- ベストアンサー
自由と神隠し
- われわれは自由であることがこわいのでしょうか?自由意志を持っていたくないと思うほど自由であることがおそろしいのでしょうか?
- 何か・どこかの神隠しに遭わせてくれる集まりへと群れて行くのでしょうか?間違う自由。その間違いに気づいたときにもさららになお神隠しの中に包まれていたいのでしょうか?
- 神隠しに遭ったまま一生を過ごしたいということなのでしょうか?野党に落とされてちっとは目が覚めたのではないかと思っていたら民主党政府を攻める自民党を見ていると上のように思わざるを得ません。なぜもっときちんとこの国の行く末をいっしょに考え合わないのでしょう?
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
こんばんは、先日はどうもお世話になりました。hidocchiでございます。 引き続き でございます。 > ★ただ、過去、領土に足を踏み入れられた際には、強制送還されていました。ですが、通例とは異なる今回の逮捕は関しましては、愚生は疑問を持っております。 ☆ この件にかんしましては 森本敏が解説をしていたと記憶していますが いかがですか? たしか 領土に足を踏み入れたことは 出入国管理法のあつかう問題であってその水際で外へ送り返す。ただし 施政権のある領土において漁船による衝突といった公務執行妨害という事件になると 法律を執行することになるのだと。もしそうだとしたら 取り扱いは異なるかと。 確かに、仰られますように、取扱いは異なるものかと思われます(領土に踏み込み:不法侵入罪; 今回:公務執行妨害)。愚生の勘違いがあり、深くお詫び申し上げます。 ただ、幾分疑念(純粋な法理論ではなく、政治的判断)を持ってしまうところもございます(単なる、気のせいかもしれませんが.....)。 以下には、”聯合号事件”におけます概略を載せております。ただ、当事件は中国ではなく、台湾人によるものでございます。 Wikipedia 聯合号事件 からでございます。 ・聯合号(登録番号:CT3-5816)は台湾台北県を母港とする遊漁船で、16人が乗船し2008年6月10日深夜、尖閣諸島に向っていた。 ・そこで、海上警備中の海上保安庁の巡視船「こしき」は領海侵犯容疑でただちに追跡を開始した。 ・日本側の見解によれば聯合号は小型船であることを利用してジグザグ航行による逃走をしていたが、聯合号が右方向に急転舵した際に「こしき」の左舷船首部が聯合号の右舷船橋付近に接触、午前4時38分に(聯合号が)沈没した。なお、接触時に聯合号の乗員のうち2人が負傷した。 ・石垣海上保安部は6月14日、業務上過失往来危険罪容疑で聯合号船長を、「こしき」の船長を業務上過失往来危険罪及び業務上過失傷害罪の容疑で書類送検した。最終的には、日本側が、海上保安庁側にも事故過失を認めたうえ、損害賠償として3000万円相当を支払うことで和解が成立した。 ・日本ではあまり大きく報道されなかった。 最終的には、日本が折れたかたちとなっておりますが、この文面からは、純粋な”司法”上の解決よりも、”政治的配慮”に重きが置かれたと思えます。 かような過去の事件が過去にあったにも関わらず、この教訓を活かせなかったのは何故? と思ってしまいます。 > われわれは自由であることが こわいのでしょうか? 「自由であることが怖い」と思っていると 愚生は考えております。心の拠り所、さらには、価値観のモノサシがないところでは、絶望状態に陥ってしまうから と考えております。 > 世論がつまりわれわれがわるいのですか? メディアがわるいですか? 以下に、戦前に関するものを載せさせていただきます。この傾向は、戦前にもあったようでございます。 田原総一朗著「日本の戦争」 p.337~338 「だが、どうしてか、わが国は昭和一桁時代も現在も、政党政治というのが、はなはだ評判が悪く、国民の政治家に対する信頼感も決して高くない。いやきわめて低い。相手党を攻撃するために、事実とはかけ離れたスキャンダルの捏造も躊躇せず行うし、また金をめぐるスキャンダルも頻発する。そしてマスメディアは、とくに政権政党を徹底批判するのが、まるでマスメディア自身の「良心」のように考えている。これは現在も昭和一桁時代も全く同じで、政権政党はコッピドク叩かれた。そして、そのことが、国民の政治への信頼をさらに下落させたのであった。 そこで軍部が動き出した。もともと軍人は、軍人勅諭に明記されているように、政治に一切の関わりを持ってはならず、選挙権さえもなく、事実この頃まで、戦争技術者集団として存在し、いささかの政治的野心も持っていなかった。 だが、政党政治への批判が強まり、とくに昭和恐慌に襲われて、農民、中小企業、労働者などの悲鳴の大合唱となると、社会改革、いや政治体制の改革が必要だという思いが、とくに青年将校たちに充満した。そして、ついに「政治に一切関わらず」の一戦を超えてしまった。」 こんなことを申しますと、身も蓋もないのですが、「国民の身の丈にあった政治家しか生まれない」、「国民のレベルを超える政治家は生まれない」とは言われますが、マスコミにおかれましも、その国民(=視聴者)に分相応のものしかあらわれないのか と懸念している次第でございます。暗くなってしまい、誠に申し訳ございません。 最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
その他の回答 (6)
こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。Hidocchiでございます。 > にゅうとさんが うまくこれからの世界の動きを解説してくれたのですが かれは一たん退会したようです。 noname になってしまっています。 とても残念に思っております。以前にも、バナナサンド様のような深い思考をお持ちの方達がおられましたが、早く帰ってきてくれればと願っております(愚生もいろいろと参考にさせていただきました)。 > ☆ 日本人は日本人論が好きでした。よそからどう思われているのか これが気になっていたということでしょうか。しかも おっしゃるように自罰的で自虐的でさえありました。わるいところが知りたい 自分たちのわるいところをおしえて欲しいというような傾向がありました。 概して、日本人は外国人には親切な国民と言われています。おそらく、その背景には外国の方達からどのように見られているか or 見られたいと望んでいるかを、結構気にしていることに起因するものと思っております。 > この質問はしばらくして閉じることにします。 どうもお疲れ様でした。新たなご質問欄にて、ご一読いただければ幸いでございます。
お礼
ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ばななさんどさんをご存じでしたか。そう言えば 声を聞かなくなって久しいですね。 この質問は 無理にでも《神隠し》のことを含めてみようと思っているところが邪道だったかも知れません。 たいへんありがとうございました。お疲れさまでした。さらに精進してまいりたいと思います。
こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。Hidocchiでございます。 > * わたしはたとえばニヒリズムという場合にも そのニヒルの底の底までたどりついて さらにその底を突き抜けて広い野原 緑の草原に出るのだと思っている脳天気ですが なんとか考えてまいりたいと思います。 ご理解いただきまして、厚くお礼申し上げます。現実を直視した上での“希望”というご姿勢は、愚生と致しましても、ご賛同させていただきます。 そこで思ったのですが、戦前の昭和一桁代、そして、現在、これらに共通するのは、“不況”かと推察されます。また、先日の中間選挙のアメリカ民主党の歴史的敗北を鑑みましても、この“不況”の影響は大きいものと思われます(意外と、オバマ氏は重要法案を通してはいるのですが......)。 日本の不動産バブルの頃は、「経済一流、政治は三流」などと言われおりましたが、たとえそんな状況下でも、何とかやってこれたのかもしれません(もちろん、不満点はたくさんあったとは思われますが)。ですが、今日では、状況がかなり変わってしまったものと考えております。 気がつけば、どの先進国よりも早く少子高齢化社会が到来することとなってしまいました(どのような対策を日本がするのかを、各国が見ているといわれています)。おそらく、一昔前までは、護送船団方式で、アメリカに倣え!で、それなりに、どうにかこうにかやってこれたのかもしれません。ですが、そうも言えなくなってしまったものと思われます。ですが、新たな戦略アイデアもなく、ただ、アメリカ式の“成果主義”、“自己責任論”のみが残ってしまったものと考えております。そのせいなのでしょうか、“他罰的”な傾向は、今日強く感じられます(元来は、自罰的な国民だったかと思うのですが)。 駄文、ご一読いただきまして、どうもありがとうございました。
お礼
ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ★ 気がつけば、どの先進国よりも早く少子高齢化社会が到来することとなってしまいました(どのような対策を日本がするのかを、各国が見ているといわれています)。 ☆ なるほど こういう側面もあるのですね つまり世界史的な位置づけにもなるような。 すでに《自由であることがこわい》からさらに出発して みなさんのひんしゅくを買う表題の質問を掲げました。にゅうとさんが うまくこれからの世界の動きを解説してくれたのですが かれは一たん退会したようです。 noname になってしまっています。 あるいは 一昔前までは フロンティアがあったからという見方も こまあすさんから出してもらっています。 その結果はと言うと ★ ですが、新たな戦略アイデアもなく、ただ、アメリカ式の“成果主義”、“自己責任論”のみが残ってしまったものと考えております。そのせいなのでしょうか、“他罰的”な傾向は、今日強く感じられます(元来は、自罰的な国民だったかと思うのですが)。 ☆ 日本人は日本人論が好きでした。よそからどう思われているのか これが気になっていたということでしょうか。しかも おっしゃるように自罰的で自虐的でさえありました。わるいところが知りたい 自分たちのわるいところをおしえて欲しいというような傾向がありました。 変わりつつあるのでしょうね。 この質問はしばらくして閉じることにします。
補足です。 >《神隠しに遭ったまま一生を過ごしたい》という選択を 引っ切り無しに じつはその場合もおこなっている。とも見られます。 《神隠しに遭ったまま一生を過ごしたい》というのは、判断を放棄して楽になりたいという欲望ですから、私の述べている「選択」ではないでしょうね。
お礼
つづいてです。 ★ 《神隠しに遭ったまま一生を過ごしたい》というのは、判断を放棄して楽になりたいという欲望ですから、私の述べている「選択」ではないでしょうね。 ☆ おっしゃるとおりですし 同じことが見方を変えればこうなります。つまりそれは 《負の選択》であるとなるのではないか。こういう詭弁をわたしは弄しているのです。 だって 自殺行為も ひとつの判断ですしそれを選択するという意志行為です。マイナスのものですが 大きくは人間のおこなう自由意志による選択であることに変わりありません。 ということは マイナスをプラスに転換するだけで ひとは 自由意志の所有者に成り得ると言えるかも知れません。それほど長いあいだを待つ必要もないかも知れません。 うんぬん。
お礼ありがとうございます。 > ☆☆(趣旨説明) 神隠しに遭ったまま一生を過ごしたいということなのでしょうか? ☆ の問いに対する答えが しかり ということになりますか? そこまで言うと言い過ぎですか? 正確に言えば、感情を動機とした言動を一生したいということです。 そして、そうした言動の結果としての手も足もでない状態は神任せ(リセット)にしたいということです。 > ☆☆ 間違う自由。 / その間違いに気づいたときにも さらになお神隠しの中に包まれていたいのでしょうか? お馬鹿な方ほど、でしゃばりで間違いを認めようとしない傾向があります。 ですから、間違いに気づいたときは、既に混沌の極みでしょうね。 だから、神隠しの中に包まれたいのではないでしょうか。 >《神隠しに遭ったまま一生を過ごしたい》という選択を 引っ切り無しに じつはその場合もおこなっている。とも見られます。 社会や個人に余裕があるときは誤った行動も吸収され、問題が表面にでません。 そういう時期は、感情のままに気ままに行動し「自由意志(実は欲望)最高!」と傲慢になるのですが、問題が表面化する時期になると、本当の意味の自由意志を放棄します。 結局、自由意志と欲望をご都合主義で使い分けているだけですから、最初から最後まで「選択」などしてないわけです。 > ○ なぜ国会議員までが このような《みづから手足を縛った状態にあること》を続けているのでしょう? 国民の代表だからですか? つまりその国民がみづから精神の手足を縛って黙々と仕事をし生活をしているのに 自分たちだけが 自由な行動をすることは出来ないと思ってなのでしょうか? 有能な方が活躍できるのは、大部分の人間が「お手上げ状態」、口先すらも挟めないほどの自分たちの能力に対して失望し、カリスマを選ぶ能力すら絶望した、ほんのわずかな期間です。 > ○ 自由意志を持っていたくないと思うほど 自由であることがおそろしいのでしょうか? 正確に言えば、自分の中に欲望があることが悦びと同時におそろしいということです。 自由意志と欲望を取り違えているだけです。殆どの人間は自由であった事などないでしょう。 > ○ それでもその《集まりと群れ》を率いる人びとは 積極的な判断と選択をするのではないか? なぜ それすらないのか? >わたしの言いたいことは 共同自治をまかされている人間たちなら 積極的な判断をしているはずではないか? 低いレベルでは、率いる人びとも自由意志の経験がない。 高いレベルでは、百年単位で考え、機が熟すのを待っている。 高いレベルの人間は、自由意志の経験があるので、無理なものは諦め、可能な事柄を動かし対象をコントロールします。 ですから、今は下積み・地ならしをされてらっしゃるのではないでしょうか。
お礼
なああんだ にゅうとさん わたくしとまったく同じ見解なのではないですか? まづは ご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~~~~~~~~ ( a ) 高いレベルの人間は、自由意志の経験があるので、無理なものは諦め、可能な事柄を動かし対象をコントロールします。 ( b ) ですから、今は下積み・地ならしをされてらっしゃるのではないでしょうか。 ~~~~~~~~~~~~~ ☆ ( a )も( b )も 表現こそ違え わたくしの述べていることと同じ内容でしょう。 弱腰外交も それとして人間の自由な選択であると堂々と言えるはずですし これを誰もがまづは前提としては 認めなければ話はその先へすすまないということ。そして いまは憲法のもと――しかもその内容は おおむね日本人の思いを表わしていると思われる―― 狭き門より入りすすまねばならない。 * ちなみに 韓国は 今度北が非道なことをやったら 対価を払わせると言っていますね。こわいですね。こわいと受け取るべきですよね。それとも アメリカと中国が この点だけは協力して戦闘を開かせないでしょうか。 ★ 低いレベルでは、率いる人びとも自由意志の経験がない。 ☆ ならば ★ 高いレベルでは、百年単位で考え、機が熟すのを待っている。 ☆ ということでよいでしょう。俟ちましょう。じっくり俟ちましょう。世界を見ても そうかも知れませんし。二十年 五十年 待ちましょう。ひたすら待ちましょう。 あとは 細かい分析のもんだいです。 ★ ~~~~~~~~~~ 正確に言えば、自分の中に欲望があることが悦びと同時におそろしいということです。 自由意志と欲望を取り違えているだけです。殆どの人間は自由であった事などないでしょう。 ~~~~~~~~~~~~ ☆ もしそうであれば たとえばその《欲望》をどうやって満たすか そのことにあたまを使うはずです。多少は 選択肢を持つようになって どれがよいかを判断することもあり得ます。ですから さらにそこから意志自由を伸ばして行くことを願って 俟ちましょう。 ほかの箇所も だいたい同じようですし。・・・ こんなところでしょうか。
例えば、中国という存在に自分の恐怖心を投影したならば、投影した者の選択肢は「戦い」しかなくなります。その時点で、自由意志はなくなるでしょうね。言い換えれば、追い詰められるとも言えます。 ですから、日常的に感情で行動する人間は自由意志を体感したことすらないのでしょう。 自由意志による多彩な選択肢の獲得と結果としての状況の克服を体験せず、感情で動き追い詰められた経験しかない者が選択をカリスマに丸投げするのは自然なことでしょう。
お礼
にゅうとさん ご回答をありがとうございます。 そうですね。ご回答のとどのつまりとして言えば: ☆☆(趣旨説明) 神隠しに遭ったまま一生を過ごしたいということなのでしょうか? ☆ の問いに対する答えが しかり ということになりますか? そこまで言うと言い過ぎですか? ☆☆ 間違う自由。 / その間違いに気づいたときにも さらになお神隠しの中に包まれていたいのでしょうか? ☆ この点では 永久にかどうかを別として しかり ということになりますか? ただし この場合というのは 次のような条件のもとにという限定がついていますね。 ★ 自由意志による多彩な選択肢の獲得と結果としての状況の克服を体験せず、感情で動き追い詰められた経験しかない者が選択をカリスマに丸投げするのは自然なことでしょう。 ☆ そうすると どうなるでしょう。つまり一般的に言っても《丸投げする》ことは けっきょくじつは 自由意志による選択―― しばしばその悪しき選択――ではあります。ということは 《神隠しに遭ったまま一生を過ごしたい》という選択を 引っ切り無しに じつはその場合もおこなっている。とも見られます。 ★ ですから、日常的に感情で行動する人間は自由意志を体感したことすらないのでしょう。 ☆ つまりこのことは 簡単に一般化すれば こうでしょうか? ○ たしかにひとである限り自由意志を持っていて しかもそれを用いて判断し選択をしている。誰もがそうである。しかも ひとによっては 《多彩な選択肢の獲得》を経たうえでの積極的な判断や選択をした経験がなく過ごして来た場合には もはやつねにどんなことについても 消極的にその場の要請を――いくらかは考えることはあっても――ただただ受容するという選択しかしなくなる。その結果つねにそういう《カリスマへの忠誠をともなうかたちでの事なかれ主義》に落ち入っている。 ☆ もしこのまま考えをすすめるならばですが: ○ なぜ国会議員までが このような《みづから手足を縛った状態にあること》を続けているのでしょう? 国民の代表だからですか? つまりその国民がみづから精神の手足を縛って黙々と仕事をし生活をしているのに 自分たちだけが 自由な行動をすることは出来ないと思ってなのでしょうか? ☆ そこで ○ われわれ〔人間は / あるいは日本人〕は自由であることが こわいのでしょうか? ○ 自由意志を持っていたくないと思うほど 自由であることがおそろしいのでしょうか? ☆ すなわちここで結論を急ぐとすれば: ○ 何か・どこかの――少々間違っていてもいいから――神隠しに遭わせてくれる集まりへと群れて行くのでしょうか? ☆ と問うとき それは ○ それでもその《集まりと群れ》を率いる人びとは 積極的な判断と選択をするのではないか? なぜ それすらないのか? ☆ と問えて来るのですが そして これがここでの問いを確認したことになるのですが どうでしょう? つまり にゅうとさんが ★ 例えば、中国という存在に自分の恐怖心を投影したならば、投影した者の選択肢は「戦い」しかなくなります。その時点で、自由意志はなくなるでしょうね。 ☆ という判断をした国民が消極的になるのは 分かったとしても 国の指導者たちが 積極的な判断をしないのは何故か になります。 わたしの言いたいことは 共同自治をまかされている人間たちなら 積極的な判断をしているはずではないか? です。つまりたとえ ★ 言い換えれば、追い詰められるとも言えます。 ☆ の状態で いつも――《暴力装置》にかかわる動きに関しては ひとつには単純に人命優先のゆえにも――へっぴり腰で相手にゆづっているという選択 これも あくまで自由意志の為せるわざなのであり そういうかたちの積極的な人間の判断と行動であるのではないか? こう考えなければおかしいと思います。 カリスマでなくても 付託を受けた人びとであるなら それはつまり乱暴に言えば《丸投げ》されているわけですから 自動機械に落ち入ったというわけがない。《ゆづり合おうとしている》のではないですか? そしてそれは 人間の自由意志による積極的な・堂々とした・誇ってよい振る舞いであるのではないですか? つまり少なくとも 話をそのようなところまで進めて来た上で われわれは互いにさらにこの判断を吟味しあたらしい選択へと見直して行くことになる。 ですよね? (弱腰だからだめだ 柳腰などととんちんかんなことを言っていてはいけないと言っていないで 弱腰も自由な判断にもとづく積極的なひとつの選択であると互いに認めたうえで さらにみんなで見直し考え直して行くのではないですか?)
- blue-555
- ベストアンサー率27% (162/589)
ネット上で活動している一部の自民支持者の異常っぷりを見れば語るまでもないのですが。 http://www.yoronchousa.net/ このサイトでは自民党支持者による偏向が日常茶飯事化してます。 いつ調査しても自民党支持が圧倒的で選挙に負けた年でさえ、投票結果は自民が圧勝するサイトでして 「これこそが真実!」「マスゴミはねつ造している」と言ってました。コメントの異常っぷりも現在の自民支持者がどういった層かが垣間見れます(自民支持者の一部かもしれませんが、こういう層がネット上で頑張るほど自民党そのものにいい印象は抱けません) こういう異常層に支持されてる団体=自民党という図式が私の脳内では出来上がってるので「なぜもっときちんとこの国の行く末をいっしょに考え合わないのでしょう?」とういう問いも自ずとわかると思います。 ただ、現状はどの党であっても政局争いばかりに終始しているイメージはありますけどね。
お礼
ぶるうさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 ★ ただ、現状はどの党であっても政局争いばかりに終始しているイメージはありますけどね。 ☆ まづ このことをわたくしも言いたかったのでした。趣旨説明では 《外交》の案件についてだと指定したほうがよかったかと思います。外交を 政局の争いにするのもどうかという思いです。(むろん 考え方について批判しあうのは とうぜんそうするのですが)。 示していただいた世論調査のサイトで ログインしてまで《コメント》を読もうという気にならなかったので アンケートの結果の数字だけでは分かりがたいところもありますが そうですか そういう片寄った結果が出る場合もあるのですね。 その結果として ★ こういう異常層に支持されてる団体=自民党という図式が私の脳内では出来上がってるので「なぜもっときちんとこの国の行く末をいっしょに考え合わないのでしょう?」とういう問いも自ずとわかると思います。 ★ 自民支持者の一部かもしれませんが、こういう層がネット上で頑張るほど自民党そのものにいい印象は抱けません。 ☆ とおっしゃるところは 分かるような気がします。群れる・あるいは靡くところでは あまり建設的な考えが 見られがたいように思いますから。 そうですね。ここでは《行く末を考える》質問ではないので ここまでとします。ありがとうございました。 * 自由と神隠しのほうの主題については 深めたいとも思います。どうぞよろしく。
お礼
ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 聯合号事件 こんな衝突事件がすでにあったのですか。 実際の経過がもうひとつ分かりづらいですね。ビデオの証拠も取らなかった(取れなかった)のでしょうか。次の箇所も引用に加えておきたいと思いました。 ▲ (ヰキぺ:聯合号事件) ~~~~~ ・・・書類送検した。そのため、日本側は双方の不注意による海難事故とみなしていた。 なお乗船していた16人うち13人は台湾のパトロール船「台中」が迎に来て台湾へ帰還したほか、船長ら3人は日本当局の取調べの後那覇市の那覇空港から空路帰還した。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 《双方の不注意による海難事故とみなした》――事実経過の実証がむつかしかったのでしょうか。 ★ ただ、幾分疑念(純粋な法理論ではなく、政治的判断)を持ってしまうところもございます。 ☆ いくぶんかの疑念ですね たしかに。でも領海内でもありますし。 あぁ なんとか言っていましたね。領海内でも無害航行なら 自由だとか。潮という人だったと思います。止まっていたりうろうろしていたりすると 取り締まることができるとか。 でも明らかに日本側は折れているという印象ですから いくぶんかは疑念がたしかに残ります。 それにしても台湾も 強硬ですね。ここまでとは想像できなかったです。 さらにそれにしても 領土問題を起こす歴史上の根拠や論拠はいったい――あちらでは――どうなっているのでしょう? さらに見守りたいと思います。 ★ 「自由であることが怖い」と思っていると 愚生は考えております。心の拠り所、さらには、価値観のモノサシがないところでは、絶望状態に陥ってしまうから と考えております。 ☆ 《自由であること》を 少なくとも戦後すぐのころには――民主主義だと言って――大いに喜んだと思っているのですが 次の田原の情報を読み合わせると どうも悲観的な結論に傾きますね。 ◆(田原) 相手党を攻撃するために、事実とはかけ離れたスキャンダルの捏造も躊躇せず行うし ☆ 煙ではなく火を しかも事実にもとづく火を暴露するようであるとは思っていました。《事実とはかけ離れた》というのには 残念な思いです。 ◆ そしてマスメディアは、とくに政権政党を徹底批判するのが、まるでマスメディア自身の「良心」のように考えている。 ☆ ううーん。あらためてこの種の情報に接しましたが たしかに自分たちで国をよくしようという気持ちは ないのでしょうかねぇ。批判するのにも これこれの基礎を批判の相手とも共有しつつその上でするのだといった説明を添えるといいかとも思うのですが。 ◆ そして、そのことが、国民の政治への信頼をさらに下落させたのであった。 ☆ ともかくテレビの影響は 一般に理屈抜きで大きいと思います。昔風に言えば これでは人びとの心が荒廃もしようぞと思います。 ◆ そこで軍部が動き出した。 ☆ これはオザワ陣営が消えて行かない事由と読めます。 ★ こんなことを申しますと、身も蓋もないのですが、「国民の身の丈にあった政治家しか生まれない」、「国民のレベルを超える政治家は生まれない」とは言われますが、マスコミにおかれましも、その国民(=視聴者)に分相応のものしかあらわれないのか と懸念している次第でございます。暗くなってしまい、誠に申し訳ございません。 ☆ この問題 さらに考えてまいります。突破すべきなのか。それとも いわゆる広い意味での教育――自己教育 相互啓発――を地道に積み重ねていくべきなのか。・・・ このごろはテレビでは 情報番組やクイズ番組が多いように見えますね。 ありがとうございました。 * わたしはたとえばニヒリズムという場合にも そのニヒルの底の底までたどりついて さらにその底を突き抜けて広い野原 緑の草原に出るのだと思っている脳天気ですが なんとか考えてまいりたいと思います。お知恵をお借りしたいとも思っております。