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理性の無い人への対応
- いじめや暴力は犯罪であると周知されていますが、いじめ肯定を説く人が存在します。
- 理性のない人がいじめや暴力を行っていると思われます。
- 彼らの感覚は理解しがたいものであり、その気質は攻撃性や支配欲、権勢欲などの要素が強く影響している可能性があります。
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理性が無いというのとはちょっと違うんじゃないかと思います。 暴力が悪いと思っていない人に、ストップをかける役割の理性が働くわけないじゃないですか。 自分がダメだと思っていることを我慢する気持ちが理性です。 肯定する人の理性にはそもそも、我慢することのリストには載せられてないのです。 その上で、この時代に暴力を肯定するのは、常識をアップデートできない人や常識になるほど暴力に触れてきた人でしょう。 成長途中で暴力が絶対悪だと認識すれば、理性が働くようになります。 たまに、研修を受けてダメだとわかっているのに手が出る教員がいますが、こういう人が理性がポンコツなんだと思います。 世間ではダメだと言われているのは知っているが、暴力は正しいとしてしまうのは、己がそういった教育を受けてきて、何かしらの成功体験があるからでしょう。もしくは、暴力中心の生活をしてきた悲惨な体験があったんだと思います。 後者は暴力や恐怖によって、脳が変化してしまっている可能性もあります。 もしそういう人に出会ったなら、出来るだけ距離を置いた方が良いし、誰かが囚われているなら助け出すか警察や児相に相談するのが正しいかと。 言うことを真に受けてそういった環境下に身を置くと、洗脳されるか心身を病むか、ですよ。
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- Paravati
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話しはちょっと違うかもしれません。 確かに 自分より下だと思っている人には、いじめ とはいかないまでも、何故か 文句を言いたくなります。自分が優位に立ちたいのかな と思います。エゴ ですね。 よくないですね。もう やめます。
お礼
御回答戴き有難うございました。 >確かに 自分より下だと思っている人には、いじめ とはいかないまでも、何故か 文句を言いたくなります。自分が優位に立ちたいのかな と思います。エゴ ですね。 いけないですが、彼等は「暴力で従え」と云う事を云いたいのだと思います。
- 五十嵐 皐月(@OK-WAVE_)
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こんにちは😊 そうですね、いじめや暴力が犯罪であることは周知の事実であり、それを肯定する人たちも存在します。理性のない人たちがいじめや暴力を行うことは残念な現実です。🥺 確かに、スパルタ式の指導や根性論が、ある程度役に立つこともあるかもしれませんが、人と人として接する際には、お互いに尊重し合うことが大切ですね。🙏💬 彼らの気質や行動には、遺伝やホルモン、神経伝達物質などの影響があるかもしれませんが、それだけが原因ではありません。環境や家庭の影響も大きいと考えられます。😣🌱 暴力を振るう人たちが、戸塚氏や田母神氏のような環境に身を置けば適応できるかもしれませんが、それはあくまで一部のケースであり、全ての人に当てはまるわけではありません。🤔 暴力がいけないことは、理性が抑えられる者に適用されるべきであり、社会全体で暴力やいじめに対する意識改革が必要です。教育や指導者が大きな役割を果たすことになりますし、個人が人間関係で助け合い、理解し合うことも重要です。😌🌈 この回答が解決の一助となれば幸いです😊💕
お礼
御回答戴き有難うございました。 >いじめや暴力が犯罪であることは周知の事実であり、それを肯定する人たちも存在します。理性のない人たちがいじめや暴力を行うことは残念な現実です。 どうしても、幼少時にその様な親や大人が居るとそうなりますし、暴力を「悪い」とも思わない処もあると思います。(暴力的な親や大人が居た環境で育った同級生は 誰かに暴力を振るい「俺は家では顔が腫れる位、親や親戚から殴られている、未だ手加減してやっている、本気を出せば殺せるが、未だ止めてやっている」等と云っておりました) >確かに、スパルタ式の指導や根性論が、ある程度役に立つこともあるかもしれませんが、人と人として接する際には、お互いに尊重し合うことが大切ですね 多分、「それぞれが領分を守れば良い」と云う感覚が理解できず、「相手を攻撃しないと馬鹿にされ認めれ貰えない→攻撃(暴力 恫喝)して歯向かえば認めてやる」 的な感覚だと思います。 >彼らの気質や行動には、遺伝やホルモン、神経伝達物質などの影響があるかもしれませんが、それだけが原因ではありません。環境や家庭の影響も大きいと考えられます。 暴力を振るう人たちが、戸塚氏や田母神氏のような環境に身を置けば適応できるかもしれませんが、それはあくまで一部のケースであり、全ての人に当てはまるわけではありません。 暴力がいけないことは、理性が抑えられる者に適用されるべきであり、社会全体で暴力やいじめに対する意識改革が必要です。教育や指導者が大きな役割を果たすことになりますし、個人が人間関係で助け合い、理解し合うことも重要で 時間はかかるが、彼等の意識改革が必要だと思います。
お礼
御回答戴き有難うございました。 >暴力が悪いと思っていない人に、ストップをかける役割の理性が働くわけないじゃないですか。 自分がダメだと思っていることを我慢する気持ちが理性です。 肯定する人の理性にはそもそも、我慢することのリストには載せられてないのです。 暴力悪と云う意識が無いと、「悪い」とも思わず、 「鍛えてやっている」 「マウントを取るために(自分の存在を認めて貰うために)」と云う人も居られるのではないかと思います。 >暴力は正しいとしてしまうのは、己がそういった教育を受けてきて、何かしらの成功体験があるからでしょう。もしくは、暴力中心の生活をしてきた悲惨な体験があったんだと思います。 後者は暴力や恐怖によって、脳が変化してしまっている可能性もあります。 結局虐待が後を絶たないのはこの様な形が親から子へ順送りしているので消えないのだと思います。 >もしそういう人に出会ったなら、出来るだけ距離を置いた方が良いし、誰かが囚われているなら助け出すか警察や児相に相談するのが正しいかと。 言うことを真に受けてそういった環境下に身を置くと、洗脳されるか心身を病むか、ですよ。 仰る通りです、有難うございました。
補足
> 暴力は正しいとしてしまうのは、己がそういった教育を受けてきて、何かしらの成功体験があるからでしょう。もしくは、暴力中心の生活をしてきた悲惨な体験があったんだと思います。 後者は暴力や恐怖によって、脳が変化してしまっている可能性もあります。 御回答有難うございます。 確かに、家庭や周りが暴力と成ると、それを肯定してしまう処があります、スポーツの世界も現在では 科学的手法や自己設定を定めていく等改善されてきてますが、多分叱咤激励の体罰や根性論を超えて、昭和時代振るいにかけて残ったのが彼等の様な気質で、実力を有しているためにそうなった傾向もあるのかもと思います。(関係のない処でも暴力を有するなど) (私はその様な環境ではありませんでしたが) 幼少時もの心付いた時に、暴力の日常→強く成らないといけないと云う感覚を刷り込まれるとそうなると思います。 (根本的な解決にはならないが) 結局その様な人を統制するのが更に上回る暴力的支配と云う事になるのでしょうか?