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純粋理性批判(Q10)
純粋理性批判(Q10) 悟性のカテゴリーによって認識されるゆえに、我々が経験する対象は現象である、ということだと思うのですが、 「仮像」 の意味がもうひとつよくわかりません。 物自体と現象の違いは(たぶん)理解できていると思うのですが、この仮像についてわかりやすく解説してくださる方はいらっしゃらないでしょうか。 物自体を認識しようとすれば、あるいは、したと思った時点で、それは主観にすぎない、ということらしいことはわかったつもりです。 仮像も主観的と言われていますが、どうも明確に定義できません。
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noname#119332
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お礼
(たぶん)月光仮面な名無しさん、ご回答ありがとうございます。 お陰さまで、大分、理解がすすみました。 一度読んだはずなんですけど、何しろ鶏頭なもので・・・。(-_-;) 天体望遠鏡の精度があまり高くなかった頃、土星には2本の柄があると思われていた、ということですね。 以下、回答してくださったみなさんへの礼儀として、中山訳から抜粋してみます。 --------------------------------------------------------------- (「薔薇は赤い」が仮象でないのと同様に)~、[現象としての土星に2本の柄があると語っても]ここには仮象は存在しない。しかし、そうではなく、わたしが、薔薇そのものに赤さがあると語り、土星そのものに2本の柄があると語る場合、あるいはすべての外的な対象には<広がり>そのものがあると語る場合には、すなわちこれらの対象と主観との関係を規定されたものとして検討せず、私の判断を、この対象と主観との関係だけに制限しない場合に、初めて仮象が発生するのである。 --------------------------------------------------------------- ある対象を、(本質的存在としての)物自体として認識し得たと思うならば、それは仮象である、ということになるのでしょうかね。 mmky さんのおっしゃっていたことに当てはめれば、潜水服を着ていることに気づかないと、対象への認識は仮象になる・・・ということかな。 また、(人である以上)潜水服を脱ぐわけにはいかないから、潜水窓を通しての認識よりできない。 それが現象で、潜水窓を通さずに認識するということが不可能であるところの物自体とは区別される・・・。 これでいいのだろうか・・・。(-_-;) amaguappa さんや、nananisse さんのおっしゃる花火については、 花火自体が美しいと考えると仮象で、美しいという主観と関わるからこそ美しいと認識すれば現象。 花火の実体は当然、不可知、となりますかね・・・。 shift-2007さんの場合、「同一であるような自己とは仮像」というのは、昨日の私を主観的に認識することはできない、ということになるでしょうか。いや、違うか・・・。 仮象の意味が少し広がっているような気もしてくる。 以上、つぶやきつつ・・・。