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知性と戦争の関係性について
- 人類の知性と戦争の関係性について、人類学の最新研究から考察する。
- 戦争は人類の暴力の起源と深い関わりがあり、知性の発展とも関連している。
- 人類の攻撃性を抑制する方法についての疑問と教授の回答について考える。
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質問の内容のすべてに回答はできないのですが、 対立する二者のお互いの暴力を抑制できる内容として、 「相互に共通する利益」 が考えられます。 敵対するAとBという二つの個人または集団があったとしても、 互いに共通する接点があれば、衝突は避けられるという考え方 です。 例を幾つか上げます。 第二次世界大戦終了時に、日本はアメリカの支配下に入りました。 過去のドイツとフランスの例を取り出すまでもなく、 アメリカは日本の復讐を恐れて、日本を徹底的に非武装化 しますが、やがて冷戦に突入するとかつての敵国を共産圏 の防波堤とすることを考え、警察予備隊(後の自衛隊)を 創設させます。 また日米安保条約を結び、日本を軍事的に保護するように なりました。 日本も保守陣営を中心として、アメリカと対立するのでは なく共存の道を選び、以後の日本はアメリカの庇護のもと 経済的に繁栄していく結果となります。 アメリカと日本は共通する敵(共産主義国家)を前にして 手を取り合う道を選んだということです。 別の例として、自民党と社会党の連立政権の例を考えます。 自民党は現自由党の党首である小沢一郎の大分断工作によって、 政権の座からすべり落ちます。 しかし自民党は、たしか野中元幹事長が中心だったかと思い ましたが、政権復帰を目指して社会党と手を組みます。 社会党は当時の新進党とそりが合わなかったため、それまでの 敵であった自民党と手を組み、政権奪取に成功し、かねて からの念願であった首相を自党から出すことに成功しました。 ただ社会党から出た村山元首相があまりにも無能であった こともあり、ほどなく社会党も分裂し、後を継ぐ形となった 社民党は再び野党の座にすべり落ちるわけです。 しかし結果はともあれ、55年体制化でずっと対立を続けて きた自民党と社会党も、共通する目標さえあれば連携が可能 であったわけです。
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- ranx
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一人の日本人が「北朝鮮は許せない。やっつけたい。」という 暴力的感情を抱いたとしても、それだけでは戦争は起きません。 一人の日本人が「東アジアの平和のためには、北朝鮮政府は 倒されるべきだ。」という判断を理性的に導いたとしても、 それだけでも戦争は起きません。戦争の主体を社会と呼ぶにせよ 国家・民族・宗教・・・といった名で呼ぶにせよ、それは もはや人類の生物学的特性とは別の次元の存在なのだと思います。 そうした存在も、それぞれに「支配性」を備えているとは 思いますが、それは人類の本姓的な「支配性」とは別次元のもの だと思います。こうした存在も、「支配性」のtoolとして 暴力を用いる。・・・それは確かにその通りですね。 なぜ支配するのか。制御できないものが存在すると危険だからですね。 イスラエルはパレスチナ人の自主的な政権を制御しきれない。だから 暴力で押さえ込もうとする。アメリカがアフガニスタンやイラクを 攻撃したのも、それらを平和的に制御できなかったからですね。 こうしたものに対抗するということは、つまり「危険を受け入れる」 ことなのだと思います。フランスやドイツはイラクの危険性を 許容水準内と認めた。だから開戦に反対した。しかし、危険が もっと大きなものと認めたら、それでも反対したとは思えません。 危険は制御できる範囲に抑える必要がある。それが理性的な判断です。 制御できない危険も受け入れることができたならば、その時は 暴力は止むのかもしれません。しかし、その時「制御できない危険」は 何をもたらすのか-と考えること自体がすでに理性の立場のわけですね。 考えないこと、一種の宗教的立場と言ってもよいかもしれません。 日本国憲法第九条がそうであるように。 理性的であろうとすることと、宗教的(上記の意味で)であろうと することと、nucl2365qさんは、どちらが好ましいと思いますか?
補足
回答有難うございます。人間は複雑な社会を構築していますが、その根源的なところには太古の昔から引き継いできたものが存在するのではないかというのが私の考えです。脳の構造をみてもそう考えられる節があります(教授の考えですが自分はそれは正しいと思っています)。(大脳皮質の秩序性の問題など)。即ちこの社会の構造は大脳皮質の秩序性と極めて相関性が高いということです。脳が人間の知性を司どるものですから当然その解剖学的構造が社会とつよい相関性があるという議論は説得力があると思われます。そして知性は人間のもつ根源的なものに覆いを被せる。よく知性がやる手口です。それにだまされると本質が見えなくなります。人間の心には強い支配性があります。特に男性に強い(男性の暴力性と深い関連があるという報告もあります)。これは文化人類学の研究からも支持されていると思われます。要するに国家、民族等にもその根源に支配性が強く潜んでいるのです。ただ民主政治という権力分散化されたfeedbackの働く合理的なシステムのためそれが先鋭化しないだけのことです。過去、支配性 征服性の強い国家は何度となく登場しています。ただしすべての人たちが支配性が強いというのではありません。しかし一匹の狼は多数の羊を支配します(民主政治ではこの狼が登場しにくいシステムなのです)。その点をよく考えていただけたらと思います。「なぜ支配するのか。制御できないものが存在すると危険だからですね」このことは判ります。しかし人類は理由もなく相手をを支配したいのです。その強い衝動があります。ナチスの場合も経済の観点からも説明はある程度つくかもしれませんがそれだけでは不十分です。ヒトラーの中には明らかに純粋に「支配したい」という衝動がありました(研究上判っています)。それが政治、経済、軍事システムと結合し連動してあのようになったのではないでしょうか。原始的ともいえる強い衝動これは過去ヒトラーのみならず多くの支配者征服者に見られると思います。しかし支配者だけではありません。小さな集団ですらあるのです。社会のマクロからミクロにまで見られるもの。それを私は問題にしているわけです。
- altctrldel
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質問の意味が抽象的過ぎてよくわからないのですが、 「人類の知性は戦争と容易に結びつく」 「人類は利害に関係なく究極の力を希求する極めて 強い願望がある」 具体的にどのようなことをいっているのでしょうか? 人間が社会的に生活するようになったときから ずっと戦争していると思います。知性は関係ないと 思います。 また、歴史上で、利害に関係なく戦争したことが あるとは思えませんが・・・ 第二次大戦後の50年間は多くの国を巻き込む戦争は なく、局地的な戦闘があるだけの歴史的に平和な時代 だと聞いたことがあります。 今後のことはわかりませんが、戦争を避ける傾向に あると思います。理性的に考えれば戦争をして 利益があるとは思えないからです。
補足
回答有難うございます。説明いたします。まず「人類の知性は戦争と容易に結びつく」これはご存知のようにハイテク兵器と呼ばれる存在です。高度の知性が必要です。また過去には核爆弾の例もあります。人類の戦史を紐解くと知性が戦争と結びついたほうが有利に進行します(石器の使用、弓矢から 鉄器の使用 黒鉛火薬 高性能爆薬 ミサイル 核など)。いずれも知能知性の働きがないと達成できません。もうひとつ 「人類は利害に関係なく究極の力を希求する極めて強い願望がある」に関しましては国際上不利益になっても核兵器を保有したがる国があるということです。これこそ利害を度外視した力に対する強烈な希求です。 また「第二次大戦後の50年間は多くの国を巻き込む戦争はなく、局地的な戦闘があるだけの歴史的に平和な時代だと聞いたことがあります」この件に関しましては、確かに平和かもしれませんが局地戦は科学技術の発展のためすさまじいものです。多くの一般大衆を犠牲にします。過去に目を向けますとナポレオンの時のヨーロッパでは確かに多くの戦争がありましたが今日ほど一般大衆を巻き込んだでしょうか。戦禍の拡大悲惨さの拡大にはしっかり知性(科学技術)が手を貸しているのです。平和を維持できるようになったのは理性ではありません。「民主政治」という人間のもつ支配性にある程度feedbackがかかる政治システムを採用しているからだと思います。独裁制ならどうなるか容易に創造できると思います。「理性的に考えて戦争をして利益があるとはおもえない」それ自体は正しいのですがあくまで「民主政治」とい分散化されたシステムでのみこの議論は成立します。
- ranx
- ベストアンサー率24% (357/1463)
人間の(人類の?)本性的な暴力性を戦争に直結させる論理は かなり乱暴なものだと思います。現代の戦争は確かに人間の知性 (理性?)の営みの帰結だとは思いますが、それは理性自体の 論理によるものであって、人間の暴力性が原因とは言えないと 思うからです。人類の持つ暴力性支配性を抑制するものも 知性です。知性・理性は、それ自体の論理に従って、暴力性を 抑えもし、また利用したりもするのだと思います。
補足
回答有難うございます。おっしゃることは判るのですが、講義で最近の脳科学の話を教授がされました。即ち「知性」の部位だけでは人間は無気力になる(臨床例だそうです)。あくまで「知性」は本能の命令を忠実に効率的に遂行する官吏みたいな役割をしているのではないか。私たちが通常理性や知性と呼ぶもの人間性とよぶものの根源はもっと別なところにあるのかもしれないと話されていました。暴力性はどこから来るかという話もありこれは「支配性」からくるといわれました。支配性を持つためのtoolとして暴力を用いるのです(もっも原始的且つ効果的なtoolかもしれませんが)。この支配性というのは幼児のときから存在する根の深いものです。勿論動物でも存在します。おっしゃる知性理性は当然支配性の忠実な官吏僕のような気もするのですが。いかがでしょうか。私が問題にしているのは根源的な「支配性」に対抗できるもっと人間の根源的なものはあるのだろうかということです。
- atom31
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回答じゃなくってすいません。 私はアホなんで、あまり難しい文章は苦手ですが、 >本当に人類の持つ暴力性支配性を抑制するものがあるのでしょうか。 という質問は、なにを聞きたいのかが曖昧になってしまっているような気がしますが、そんな事はないですか? もの?システム?暴力性をなくす事? 頭の悪い私にはあまり質問の意味がわかりにくかったので、できれば補足をお願いします。 どちらにしても、「これが正解!」みたいのはどんな意見でも断言はできないでしょうけどね・・・
補足
回答有難うございます。詳しく説明いたします。今日の科学技術は勿論われわれ人類の暮らしを豊かにしています。しかし考えてみてください。核エネルギーが最初に何に使われたか。大量殺戮です。核エネルギーを取り出すのには知性の力が必要です(お猿さんにはできません)。このように知性の力と暴力とは容易に結合しやすいと思います。最近でも精密誘導弾などは優秀な頭脳がければ開発されません。そして残念ながら最新の科学技術はまず軍用次に民生という流れがあります。逆の見方をすれば、知性と暴力が結びつくと支配に有効に働くといえます(これが科学技術が最大限に世界で幅を利かせる理由と思います)。勿論政治制度もありますので断言は出来ませんが。私がわからないのは今後ますます進展する科学技術と暴力とが結びついた場合です。世界が未曾有の破壊に襲われる危機がますます増えます(例えば核拡散化など)。その根源は人の持つ支配性が大きいのではないか。それを防ぐにはもっと人類の持つ根源的なものへ立ち返らないといけない。そこから政治や経済システムを構築しないといけない。でもいったそれがなんなのか。私にはわからないのです。
お礼
間違って違う欄に書きました。申し訳ございません。われわれが根源的な解決法を見出せない今の状況では、選択できうる最大且つ最良の手法のような気がします。有難うございました。
補足
回答有難うございます。「相互に共通する利益」 は「共生」の概念と類似する面があると思われます。おっしゃる「相互に共通する利益」の概念をさらに拡張してゆけばそしてそれが人間世界だけではなくわれわれを取り囲む自然系まで拡張することが21世紀の新しい考えのような気もします。参考になりました。