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何も考えない人の心理
「何も考えない人」の心理がわかりません。 生きていれば考えさせられる事に必ずしも出会います。 なぜ「何も考えない」のか、わかりません。 すみません、人間分析するのが好きでして。 考えた結果 「何も考えない」=「向上心が無い」→「逃げている」 で あってますでしょうか? 何も考えない=逃げている の図式も 成り立つでしょうか? 逃げていることすら 気付いてないのでしょうか? 何も考えない人って あまりにも 自分放棄=関わってくれてる周りの人間への気遣いの無さ と思ってしまい 人間的にひどい(自分を見つめず、自分放棄が) と思ってしまいます。 人間分析ばかりしてすみません。 何も考えない人の親も似たような思考回路でしょうか? それとも できないことがたくさんあったら 挫折感で「何も考えない」思考回路になってしまうのか もともと「何も考えてない」のか どうなのでしょうか?
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- non-chan1090
- ベストアンサー率22% (50/219)
何も考えてない人なんていませんよね。 何か考えないと生きられませんから、質問者さんの「何も考えない人」の レベルがわかりませんが・・・・ 私個人は、考えることも、考えないことも大事だと思ってます。 だって、一番人間の尊い場面って、「無心に何かをすること」ですよね。 仕事でも、芸術でも、人に優しくすることでも、無心から出た時が真実なんじゃ ないでしょうか?
- obrigadissimo
- ベストアンサー率23% (1613/7000)
他の人のことに関して、 詮索・忖度・斟酌を好む人がいますが、質問者さまは そういう類いの人たちとは違うのでしょ。 であれば、直接、その人に訊いてみませんか。 質問者さまが思考を巡らしても正解に辿り着くのは 難しいでしょう。 その人の親御さんにも会ってみましょう。 過去、そうした他の人のことに関して、 詮索・忖度・斟酌を好む人と出会ったことがあります。 《他人の不幸は蜜の味》が口癖で、 商家の3男の人でしたが、 インフェリオリティコンプレックスの強い人でしたけどね。 質問者さまが気になっている、その人は、何も考えないのではなしに、 質問者さまが関心のあるテーマに関して その人の顕著な考えが顕現していない、ということはありませんか。 たとえば、私は、 以前、その日は目的地を定めない旅をしてみようとして ホテルの駐車場を出たのですが私道を出たところが 直ぐにT字路で、そこで、右折・左折のどちらを選ぶか瞬間的に 考えなくてはならなくなりプランが挫折した記憶があります。 そういう次第で、何も考えないとしたら、生きつづけるのが困難だと おもわれますので、その人は、その人で、 考えて暮らしてきているのではないでしょうか。 その人に対して気配り・思い遣りの精神で接している質問者さまに お礼や感謝・労いのアクティヴィティを見せてくれ、という要望を 実現して欲しいという不満の表明が、この質問の主旨なのでしょうか。
- sakura-333
- ベストアンサー率10% (952/8905)
「何も考えない」の程度や場面がわかり難いですね。 >考えた結果 >「何も考えない」=「向上心が無い」→「逃げている」 これは「考えた結果」に至るまでに考えていますね。 考えても答えが出せない難問であるとか、考え続ける事に疲れたとか、今考えるタイミングではないとか・・ 考えている方向が違うというのは確かにありそうです。
- 06280219
- ベストアンサー率33% (1/3)
何も考えない人は何も考えないようにしようという意思でそうしているなら 、それは何も考えていないとはいえないのではないでしょうか。 何も考えないでもそれなりに生きていける人はいると思います。 そのような人は生まれつきある程度の能力が自然にそなわっている人ではないでしょうか。 必要性が無い為に、努力して人格を作ることを忘れ、年齢を重ねるごとに、魅力のない 人間になってしまうのかもしれません。 普通はその逆でなければいけないのでは ないでしょうか。 つまり、年齢と共に少しでも自分の人格をそれにふさわしくするために 努力をし、短い人生の中で、どれだけのことをまなんだかというのが、人生の意味のようにも 感じます。 さて、いろいろ考えることは決して悪いことではありません。 しかしいくら考えても 答えがみえないことや、間違った考えしか出てこないといったことは、誰でも経験が あるのではないしょうか。 いくら考えても所詮、頭でこねまわす程度ではたいした答えはでませんし、出た答えも それほどのものではないものです。 人間の頭の中、心の中、体の中には、われわれが考えつかないような能力、情報などが 無限にあります。 それらをすべて意識して頭で処理するのは無理です。 ではどうすればよいのでしょうか。 頭の中をからにして、心の中の奥深くにあるもうひとりの自分に答えをだしてくださいと 強く念じるようにして、あとは邪魔をしないようにひたすら無心でぼ-としましょう。 そのときは当然、答えはわかりません。 しかしあなたが必要なとき、必要な場所、タイミングで 目の前の問題が一気に解決する習慣がおとずれます。 それが答えです。 それがいつかはわかりません。 でもあなたがこまっているとき、どうしても必要なときに そっと答えをだして、あなたを動かして答えを体験させてくれます。 考えるのは大事です。 でも考えるのが答えをだす事になってないこともあります。 多いに考えて、そして考えないで、答えをつかみ、自分のレベルをあげましょう。 インスピレ-ションを感じたら、すぐに実行してみましょう。 きっと答えにつながる何かがあるはずです。
》自分をしっかりもっていて、流行に流されない人は 羨ましがられ、恨まれることもあるのでしょうか? それも人によると思います 羨ましがられ← したくても出来ない人からは羨ましがられるかも ですが まわりに流されない人は 疎ましがられたりしますよね 恨まれるのは 人を傷つけた場合だと思います でも 自分では気づかないうちに知らずに傷つけてたりしますから 人間は難しいですね これは 確かな答えなんてないけど 日常的に出会す場面で 「え?それは駄目」ってのは みんか共通な気がします 結局 人って自分の生きてきた中でしか 善し悪しをとらえられないから 他の人の観察をして 肯定してゆく気がします
何も考えない人なんて居ないと思います 思い悩んでいる事が 質問者さんとは違うだけと思います
補足
ありがとうございます。 悩んでることが私と違う そうなんですね。 すいません、ありがとうございます。 自分をしっかりもっていて、流行に流されない人は 羨ましがられ、恨まれることもあるのでしょうか?