御」 は一切使わないはずですが、本来、相手に敬意を表す用語の用法が資金移動の関係で決まるものでしょうか。 : 「お見積書」の場合、「お客様のものだから」というより、『「見積もる」という【行為の向かう先】が相手側だから』と考えたほうが良いと思います。(相手の発注内容に関して見積もる) 「御請求書」も同様に「相手側に向けて請求する」という解釈で可。 では、「領収する」も「相手のお金を受け取る」わけだから可になるでしょうか。 難しいところですが、私としては、「受け取る」などと同様、「完全にこちら側に収められてしまう行為」に関しては、「向かう先が相手側」という論理が成立しなくなるのだろうという気がします。 「その書類をお預かりいたします」は可でも、 「その書類をお受け取りいたします」が不可なのは、こういった理由からではないでしょうか(推測)。 これが「ご領収書」は(基本的には)誤り、と考える所以です。 しかし、税金対策などのために顧客にとってぜひとも必要である、などと考える場合には、「相手側の所有物」という観点から「御」を付ける向きもあるのでしょう。 こちら側の「受け取ったお金」が眼目ですから、「御領収書」は(たぶん)あまり使われていないでしょうが。 4. 「基準1. 原理に忠実なもの」 に関しては、1で述べましが、【行為の向かう先】であるか否かで判断する、ということになります。 この原理と合わせて『「その行為を必要としている対象」を敬う必要がある場合』と考えても面白いように、個人的には思います。 5. 「基準2. 一般性が高いもの」 a.「御領収書」が不可の理由はすでに述べました。 b.「御朝刊」の場合、「行為の向かう先」云々という範疇を逸れていますので、「美化語」として成立するか否か、という点が問題になるのでしょう。 私は美化語が成立する基準については知らないので、美化語としては明らかに認識されていないので不可、としか言えません。 c.「御配達されていますか」の場合は、配達という行為の向かう先がこちら側なので不可、ということになるでしょう。 逆に新聞店側が顧客データを「ご配達先一覧」などのように表示するのは可だろうと思います。 6. ところで、以上は、請求・見積・領収といった行為の面からの視点です。 「請求書」「見積書」「領収書」の「書(=書類)」という視点から見ると、「書類を作成する」という行為に焦点が当たります。 この行為自体は全く「こちら側だけ」の行為なので、敬語表現は不可、という解釈も全く間違いとは言えないかもしれません。 つまり、 会社の作業としての請求・見積・領収なのか、 顧客側の視点に立ったそれなのか、の違いによって、「お・御」が採用されるか否かが(無意識的に)l決まってくるように思われます。 業務本位・明確性 顧客の心境顧慮・曖昧性 など、それぞれ一長一短があると考えます。
その他の回答 (2)
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#2からの続きです。 >これは世間一般の認識次第ということになり、非常に理論としては一般性を欠くと判断せざるをえません。とはいえ、確かに請求と朝刊では同じ名詞でのサ変動詞になれるか否かで違いがあるので、別枠で考えた方が良いかもしれません。 : おっしゃるとおりです。 今回のご質問に関して「一般性を欠く」かどうかを、美化語について論じる場では、おそらくないでしょう。(焦点がぼやけるので) >書類作成行為に焦点を当てたら、「請求書」「見積書」「領収書」で区別は無くなるはずで、更に言えば、権限のある人(上司や裁判所など)が出す「命令書」なども請求書と同様(「御」を付けるならつける)ということになるでしょう。 : 私の表現不足で、やや誤解があったようです。 書類作成行為に焦点を当てたのは、『この行為自体は全く「こちら側だけ」の行為』なので、一律に「お・御」は不要、という解釈が可能である、という立場もあるかもしれない、と考えたからです。 >最早「常識・慣習よる」と言っているのと大差なくなってきます。 : そうではなく、どのような場合に、どのような基準が適用されるのか、に言及しました。 流動性があるわけですが、その流動性を形成している法則があるのではないか、ということです。 私見を再確認させていただくと、「御領収書」のみが不可で、 「お見積書」「見積書」「ご請求書」「請求書」「領収書」はいずれも可。 その理由は、 > 会社の作業としての請求・見積・領収なのか、 > 顧客側の視点に立ったそれなのか、 という理由(動機)の違いによって 流動的であるからで、それが私なりの(仮)理論です。 「常識・慣習による」のではなく、 『その言葉を採用する人間の、その際における心理によって決定される』というのが重要な点です。 というのも、言葉というのは心理から醸成されたもののはずだと考えるからです。 個人的な趣味から言うと、 「お見積書」「請求書」「領収書」がベスト3兄弟ですね。 おっしゃるところの、「金品移動先後基準」という捉え方も面白いとは思いますが、今回のご質問に即した私の論旨は、あくまで、 『この行為は、敬意の対象に向かう行為であるのか否か、という人間の無意識的心理によって「お・御」は取捨選択される』 というものです。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#1です。 > それをまさに謙譲語というのだと思うのですが、「ご説明します」は謙譲語としては間違い(個人的には、謙譲語のできない人が苦し紛れに使う用語)で、「説明申し上げます」となるべきだと思っています。 : 文法には疎いので確信は持てないのですが、「ご説明します(いたします)」は謙譲語として通用するように思います。 「説明申し上げます」も確かに謙譲語なのですが、これは「行為の向かう先を立てる」意味での謙譲語ではなく、「会話の相手を立てる」という意味での「丁重語(謙譲語の一種ですが)」に分類されるような気がします。 ただ、本題とは逸れるようですので、これはさておきましょう。 >敬語の用法は、主語によって区別するからこそ理論的なのであって、金品の移動によって用法が変わるなんて、それこそ不思議なのです。 : ここが根本的な見解の相違につながっているように思います。 文法素人の私が言うのも口はばったいのですが、おっしゃる箇所に関しては、 『理論的に体系付けられていると考えると、「敬語の用法は、主語によって区別する」という理論が絶対的なものとして必要になる。しかし、実際にはそうでない場合もある』 となる可能性もゼロではないように思われます。 つまり、絶対的な敬語理論は確立されていないのではないか、という推論の元に私は回答しているわけです。 むろん、この推論が明確な根拠をもって否定された場合は、素直に肯うつもりです。 それまでは、私の解釈に、どの程度の説得力があるか、ということを当面の焦点にしていただきたいと考えます。 > 「その書類をお預かりいたします」は可でも、 > 「その書類をお受け取りいたします」が不可なのは、こういった理由からではないでしょうか(推測)。 これは、将来返すか否かで決まるということでしょうか。 : そうなりますね。 「完全にこちら側に収められてしまう行為」か否か、ということです。 >行為の向かう先で判断するのは、まさに尊敬語謙譲語なので、それとはちょっと違う理屈だと思います。 : 「行為の向かう先」というのは、曖昧な表現かもしれませんね。 「私が【先生のおカバンを】お持ちいたします」は、 「(私が)持つ対象」が「先生のカバン」。 「私が【社長に】ご説明いたします」は、 「(私が)説明する対象」が「社長」。 ということです。 「行為の対象」が敬うべきものである場合には、自分の行為であっても「ご・御」を使うことができる。とお考えいただくと良いでしょう。 「>違う理屈」とは思いません。 >将来金銭をもらう場合や今何かをもらっても将来返す場合はは美化語を付ける。既に金銭を貰っちゃったら付けない(金品移動完了基準と名付けます)。そんな現金な原理は嫌ですが、あり得るかもしれません。 : 先ほどの金の話はよくわからなかったのですが、この部分を見て、たとえば昨今返済未納が問題になっている奨学金の場合などは当てはまるでしょうか。 学生が6万円の奨学金をもらったとします。 この場合、確かに6万円もらったと領収書(か受領書かはわかりませんが)を(おそらく)発行するのでしょう。 『「完全にこちら側に収められてしまう行為」に関しては、「向かう先が相手側」という論理が成立しなくなる』 と私は述べていますから、返済という点に着目すれば「完全にこちら側に収められてしまう行為」ではないので、 この学生は「御領収書」と書く必要が出てくる。 しかし、返済不要の基金などからもらったのであれば「領収書」と書くことになる。 >それなら、何の対価も無く金や金銭を貰った場合は、より相手を敬わなければならなそうだけど受領証に「御」は不要なのでしょうか。 >そんな現金な原理は嫌 : とおっしゃるのは、このような意味だったのかもしれませんね。 「完全」の解釈になると思うのですが、この場合は、あくまで「領収書」で良いと思います。 入ったお金は自由に使えるわけですから、その時点で「完全」の範疇に入るという解釈です。 >領収書も請求書も物/サービスの対価として金銭を貰うための書類です。ということは、金銭を将来もらう場合には「御」を付けて、もらった後に出す書類には付けないということになり得ます。そんな現金な用法があって良いのでしょうか。 : 最初に「御」をつけた請求書の次の段階として(「御」を付けるとすれば、ですが)、領収という行為が完了するわけですから自然だと思います。 「代金をご請求申し上げます」→「確かに領収しました」 「代金を請求します」→「いや、どうもどうも本当にありがとうございました」 という感覚の差でしょうか。 <続く>
お礼
ありがとうございます。興味深いご回答です。 > 「自分の行為であっても、その【行為の向かう先を立てる必要が場合】は敬語を使う」ということも良く言われます。 > 「私が社長にご説明します(ご説明いたします)」 それをまさに謙譲語というのだと思うのですが、「ご説明します」は謙譲語としては間違い(個人的には、謙譲語のできない人が苦し紛れに使う用語)で、「説明申し上げます」となるべきだと思っています。とはいえ、この辺は正しく、且つ名詞の接頭語にも応用できることにして以下続けてみます。 > 「お見積書」の場合、『「見積もる」という【行為の向かう先】が相手側だから』と考えたほうが良いと思います。 > 「御請求書」も同様に「相手側に向けて請求する」という解釈で可。 > では、「領収する」も「相手のお金を受け取る」わけだから可になるでしょうか。 > 難しいところですが、私としては、「受け取る」などと同様、「完全にこちら側に収められてしまう行為」に関しては、「向かう先が相手側」という論理が成立しなくなるのだろうという気がします。 ここで、難しい問題が出てきます。本来領収という言葉は、金品の受領という行為ですが、金品自体は「完全にこちら側に収められてしまう行為」」であっても、受領という行為は「向かう先が相手側」なのです。敬語の用法は、主語によって区別するからこそ理論的なのであって、金品の移動によって用法が変わるなんて、それこそ不思議なのです。例えば、より複雑なもの(今金を1gをもらって、10年後に金1.1gかプラチナ1.5gのいずれか選んで譲渡する権利など)を受領し、金1gの受領(領収)書を作る場合、どうなるのでしょう。現在の金の移動は自分向きなんだから「御」は不要と考えるのでしょうか。それとも、金かプラチナを10年後の価格を見て選べるオプションをもらったんだから「御」は必要と考えるのでしょうか。敬語の使い方が、そんなに現金でいいのでしょうか。あるいは、「完全におさめない(後で返す)」から「御」を付けるのでしょうか。それなら、何の対価も無く金や金銭を貰った場合は、より相手を敬わなければならなそうだけど受領証に「御」は不要なのでしょうか。 更に言えば、領収書も請求書も物/サービスの対価として金銭を貰うための書類です。ということは、金銭を将来もらう場合には「御」を付けて、もらった後に出す書類には付けないということになり得ます。そんな現金な用法があって良いのでしょうか。 > 「その書類をお預かりいたします」は可でも、 > 「その書類をお受け取りいたします」が不可なのは、こういった理由からではないでしょうか(推測)。 これは、将来返すか否かで決まるということでしょうか。 4. > 「基準1. 原理に忠実なもの」 > に関しては、1で述べましが、【行為の向かう先】であるか否かで判断する、ということになります。 恐らく、行為は常に相手に向かっている(相手が渡す行為が自分に向かい、自分が受領する行為は相手に向かう)ので、金品受領の先後ということかと思います。行為の向かう先で判断するのは、まさに尊敬語謙譲語なので、それとはちょっと違う理屈だと思います。 とはいえ、名詞に付ける接頭語(美化語)の使用判定基準として、そういう原理を打ち立てることは、可能であるかもしれません。将来金銭をもらう場合や今何かをもらっても将来返す場合はは美化語を付ける。既に金銭を貰っちゃったら付けない(金品移動完了基準と名付けます)。そんな現金な原理は嫌ですが、あり得るかもしれません。その点では、基準1は満たしていると思います。 > この原理と合わせて『「その行為を必要としている対象」を敬う必要がある場合』と考えても面白いように、個人的には思います。 それは敬語の一般原則なので、やはり満たしています。 5. 「基準2. 一般性が高いもの」 > a.「御領収書」が不可の理由はすでに述べました。 そうですね。金品移動完了基準としてまとめてしまいましたが、もしそうなら一応説明できます。 続きは補足欄
補足
お礼欄の続き > b.「御朝刊」の場合、「行為の向かう先」云々という範疇を逸れていますので、「美化語」として成立するか否か、という点が問題になるのでしょう。 >私は美化語が成立する基準については知らないので、美化語としては明らかに認識されていないので不可、としか言えません。 これは世間一般の認識次第ということになり、非常に理論としては一般性を欠くと判断せざるをえません。とはいえ、確かに請求と朝刊では同じ名詞でのサ変動詞になれるか否かで違いがあるので、別枠で考えた方が良いかもしれません。別枠で考えて基準を組み立てるか、名詞なんだから同じ基準が当てはまると考えるかは、今後の回答者にお任せします。 > c.「御配達されていますか」の場合は、配達という行為の向かう先がこちら側なので不可、ということになるでしょう。逆に新聞店側が顧客データを「ご配達先一覧」などのように表示するのは可だろうと思います。 「御配達される」は、私がうっかり書いたのですが、名詞の美化語じゃないため、質問から除外します。「御配達先一覧」いついて、「配達」は当然相手に向かう行為なので、その点で区別できません。配達は大抵金品(新聞集配所なら、当月分新聞代金)を受け取る前なので、金品移動完了基準からは説明できます。 6. > ところで、以上は、請求・見積・領収といった行為の面からの視点です。 > 「請求書」「見積書」「領収書」の「書(=書類)」という視点から見ると、「書類を作成する」という行為に焦点が当たります。この行為自体は全く「こちら側だけ」の行為なので、敬語表現は不可、という解釈も全く間違いとは言えないかもしれません。 一応、本質問では、「請求した」書類という観点で見ており、「書」自体に作成するという意味は無いとして考えていました。書は当然誰かが作成するもので、それに美化語が必要なら、最早「御」と「書」は係り結びの法則のようにセットで教育されるべきものになってしまいますが、流石に変だと思うからです。書類作成行為に焦点を当てたら、「請求書」「見積書」「領収書」で区別は無くなるはずで、更に言えば、権限のある人(上司や裁判所など)が出す「命令書」なども請求書と同様(「御」を付けるならつける)ということになるでしょう。 > つまり、 > 会社の作業としての請求・見積・領収なのか、 > 顧客側の視点に立ったそれなのか、の違いによって、「お・御」が採用されるか否かが(無意識的に)l決まってくるように思われます。 >業務本位・明確性・顧客の心境顧慮・曖昧性など、それぞれ一長一短があると考えます。 こう考えると、客とは誰か、客の視点によってどういう基準できめるのか、上記基準1, 基準2ともに非常に低いレベルで満たされている法則ということになり、最早「常識・慣習よる」と言っているのと大差なくなってきます。 以上を踏まえると、金品移動先後基準と言うのは、相当原理忠実的(人間は釣った魚には餌はやらないという欲の原理)でありかつ一般化できる点で、素晴らしい基準なのかもしれません。