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仏のような心

私は無宗教ですし、入る予定もありませんが、 人には2通りの行き方があると思うのです。 一つ目は人と争ったりすることで、自分探しをしたり、自分を高めたりする生き方。 もうひとつは、無条件で人を受け入れ尊重し、そうすることで自分を成長させる生き方。 どちらがいいというのではありません。 ただ、私は後者のほうを目指したいのです。 現実にもそんな人に近い人が自分の周りに少しいます。とても尊敬しますし、自分もそうあるべきだと思い知らされます。 今、もっと後者の部分で自分を伸ばしていきたいのですが、何かいい方法をお持ちでしたらよろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.9

No.3です。補足をかねて。 No.6の方が回答されたように、確かに先に紹介した三条件は、面接などの場面設定がなければ難しいですね。 私の周りのカウンセラーにも、仏様のようなひとはいません(そうなってほしいとは思いませんが)。カウンセラーという役割、あるいはカウンセリングという場面設定だからこそ出来ることですし、その上ですら困難な作業だと理解しています。 ただtomjerryさんが、無条件で人を受け入れ尊重し、そうすることで自分を成長させたい、またその部分で自分を伸ばしていく方法について知りたいのであれば、先にあげた三条件をその困難さを含めて知ることは無駄にならないでしょう。 質問を改めて読むと、tomjerryさんの尊敬できるひとへの憧れがあるように思いました。 そのような人が身近にいるのは素敵なことですし、自分自身も触発されてそうありたいと思う気持ちはこれからも大切にして欲しいです。 人とかかわって苛立ったり、嫌な気分になったりということは避けられないでしょうが、そのような気持ちになっている自分自身を含めて、出来る限り受けいれていく生き方はありえると思います。

回答No.8

 はじめまして。きりん先生です。  参考までに。  「作文」を小学六年生に書かせたところ、一人だけ、○○くんは仏様のようだ!と、言われるような人に成りたいと書いている生徒がいました。

  • sowow
  • ベストアンサー率20% (18/90)
回答No.7

なにが自分の人生の成功か? とゆう問題だろうと思います。 なるべく争うことなく進む道も在るでしょう。 その方法はよくわかりませんが(スイマセン・・) たぶん仏のような心の持ち主は、「人がなぜそうするのか」がよくわかってるんだと思います。 だから許すことができる。 この辺がポイントだと思います。 ただ例えば、自分を殺しにきた者まで許すわけにはいかないですよね。 宗教に入り、来世を信じるとかしない限りは、、 逆に争ってるだけでは単なる早死にでしょう。 頑張ってくださいね。

回答No.6

メンタルヘルス関連の仕事をしているものです。 残念ながら、 「無条件で人を受け入れ尊重し、そうすることで自分を成長させる生き方。」 という生き方は人間には無理があると思いますよ。 自分に価値観があり、自己防衛の本能がある以上、 自分と価値観が会わない人には、「怒り」という感情がわきますし、また害をおよぼされたり、傷つけられたりしても「怒り」という感情がわいてきます。人間は残念ながらそういうふうにできていると思います。 ただ、高い自己統制と訓練等によって、「怒り」という感情を意識しないことは可能だと思います。でも、「怒り」という感情は、心の中に必ず存在します。この場合は「怒り」という感情を抑圧し、心の中にバリアを作っているだけです。 人は、怒りを感じるとストレスになりますので、ストレスを発散するための行動を行なうことで、自分の内部に「怒り」をためないのです。 怒りを感じることは、悪いことでもなんでもなくて、自分が生きていくために必要不可欠なものです。 では、「怒り」を溜め込むとどうなるか、、、、 私の経験からいくと、「心」「身体」「行動」のいずれかが必ず異常をきたします。 人間という生き物に生まれた以上、その生き方は不可能だと思ってください。 No3の方が、カウンセリングのことを書かれていますが、カウンセラー(来談者中心療法)が無条件の肯定的関心、共感的理解を行なうのは、「カウンセリング」というある特殊な時間内だけのことです。 私も、多くのカウンセラーさんを知っていますが、普段は極々普通の人ですよ。心を扱う仕事をされているので、自分の心の状態にはとても敏感で、自分で自分のケアをすることを怠っていないようです。 貴方が目指しておられるような生き方をしているカウンセラーの方は、おられないと思います。

回答No.5

はじめまして。きりん先生です。仏様ではありません。  「無条件に人を受け入れ尊重する。」というのは、確かに「仏様」ですね。  こういう話があります。  ガン患者がいました。助かることはありません。本人も知っています。一人は、自然科学・現代医学に頼り、必死にガンと戦いました。二人目は、自分はもう死ぬんだと、投げやりになりました。そして、死の準備をしました。三人目は、ガンであることを、自然に受け入れガン治療を受けながら、今までと普通の生活・仕事をしました。  一番長く生きた人は、三番目の人なんです。  お話を読みながらそんなことを思い出しました。  自然に「現状」を受け入れるということは、人為を超えているような気さえします。

回答No.4

いますね、そういう人!!っていうか、友達にいた~!!(>o<)「え、今までにムカついた人とかいないの?」とか聞くと、「う~ん、いないなあ」って・・。 「うそだ~!!」って私はモチロン叫びましたけどね。心が真っ黒なので(笑)。でも、ホントに人に嫌悪感とか持ってない人でしたね・・。 というわけで、私は人の意見と衝突するか、不干渉であるか以外に人生の送り方を知らないタイプの人間のようなので(^-^;)、参考になるかどうかわからないですが、 人を受け入れようとするということは、それに反発しようとする自分を見つめ直すということだと思います。 何で嫌な気持ちになるのだろう?とか、 何でそういうふうに自分はなれないか?とか。 人と接する時に、こういうことを考えていれば、何か見えそうな気がします。

回答No.3

無条件で人を受け入れ尊重し、そうすることで自分を成長させる生き方ですか。 なかなか出来るものではないでしょうが、目指す甲斐のある生き方かもしれませんね。 参考になるか分かりませんが、 カウンセリングでの仮説で、『人は「受容」「共感」「自己一致」の三要素がそろう関係で成長する』というものがあります。 つまり、相手を批判する前に、まずありのままのその人を受け入れることが、成長には欠かせないという事です。 その上で、相手の思いや感情を自分のことのように感じられ、なおかつ思いや考えと実感にずれがない状態が望ましいと考えられています。 これらについては、西光義敞「暮らしの中のカウンセリング」(有斐閣)や、「ロジャーズ選集上・下」(誠信書房)などが参考になるでしょう。

  • chapanese
  • ベストアンサー率33% (704/2118)
回答No.2

tomjerryさん、こんにちは。 「なかよくけんかしな」ってうたっちゃいます♪ さて、御質問ですが、無条件で人を受け入れ尊重し、そうすることで自分を成長させる これができる人ってなかなかいませんね。 そしてそうしようと心がける貴方もまたそういうやさしい、広いお心なのだとおもいます。 わたしは本、仏教とキリスト教両方の観点から見た生き方や考え方についてのエッセイを読んでいます。 仏教は五木寛之、キリスト教は遠藤周作の作品を読んでいます。「生きるヒント」をはじめ、自分もかなり救われた部分ありますよ。そこから何か自分でヒントを見出すことではないでしょうか。 他には瀬戸内寂聴(仏教)、三浦綾子、曽野綾子(キリスト教)の著作もよいかとおもいます。

noname#19855
noname#19855
回答No.1

私も無宗教ですので,あまり良い回答にならないかもしれませんが,私の考えは「欲張らず,困っている人がいたら手助けをしてあげる」事ではないでしょうか。 毎日,小さな事ひとつでもいいと思います。何か人の役に立つような事をしていけばいいと思います。 例えば,街を歩いていてゴミが落ちていたら拾ってゴミ箱に捨てるだけでもいいと思います。 毎日のちょっとした良いことの積み重ねが大切だと思います。 怒らず,許し,人を尊重する事は本当に難しいと思います。私もtomjerryさんの周りにいるような人になりたいと思います。

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