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なぜ宗教は尊敬しなければならないのか
日本で宗教の話はタブーの一つだと思います。学校でもなんの議論もないままに宗教は尊敬しなければならないと教えられた記憶があります。 では、本当に宗教は無条件に尊敬しなければいけないのでしょうか?なぜ宗教はそんなに特別なのでしょうか? 僕なりに辿りついた答えは、やはり宗教は尊敬すべきである。なぜなら人々はその宗教を信じていて、そのような人々にとって宗教は自分の存在意義であり、更には自分よりも大事なものであるから。その宗教を否定することは彼らの人生を否定することにつながるから、というものです。 一方、宗教だけでなく、その人にとって大事なものはそれが何であろうと簡単に否定するようなことは言ってはいけないのだと思っています。宗教だけ特別に何の議論もなしに尊敬しなければいけないというのはやはりおかしいなとも感じています。 ただ、これはあくまで僕の考えですので、他の方々の考えもお聞かせ願えたらなと思った次第です。よろしくお願いします。
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>宗教は尊敬しなければならないと、、、 宗教(宗派)のなかには、『本尊』というものがあります。 これは、その宗派が「根本尊敬(そんぎょう)」する対象のものです。 しかし、この『本尊』が問題なのです。 「何を本尊とし崇拝するのか(しているのか)?」 でたらめな本尊を信じ、崇拝することほど恐ろしいことはないのです。 日本にある多くの宗教は、「仏意」による「本尊」ではなく、その宗祖もしくは後任の貫首(かんず)が勝手に立てた「本尊」を用いています。 そんなものを拝んでもご利益があるどころか、罰をこうむります。 教主釈尊も「法によって、人によらざれ」と戒められています。 ですから、「宗教」自体は、尊敬する対象にはしてはいけません。 きちんとした教義のある宗教を選択し、行ずることに意味があるのです。
- SCNK
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「つまり、憲法や法が先にあってということですか?話が少し変りますが、多くの人は人を殺したりしないと思いますが、それは法で罰せられるからではないと思います。ただ、現実の社会にはそうでない人もいますので、法は必要なのだと思いますが。」 法が施行される前とあとでは、話が変わります。法が施行された以上、その根拠は法にあります。 「社会に法が必要なのはわかりますし、法の下に行動しないといけないのもわかりますが、ある物事に対して心からこうなんじゃないか、と思うのは法があるからではないような気がするのですがいかがでしょうか? 」 どのように思うかは、個人の自由です。しかし法が施行された後は、心の問題から離れます。 近代法は実定法によります。実定法のないものは実証できません。したがって、個人がどう思うかは問題ではありません。
>日本で宗教の話はタブーの一つだと思います。学校でも >なんの議論もないままに宗教は尊敬しなければならない >と教えられた記憶があります。 教育者が『宗教は尊重しなければならない... 』と教示 する場合、それは憲法の理念『それぞれの国民がそれぞ れに信じている宗教的な自由を国家権力者の弾圧から護 るために、国家権力を不断に監視せよ。』ということで あって、これと『私人間相互でそれぞれの考え方をぶつ け合うこと』は全く矛盾しませんよ。 念押しすると、教育者は公的な立場の人間であり、その 教育者本人の考え方を生徒に押し付けている訳ではあり ませんから、建前として。 braoさんには憲法的な、法的なものの見方、考え方が不 足気味だと思います。 その為に頭の中が混乱しているのだと思います。 もっといえば、道徳上のもの、法理論上のものの両方が 教育者の教示のなかに含まれていることにも注意して ください。
- SCNK
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「もう少し詳しく教えていてただけますでしょうか?気持ちの上での自由ですか?それとも言動もまた自由だとお考えですか?」 言論の自由がありますから、原則自由です。ただし刑法の侮辱罪にあたる場合もあります。どの程度がというのはあいまいです。侮辱罪は親告罪なので相手が告訴しなければ罪になりません。結局のところ法廷において事後的に決定されるでしょう。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 つまり、憲法や法が先にあってということですか?話が少し変りますが、多くの人は人を殺したりしないと思いますが、それは法で罰せられるからではないと思います。ただ、現実の社会にはそうでない人もいますので、法は必要なのだと思いますが。 宗教のような議論についても、同様だと考えています。そもそもどうしてそう考えるのかということです。憲法が大事なものだということはわかりますが、憲法でこう定められているから、こうなんだ、という論理は子供のときから疑問に思っていました。 社会に法が必要なのはわかりますし、法の下に行動しないといけないのもわかりますが、ある物事に対して心からこうなんじゃないか、と思うのは法があるからではないような気がするのですがいかがでしょうか?
- jamiru
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学校で言いたいのは 「日本は古来より自然崇拝です。自然を敬ってください」でしょう。 だから八百万の神々を尊敬してください。ってことです。多分。 仏教が席巻したときも自然崇拝は無くなりませんでしたよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 参考にさせていただきます。
- bigskull
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日本国憲法における宗教の自由の場合 宗教も思想信条のひとつだから、法律の範囲内で尊重しなさい(特定の宗教に不公平が生じないようにしなさい)ってことですが… >批判、否定をしてはいけない そもそも欧米の法文化ってのはキリスト教的な価値観に基づいているんですね。わかります?博愛主義です。 議論や批判は許されるけど、否定や攻撃をしてはいけないって雰囲気はあると思います(criticize≠attackて習いませんでした?私はそれを欧米人と日本人のバカの壁みたいな感じで教わったんですが)。 それに歴史的に差別ってものが大変な悲劇を生み出したことがありますからね。それを繰り返してはならないってことでしょう(あちらでは最近ヘイトクライムなるものがはやってるらしいですが…)。 自分と外見や行動が違ったからって不当な扱いをしてはならないし、また不当に扱われる言われもないって考え方、わかります? respectって意味には2つあって一つはadmireと同義、もう一つは権利や心情を損わないように気をつけなさいって言う意味。 この場合のrespectは後者の方 後者の方が尊重って訳されて前者が尊敬。多分。 >#11さん >「私は無宗教ですから。」などというと、あちらの人たちは、一発でその日本人を軽蔑してしまうのではないでしょうか 中には軽蔑する人もいるでしょうね。でもそれはその人が逆になんらかの信仰を持っている人に対して軽蔑したり白い目で見たりするような態度が見透けてしまうからなんじゃないでしょうかね。持っていないとすれば自身満万に自分は無宗教だ!なんてミエ切る必要は無いわけですからね あと日本と欧米での宗教観、宗教層の違いってのもあるでしょうね。日本の場合、文化的に主流を占めてきたのは多神教ですが、欧米やイスラム世界は一神教ですからね。それらが突然パッと出くわした時に、互いに何か相いれない部分もあるのでしょうね。 宗教を嫌って無宗教だと言う人でも、そういう環境で育った人ならこの多神教主流の分化の影響を少なからず受けているでしょうからね 違う人同志がいっしょに生きていくためには、やはり知識を共有したり、慣れを身につけたりしていくしかありませんね
お礼
ご回答ありがとうございます。 >議論や批判は許されるけど、否定や攻撃をしてはいけないって雰囲気はあると思います 日本の学校、社会全般で議論がされていない、批判さえも許されない雰囲気があるのではないかなと思っています。 >持っていないとすれば自身満万に自分は無宗教だ!なんてミエ切る必要は無いわけですからね 宗教の話になれば、自分が何を信じているか聞かれますので、普通に答えているだけです。
- songbook
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それでは、2回目の回答に入ります。 お礼欄を読ませていただき、本当に尋ねたいことがわかってきました。 なるほど、日本と海外では、宗教談義はずいぶん違うのでしょうね、きっと。 あなたの仰ることで、ほとんど正鵠をいていると思います。 日本では、「尊重」という言葉を使っていますが、えてしてそれは、「敬遠」のニュアンスを含んでおり、宗教の話をするときには、いわゆる「バカの壁」を作ってしまいがちなのです。その理由は、下の欄でも述べたとおり、信仰心はその人の根幹に関わることであり、気安く土足で上がりこんで荒らしていくのは、お互いはばかられるのですね。 海外では、(私は勝手に欧米をイメージしていますが)勝負をはっきりさせたい、論争でどうしても優劣をつけたい、という文化が根強いです。たとえその談義がその人の根幹に迫るものであったとしても、優劣がはっきりするまで話し合い(論争)は終わらない。 そうやって、自分の身を守ってきた民族です。また、信仰のことを話題にすることによって、その人の人格や考えを見極めることが出来る、という面も大きいでしょう。日本人みたいに、「私は無宗教ですから。」などというと、あちらの人たちは、一発でその日本人を軽蔑してしまうのではないでしょうか。「哲学も道徳もないような人など、話をするに値しない。」と。 だから、確かに日本人も、もう少し宗教について語れるようになることが望ましいですね。ただ、日本人はそういうことには不慣れなので、すぐに、カルトな世界に引きずり込まれてしまうのではないかと警戒してしまうのです。 逆に外国人が、相手の自尊心をも無視して宗教談義でやりあうのも、どうかと思います。相手の哲学に耳を傾ける余裕、しなやかさこそが大切なのです。
お礼
再びありがとうございます。 僕の海外経験も限られたものですので、あまり多くは語れませんが。 僕はいつも無宗教だと言っています。確かに反応はよくありませんが、彼らの反応に対して説明できるだけのものを自分は持っていると思っています。それはしかし、このことについて自分で考えたからだと思っています。学校または社会でそのような考える、他人と議論する機会が与えられたらな、と思います。 私がよく話をしたのは、インド、パキスタン、ヨルダン、タイ、カンボジア、スリランカの国の人達で、イスラム教、キリスト教、仏教の人達です。無宗教に対して反応がよくないのは一神教の人達ですね。彼らからしたら、どうしても神を信じていない人は不幸なのです。彼らからしたらどうしても理解しがたい存在なのだと思います。その為に、神についてよく説かれます。 無宗教の僕からして、神を信じている彼らは問題ありませんが、神を信じている彼らからしたら僕はかわいそうな人間なのです。時に彼らは神を信じることの大切さを説くために、僕の価値観を否定するようなことを言います。しかし、これはやはり神を信じている彼らのロジックからしたら、ある程度仕方ないのだと思います。議論をとことんするという彼らの気質も関係していると思いますが、彼らの信仰の性質にもよるところがあるのだと思います。 ですから、このことで彼らは相手のことを尊重しないというのも少し違うのだと思います。といいながらも、彼らはもっと相手の考え、生き方を尊重しても良いのではと思う時は話をしていて多々あります。 多くの日本人は相手の生き方、考え方を尊重できる考えを持っていると思います。そこは長所であるなと感じています。ただ、宗教についてはもう少し議論をしないと本当に相手のことを理解してあげることは難しいかなと思います。
- SCNK
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そんなことはありません。尊敬しない自由もあります。
お礼
ご回答ありがとうございます。 自分の言葉の選択ミスで申し訳ありませんが、僕の質問は「尊敬」ではなく「尊重」でした。 また、もう少し詳しく教えていてただけますでしょうか?気持ちの上での自由ですか?それとも言動もまた自由だとお考えですか?
- kyujin
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宗教を無条件に尊重しなければいけないのか? というご質問とするならば、厳密には無条件、ではないのではないか、 とも思います。 教義の内容に他人の基本的な人権を侵すような内容があるものは尊重できないのではないかと思います。 例えば、自分の宗教の信者以外の生存を認めないとか。 こういうものでなければ、信教上の事は尊重することが 必要だと思います。 昔、漫画単行本(確か”がんばれタブチ君”だったと思いますが) の巻末に、”借金返しちゃいけない教”というのが出てきて、 「信教上の理由で借金はお返しできません」 なんていう人たちが増える、という漫画が載っていました。 これはありえない例ですが、尊重できるかどうかは、 こういうことがポイントだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 参考にさせていただきます。
>日本で宗教の話はタブーの一つだと思います 有る場面では正当ですね。初対面の人にしてはいけない話題の一つですね(マナーとしてですけど)。 でも、それだけ。気心しれた人とはしてもかまわない話題です(批判しなければ。批判はいけません) >学校でもなんの議論もないままに宗教は尊敬しなければならないと教えられた記憶があります。 尊敬しなくてはならないなんて初めて聞きました。 せいぜい「尊重」位で良いと思いますけど。 もっとも宗教系の学校ではそう教えているのかもしれませんけどね。 僕も無神論者に近いですけど、日本の場合はともかく、 宗教が日常生活にどっぷりつかっている欧米・中東では尊敬対象ではないかなとは思いますけどね。 日本の場合は、何の宗教を信じていても人の勝手です。 その宗教を信仰していない人は信仰している人を蔑視しないで普通に対応すればよいでしょう。 ただ、信仰している人が無信仰者に信仰を押しつけるのはいけません。批判・反発されるだけです 但し日本でテロ等関係ない人を巻き込む宗教は僕は蔑視しています(旧オウム真理教等ね)
お礼
今、みなさんからのご回答を拝見しております。 Hiroki226さんはじめ、みなさんから尊敬ではなくて、尊重ではないかというご意見いただいておりますが、まさにその通りです。ただ単なる私の言葉の選択のミスです。ああ、とても恥ずかしいです。 僕は今海外にいるのですが、実は、この質問を投げかける直前に、ムスリムとキリスト教徒と宗教についての話をしていて、respectという単語を使っていました。それを日本語にしたのですが、僕の言いたかったのは皆様のご指摘のとおり尊重でした。間違ってしまった言い訳ですね。すいません。
補足
今後、もしご回答いただける場合には、質問の内容、尊敬でなくて尊重としてお答えください。 大変失礼しました。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 >braoさんには憲法的な、法的なものの見方、考え方が不 足気味だと思います。 いいえ、憲法や法が変だとは思っておりません。ただ、このようなことを議論するときに、先に法ありき、のような議論には違和感があるということです。