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苛め加害者の家庭とは?酷い苛めと暴力的な親の関係
- 苛め加害者の家庭では、親も暴力的で相手を支配する傾向があります。
- また、苛め加害者は常に攻撃しないと相手に馬鹿にされると考えている可能性があります。
- さらに、自身が妻子に対しても暴力を振るっており、苛め行為とは思っていないかもしれません。
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なんかいじめの問題を簡単に考えすぎじゃないですか? あまり無理して考えない方がいい。 いろんな情報を混ぜて自分の納得できそうな話を作り上げていそうです。 それよりも、一つ一つの事実を深く知ることだけを考えた方がいい。 いじめ加害者と有名なプロ野球監督を近い文脈で語ることに無理を感じます。 ビッグデータとしていろいろな事例を集めた時に意味を持ってくるのは少なくとも数十や数百の正確なそれぞれの事実が積みあがった時じゃないでしょうか。特に心の問題は。 何冊も何冊もいじめに関する本を読みこんで、それぞれの時代背景を知るためにその時々のエンタメを知るなど幅広い知識を身に付けて、身近な人や自分をよく知る努力で人間を知る努力をしたり、医学的な脳の研究の話を知ったりして理論的な納得を得る話だと思います。
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- yaasan
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人間とは優劣を求めて生きていると言っていいと思います。何かでヒエラルキーの上位にいることで自尊心を保っている、そういうことだと思います。多くの項目で底辺に近いじゃないか、と思われるような生き方をしている人も自分の考えという強いものを持っているからこそ生きていけるのだと思います。 そして、その中に力(暴力)というもので自尊心を保つ人がいるのです。力ですから、人のために使うなら有益なことも多いですが、自分のためにしか使わないなら、こんな嫌なヒエラルキーはなかなかないと思います。だけど、それでしか自尊心が保てない人が一定いるのですよ。 その教えというか、感覚というか、それが親から子に伝わって、間違った発揮の仕方をしてしまうケースの如実な出来事がいじめだということです。 その後のことは間違っていると思います。指導に暴力がついても問題視されていなかった時は特に意味のある相手のために振るう暴力であったということです。昔からそれだけでなく、自分のために振るう暴力も指導の一環というごまかしで含んだことと、今の時代になって、暴力が相手のために振るう行為であると感じれる人が激減したために、全ての暴力が全て悪というくくりに収められたということです。 昔は振るっても問題ない暴力と問題のある暴力と分けられていた。次第に境目が曖昧になってきた。相手のために振るってる暴力を理解できる人が減った。最終的に暴力は全て悪という括りにして簡素化させた。という流れかと思います。体育会系とか野球とか、そんなに関係あることではありません。
お礼
ご回答有難うございました。 私は(その組織)でやっていけないので駄目だと思いましたが、それはその組織の考えであり、合わなければ別の道がある、それを認めない人の目を気にし過ぎて居た様な処がありました。 理不尽と思わなければあっている 思えば合わないと云う事かと思います。
補足
ご回答有難うございました。 ≫特に意味のある相手のために振るう暴力であったということです。昔からそれだけでなく、自分のために振るう暴力も指導の一環というごまかしで含んだことと、今の時代になって、暴力が相手のために振るう行為であると感じれる人が激減したために、全ての暴力が全て悪というくくりに収められたということです。 確かに、暴力はいけないが、相手の為を思い振るう暴力 (体罰)と云うのはある、唯人により受け取り方が違うと 思います。(そこが相撲部屋や運動部の問題も出ているのではないかと思うのですが) しかしながら、私の同級生も小中学時代在籍していた スポーツ少年団や部活動で「鍛える事を超えて」 「意味の無い苛め 暴力」をしており、担当の先生に 「鍛えてやっているのに耐えれない奴が悪い」 「俺は家でそうやって鍛えられた」と云っておりました。 当時(1980年頃)私自身罰則としての体罰(忘れ物等の ペナルティ正座 走る 軽い体罰等 苛めを止めない生徒 への体罰 運動等でモチベーションを上げる事等(行き過ぎない限り)は受け容れておりましたが、 彼等(全てではありませんが)を見ていると、 暴力で制するしか 自分を確立する道は無かった様でした。 私は彼等の暴力的な行為が嫌で精神が可笑しく成り、 そこの組織は辞め、学校も暫く(といっても10日位ですが)休みました。(病院で交感神経が可笑しく成っていると診断されました 中学1年の時です) が原因とされる彼は「耐えられ無いあいつが悪い」と 云っておりました。 そして、彼は「俺には逆らうな」それで「お前より弱い奴を苛めたらいい」等と云っておりました。 が相手の為を思うと云うのも人によって違うのではないかと思います。 昭和30年代の話ですが、とある強豪野球部の監督が 「ここはこれだけ厳しい事」を示す 「自分に服従を強いる」為に理由も無く(監督からすれば それが理由だそうであるが)顔面を殴り、統制士気を高めたと云われているが、これが耐えられ無い人には 「鍛えてやっているのに耐えられ無い奴が悪い」と云う事も成り立つのではないかと思います。
お礼
ご回答有難うございました。 ≫あまり無理して考えない方がいい。 いろんな情報を混ぜて自分の納得できそうな話を作り上げていそうです。 それよりも、一つ一つの事実を深く知ることだけを考えた方がいい。 それでスポーツ(野球 相撲など)はその人の才能合っての事で、勿論努力(技術的なものを含めて)指導に恵まれるが、たまたま長嶋星野という人間が喧嘩で慣らしたと云う事だったのかと思います。(その辺を誤解しておりました、唯小中高の部活で偶然にもその様な気質の者が運動神経が良く、使えるとなると、(苛めは肯定しないが) 彼等の行動も阻止出来なくなるという事もあるので) ≫いじめ加害者と有名なプロ野球監督を近い文脈で語ることに無理を感じます。 決していじめは肯定しないが、多分その様な人が使えるとなると阻止できなくなっていると思います。 私もそれで誤解しておりました。 彼も幾ら運動神経はあっても中学でも他のチームメイトから信頼はありませんでしたし、高校でも暴力事件を起こし、退学となりましたので、事実を受け容れ、行動する事は大切かと思います。 ≫ビッグデータとしていろいろな事例を集めた時に意味を持ってくるのは少なくとも数十や数百の正確なそれぞれの事実が積みあがった時じゃないでしょうか。特に心の問題は。 仰られる通りです。 私はたまたまその人がその気質だったという事で誤解して居た処があります、やはりそれで此方が傷つけられたら、 相手がその様な気質でも対応すので良かったのだと 思います。 ≫。何冊も何冊もいじめに関する本を読みこんで、それぞれの時代背景を知るためにその時々のエンタメを知るなど幅広い知識を身に付けて、身近な人や自分をよく知る努力で人間を知る努力をしたり、医学的な脳の研究の話を知ったりして理論的な納得を得る話だと思います。 仰られる通りです。一方的な側面で見ておりました。