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知性を疑う知性
こんばんは。 修練による洞察の深まりは、必ず昔の未熟な洞察との対面をもたらし なんともいえない恥ずかしさと頼るべき知性への不安さを呼び起こします。 知性を疑う知性は足場を壊すために足場に踏ん張るようなもので 正直、めまいを感じます。 ここに至っては、昨日の自分を打倒するか 知性を投げ捨て直観に頼るか 知性とは別の活動に足場をつくるかせざる得ないと思っています。 その他に何かあればよろしくお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
ぜんぶをすればよいと考えます。 ★ 知性を投げ捨て直観に頼るか ☆ のあと また拾い上げればよいと考えます。 ただ 自分というもの・つまり《わたし》は 社会の中で肩書きをつけるようになるかたちでいろいろ飾りをつけて 実現するのではなく 要らないものをすべて削ぎ落とすかたちで 成るものと考えます。その方向で いろんな方法で試行錯誤して行かれればよいかと思います。
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- hekiyu
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足場など存在しない、と考えればよい のではないでしょうか。 全ては空である。 知性を磨いて、足場を造ったと思っても それは錯覚にすぎないのだ、と。 人間の知性など、その程度のモノに過ぎないのだ と。
お礼
回答ありがとうございます。 ごもっともですが、慣れ親しんだものに幻滅するのはこたえるものです。
NO.3 です。 小回答を拒まれるのもありですが、ご質問されたのですし面白い(単なるレトリックとしてでなく、内容もあるかもしれない)と思ったので回答したまでで、聞き捨ててもらってもいいのです。お互い通じていないようなので補足の意味で書き加えます。 おざわさんのようにつくってはこわし、またつくる、そのうえにのっかってみこしの神体になりたいというひとはいますが、そのみこしは真理でもなんでもないただの諸業無常の軽佻浮薄なにんげんどもなのでそういった現象も生じます。 われわれが頼るべき哲学先賢の諸思想はそんなものではないだろうと私は思っています。 あなたは何をやろうとしているのですか?すべてが疑わしければでかるとのように人間存在の根から再スタートすればいいだけではないでしょうか。 >ここに至っては どこまで行ったのですか?まずその確認が大切だと思います。これまで得たあなたの知見が無駄だったということなら、素直に確かな場所まで戻ればいいだけです。 話がかみ合っていないと仰るのならまた補足を。
お礼
回答ありがとうございます。 前回の無礼な発言は許してくださいませ。 >すべてが疑わしければでかるとのように人間存在の根から再スタートすればいいだけではないでしょうか。 デカルトの我思うゆえにというのは、厳密には存在を証明するものではなく 幻であろうと生きている感覚があるのだから そこから発展させようというプラグマティズム的文脈からの発言であると思っております。 今回の質問に応用させれば、現実に活用できるならば現実としての足場足りえ、それで十分ではないかということと思います。 そういう考えもありかと思います。
- Tefu_Tefu
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こんばんは。 自分を信じて、他人を思いやり、共に楽しむことができれば、自分の成長も確かなものと思えるのかな?(笑) 人は、知性も経験による直観も自分を豊かにしてくれることを知るだろう。
お礼
回答ありがとうございます。
>知性を疑う知性は足場を壊すために足場に踏ん張るようなもので 正直、めまいを感じます 壊れそうな足場に足を置く結果なので自業自得なのでしょう。 背伸びをせずに、まず足元から固めては? >昨日の自分を打倒するか >知性を投げ捨て直観に頼るか >知性とは別の活動に足場をつくるかせざる得ないと 先を急ぐのであれば、どうぞ、ご自由に。 「見る前に跳べ」と仰ったノーベル賞文学者も居られます。
お礼
回答ありがとうございます。 >壊れそうな足場に足を置く結果なので自業自得なのでしょう。 そういうことを言っているのではなく 意見が正しいと判断するのは、有限の能力しかない自分の頭でするしかないわけですよ。 それはどんなレベルの知性でも宿命的に持つ限界なのです。 >先を急ぐのであれば、どうぞ、ご自由に。 会話になりませんね。無理して回答しないでもいいんですよ。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
知ることは楽しい。 それだけだ。
お礼
回答ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございます。 >☆ のあと また拾い上げればよいと考えます。 寒ければ着る。暑ければ脱ぐ。万物流転への対処法ですね。