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昭和十年代の中学生、女学生の生活
昭和十年代の中学生、女学生の生活 昭和十年代の中学生、女学生の生活がどのようなものであったのか垣間見れる資料を探しています。 回想記や小説などジャンルは問いませんので知っているものがあればご教授願います。
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質問者が選んだベストアンサー
入手しやすいのは 『女学生手帖―大正・昭和乙女らいふ』 http://www.amazon.co.jp/女学生手帖―大正・昭和乙女らいふ-らんぷの本-内田-静枝/dp/4309727425 正直資料として偏っているきらいはありますが、川端康成『乙女の港』 できるものなら専門図書館で当時の少女倶楽部や少女の友のバックナンバーを見ると 雰囲気がわかります。
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- palux124
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入手しやすいのは 『女学生手帖―大正・昭和乙女らいふ』 http://www.amazon.co.jp/女学生手帖―大正・昭和乙女らいふ-らんぷの本-内田-静枝/dp/4309727425 正直資料として偏っているきらいはありますが、川端康成『乙女の港』 できるものなら専門図書館で当時の少女倶楽部や少女の友のバックナンバーを見ると 雰囲気がわかります。
- 正親町(@Ohgimachi)
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>昭和十年代の中学生、女学生の生活がどのようなものであったのか垣間見れる資料を探しています。 回答ではなくなってしまうのですが、今の80代の方々がその世代に相当します。 何かの研究、課題ということであれば、実際に生の声を聞かれる(インタビュー)された方が、どれほど優れた論文やレポートができるかと思われます。 私も母親がその世代(昭和初期の生誕)ですので、女学生時代の話、戦争の話など、様々な事を聞かされて育ちました。また祖父が満州に行っておりましたので、子供の頃、満州の話をさんざん聞かされ、今になって どうして記録に残しておかなかったのか たいへん後悔しています(ToT)
お礼
そうですね。祖母は戦中呉に、祖父は原爆投下直後の広島へ人捜しに、記録に残しておくべきかも知れませんね。 ご回答ありがとうございました。
- SPS700
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回想録や詳説は探せばあるでしょうが、当時の状況から見て少ないのではないかと思います。 僕の想像ですが、昭和12年に支那事変、昭和16年に太平洋戦争が始まっていますから、昭和十年代は、次第に戦時色が濃くなって行く時だと思います。 男女七歳にしてという見地から、小学校の初めだけ共学で4年ぐらいから男女別のクラス、その延長として中等教育は、男子だけの中学校と、女子だけの高等女学校に分かれます。 昭和15年に国民服というカーキ色の服が男性の制服のようになり、中学生は夏は白っぽく、冬は黒い制服から、やはりカーキ色の制服になって、陸軍の予備軍の様相を呈しはじめます。 戦争が農家の若者を前線に吸い取りその後を、中学生や女学生が「勤労奉仕」で補う、やがて軍需品の製造工場にも「動員」されて働きに出、英語など「敵性語」の時間が減り、軍事教練、女学校でも長刀などの時間が増える。 娯楽映画や「源氏物語」は「退廃的」で、父は国防色の詰め襟、母はもんぺ姿になる。食料は配給制度になり、米は白米から七分搗き、半搗き米と変る。 その中でも密かに中学生と女学生は人目を盗んで会う機会はある。ま、こんな想像をしています。
お礼
今では全く考えられない程戦争が身近にあった時代、儒教的束縛のあった最後の世代。 戦中の生活模様はそれなりに出てくるのですが、やはり戦前のものは少ないですね。母方の祖母が言うには「事変の頃」はまだまだ景気が良かったと。呉にいた父方の祖母は「戦中が一番景気が良くて楽しかった(笑)」と。 ご回答ありがとうございました。
お礼
なかなか良さそうな本ですね。参考にさせて頂きます。 ご回答ありがとうございました。