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自分を好きな人の心理。
自分を好きな人の心理。 最近、癒しや自己啓発関連、子育てなどの本を読んだりしていて、 自分を愛する事の重要性を知りました。 私は、自分を好きなつもりでいるけれど、本当は自分を愛せていないんじゃないか?と疑問が湧いて来ました。 種々の葛藤はそこに起因するのでは無いか、と考えています。 自分を好き、愛している、とは、どのような思考・感情で、どのような状態が生み出されるのでしょうか? 例えば、人とぶつかる事を恐れる事無く自分の意見を言える様な人はとても羨ましいです。 そのような人は、人から否定されても揺るがない自分への愛を持っている様な気がします。
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自分の大きさを知ること。 自分ができること、できないことを知ること。 できないところは上手な人に任せていいということを自覚すること。 上手なことは自分に任せてもらう自信を持つこと。 人と比べないこと。 自分の人生は自分にしか生きられないことを自覚すること。 自分にふりかかる火の粉は自分の力で振り払う勇気を常に持つこと。 人を理解すること。 人がその人自身を大切にしていることを尊重すること。 できることを先延ばしにしないこと。 怖いものは怖いと表現しても負けではないことを自覚すること。 身体を壊す前に、限界のサインを自分が理解して対処すること。 自分との対話の時間を作ること。 人の言うことが常に正しいわけではないことを自覚すること。 自分の感性を大事にすること。 「普通」にとらわれないこと。 生まれてきたことに感謝できるような、楽しい思い出をつくること。 自分にあるほくろの位置、癖、思い出・経験、積み上げてきた努力、さぼってしまった事実、など自分が所有する全てのものを一番に理解しているのは自分しかいないのだということを自覚すること。 これらを経験を通して身に付けると、自分の大きさ・等身大で生きることの心地よさにたどり着きます。 そして自分に愛が生まれるとともに、他人に対しても愛が生まれます。 人それぞれその人が一生懸命、自分の足で生きている、お互い頑張ろうという愛。 本当はできることを怠けてやらないと、心の底にある罪悪が自分を嫌いにすることあります。
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私の経験です。 自分のいいところと認識できなかったところを 褒めてもらえたとき/評価してもらえたとき 自信につながり自身への愛情が深まりました。 どんな関係の人でもいいのですが 私は偶然知り合った人でした。 衝突を恐れず意見が言えるというのは 自己への愛というよりは性格によるかもしれません。 衝突もせず自分の意見をやんわり通せる人 というのはたしかに存在します。
お礼
参考になるお答え、有り難う御座いました。
心理のカテゴリーで、自分の経験を話すのは、どうかと思いますが、さまざまな葛藤を乗り越えて、自分を愛せるようになった私のことを、話してもいいですか? 自分を好きということは、自分の不完全さも含めて、それを個性だと認識し、全肯定して、なおかつ前を向いて前進している、といった心境です。加えて、他の人たちに対しても、敬意を払い、どんな個性を持った人であろうと、それを尊重し、その人の成長を見守っていく、という姿勢は欠かせません。 人とぶつかることを恐れることなく自分の意見を述べる、という行為では、ある意味、人と自分との考え方の相違が出てくるわけです。そこでは、自分の意見だけに固執するのではなく、人の意見も尊重すること、それは相手の考え方を受け入れ、そうして自分の意見も合わせてより良い結論を導き出すための、提案であることをふまえたうえの、意見が重要になってきます。揺るがない自分への愛ではなく、むしろ相手のことを思い、場合によっては相手に学ぶところを見つけたら、即自分を変えることのできる変幻自在な自分でなくてはなりません。根底は、自分と人に対する、完璧さを求めない寛容です。 人間というのは、必ず、未完成な部分があります。いわゆる光と影は、聖人でもなければ、必ずあると認識することが重要だと思います。自分に対しても、人に対しても完璧を求めない・・・人は自分のことを棚にあげていろいろというものですが、それは、人は自分と同じ考え方をすべきだ、自分は正しいと、心のどこかで思っているからでは、ないでしょうか。だから、むしろ自分の未熟さを受け入れるのが恐ろしいのです。人は、残念ながら自分の感じていることしか認識できないので仕方のないことだと思います。しかし、自分を上等だと思うからこその自分への愛は、劣等感の裏返しであることも多く、破綻します。そうではなく、逆に未熟な自分を受け入れ、認めること、人もまた、そうであることを受け入れ、認めることが重要になってきます。 そこでは、人と人を比べることは役に立ちません。むしろ、個人をクローズアップさせることが、鍵になります。世界にひとつだけの花です。経験上、人というのはあまりにも、常識的な理想というのが、高すぎるのだと感じます。自分に対しても、人に対しても。明るく積極的で、勉強もできて、運動もできて、人柄も良くて、という理想像を子供には押し付けがちで、そこから外れていると子供のことを心配する、というのは典型ですね。学校教育の弊害です。個性が、たった一つなら、この世はとうに滅びてますよ!現実を見て、現実をそのまま、受け入れる。生物多様性ではありませんが、性格多様性がこの社会を支えていること(職種には適した性格がある)を見て、自分なりに自分としてやっていくことが、大切だと思います。 参考までに。
お礼
とても参考になるお答え、有り難う御座いました。 私もそのような境地に到達したいので、お答え頂いた事を参考に、努力して行きたいと思います! 丁寧でとても勉強になるお答え、有り難う御座いました。
- ruehas
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こんにちは。 自分を愛するというのは自分を受け入れることだと思います。それが満足のできる結果であるならば受け入れるのは容易いことです。ですが、世の中全が満足できる結果に終わるとは限りません。 ひとを愛するというのはそのひとを受け入れることです。多少満足できない結果であってもそれを受け入れることができるのは、我々は自分の愛するひとを理解しようと勤めるからです。ならば、自分を受け入れようとするならば、そのためには自分を理解してやらなければなりません。 堂々と自己主張のできるひとは元々自信家ですから、それを難なく受け入れてしまうのだろうと想像します。これに対しまして、質問者さんは自分というものを冷静に評価することができるのですが、それを無条件で受け入れることは中々できません。 人間も動物である限りその選択は必ずや自分の利益に基づくものであり、性格が違うからといって本能的な欲求に差があるというわけではありません。ただ、利益・不利益の価値判断に個人差があるというだけの話です。ならば、結果の良い悪いに関わらず、何びとといえどもそれは自分を愛するがために行ったことに違いはないわけです。ですが、何れの結果であれそれを受け入れなければならないとしますならば、最低でも自分の価値観はきちんと理解していなければならないということになります。 自分がどんな人間なのか知らないなんてひとはいませんが、実は「本当の自分」というものに巡り会うのは人生まだずっと先のことになります。多くのひとが平均してだいたい40代ぐらいです。良く、「40代のたそがれ」なんて言いますよね。 ところが、この「自分探しの旅」はそこで終わりではありません。本当の自分というものを知ったならば、次はそれを結果として受け入れなければならないのです。人生半場で過去の結果の全てを受け入れる、口で言うほど容易いことではないです。その先また何年掛かるかは分かりませんが、少なくともここで本当の自分というものを理解していなければ、それを受け入れるなんてことはどうやってもできないわけです。そのためには、でき得る限りの正直な選択を行い、ひとつひとつ、後悔のない結果を積み重ねてゆくしかないです。果たして、日々の葛藤といいますのは、その日のためにあるのだと思います。
お礼
なるほどです。 お答え頂いた内容、とても納得出来、勉強になりました。 40代で本当の自分と出逢うというのは驚きました! そんなに遅い(遅くても良いんだ、というか。)なんて。 「日々の出来る限りの正直な選択」 して行こうと思います!! 丁寧でとても勉強になるお答え、有り難う御座いました。
- townsppp
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自己愛と社会性は違うと思う
お礼
なるほど、少し混同して居たかもしれないですね。 健全な自己愛を持っている人の心理を、自分とはどのような違いがあるのか知りたくて、お聞きしてみたいのです。
お礼
とても参考になりました。 >本当はできることを怠けてやらないと、心の底にある罪悪が自分を嫌いにすることあります。 そうかも知れません。 挙げて頂いた項目を、自分と話し合ってみます。 仰られた様に心地良く生きられるように日々努力して参りたいと思います! 実践的なお答え、有り難う御座いました!