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こんな哲学的問い、考えました。
こんなの考えたぜ! こんなのあるよ? っていうような、哲学的問いがありましたら、教えてもらいたい。と。 どうですか? ありますでしょうか。 よろしくお願いします。 @哲学的問いは、深かったり、斬新だったり、なにか威容であったり、また異様であったりもすると思います。また、不思議な問いもあると思います。 問いを考えるのが哲学者の力ともいえる時があります。 いろんな問いがありえると思いますが、え?っと思えるようなものでも、ほんと、何でもいいですので。
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- anima-mundi
- ベストアンサー率37% (23/62)
物質は、原子と電子でできています。 では、その大きさとは? 俺たちや、空っぽのがらんどうでできた点の集まりか。 こんな空虚なものが、存在してるっていえるのか。 俺たちゃ、透明な存在を生きている。 死ぬことは、絶対的存在への帰依や。 最も、小さいものが、人間を動かしている。 ホルムンクスが、入っとるんや。 人間を動かしているのは、小さい小人や。 コロボックルや。 素粒子なんかやあらへんで。
- dawasa
- ベストアンサー率35% (19/54)
全てを知ったあとどうしますか。 全てが現実だとしたら人間に想像の自由はあるか。 なぜ「正論」でも人を説得できない(ときがある)のか。 五感以外のきわめて有効な(未知の)感覚器官を考える。 相互に理解し難い「快楽」があるのはなぜか。 (いじめの快感とかぼくには理解できません。彼らにはぼくの読書の愉悦は理解できないかもしれません。おなじ人間なのに) 記録の残っているかぎりの歴史上の人類のなかでもっとも幸せだったのは誰か。(生まれてすぐ死んだ人は除く) バカですか?
お礼
ありがとうございました。
補足
>バカですか? これは、哲学的難問?だ。 バカで(かい)す(い)か。 これなら意味が通じる。 バカというのは、VERYのようなもので、その後がBEだと、かなり存在?という意味になるのでしょうか? バカは、バカをみる。その話がほんとなら、 それはすごい発見というか、すごいことを、「すごさ」の由来、根本を発見するということになります。 それって結構、幸せの部類に入ると思います。 しかも、それが発見できた理由というのが、その発見者がすごかったからという、落ちになる。でも、それが分かるのは発見した後なんです。 バカをみるまでは、そのひとがバカかどうかは分からない。 痛い目を見て、自分が痛い存在だったって事が知れるのかもしれません。むちゃくちゃですね(笑。 バカかどうかより、痛い目を見るか見ないかとか、盛り上がりがあったか、冷めっぱなしか、そこら辺が幸せかどうかの判断基準になりやすいのではないでしょうか。 ・ 全てを知った後は、既にしているという状態を、現実に理解するということ、体現するということになるんじゃないでしょうか。 知ったことをモノにする、いかせるようになるのには、また別の成長があるのだろうと思います。 ・ 以下、いただいた問いを、仮に考えてみました。 >全てが現実だとしたら、想像の自由は在るのか? あると思いますよ。自由は現実にだってあるから。 自由を想像できるかって問いは、また別の話ですが。 >なぜ「正論」でも人を説得できない(ときがある)のか。 受け入れる側の体勢というものがあるので、正論を受け入れるには、やはりそれなりの正しい体勢が要るんじゃないですか?(正論が善と言っているわけではないですが) そのセットを持ち込んの説得で、「正論で説得する」というのではないでしょうか。 説得は、話す側だけの事象ではないですから。 実際はもうちょい複雑でしょう。
- majimekun
- ベストアンサー率20% (14/68)
反対の賛成てなんだろう? 意味が通らないと思います。 反対の反対ならわかります。 賛成の対義語もこの問いで疑問になってきます。
お礼
>反対の賛成てなんだろう? 反対派の意見の中にも、賛成派と同じ意見が見え隠れしているということではないでしょうか。 反対にある賛成と、只のの賛成と、どちらが信用できるかといえば、反対の賛成ではないでしょうか。 なぜなら、反対の賛成は、反対という対立概念によって研磨された、いわば賛成の清栄たちといえるからです。 学問の検証としては、反対の賛成は通って当たり前の肯定といえるかもしれません。 現代では、全認されているものほど、頼りないと思っています。 ご回答、ありがとうございました。 反対の反対については、また話が難しい。 反対に反対ではなく、反対OF反対は、ちょっち難しいのではないでしょうか?
▼モー娘。の存在論 ――→ 藤本美貴の加入を契機に、一人ひとりの人間存在と 自由について考える。ついでに絶対者「つんく♂」についても考える。 ▼哲学は、学問の中心となりえるか ――→ 万物の根源を問う事に始まり、神学や人間学と形を変え、学問の中心的役割を担ってきた哲学。しかし、今日では その地位はホントの所どうなのか――? 哲学者がやっきになって反論すると思うので、意外に困難な問い。 ▼どこまで哲学か ――→ 極端な言い方をすると、このサイトに集められる全ての問いは、哲学カテゴリに入れられてしまう可能性を秘めている。どこまで「哲学」と認めてよいものか――?
お礼
モー娘。 色町に出てそうな看板ですね。(乳がでかい?搾乳可とか。) 学問は病(やまい)たりうるか? というのも問えそうですね。 あえて病気になることでしか生きていけないとしたら、そうありえる。 >・・・認めてよいものか――? 哲学の線引きについては、案外二番目にどうでもいいことかもと、思いました。 ご回答ありがとうございます。
こんにちは。 現に哲学の問題で、いまだに解決できていない問題がいくつもあります。 ・「ある」とはなにか? =そもそも私たちは「ある」という存在を前提としてモノを考えますが、 そもそも「ある」自体は何か? 「ある」の核心は何か? という問い。 フッサール、ハイデッガーが取り組んできましたが、いまだに解決されていません。 ・心(意識)とは何か? =これも、人間は意識している前提で議論を進めますが、そもそも意識とは何か? 心はどこにあるのか? いわゆる心身問題です。 ・世界とは何か? =哲学上問題とされるのはもちろん地理的な世界ではなく、人間を取り巻く システムとしての世界の根源は何か? ということ。これも解決されていません。 「そもそもそんな問いが無意味である」というウィトゲンシュタインの 言語哲学なども登場していますが、いずれにしても課題は山積みです。 最後に私の問い。 ・「問い」とは何か? =問うことや、なぜ問うのかではなく、「問い」そのものとは何か? ……これは充分に哲学的な難題だと思います。
お礼
オーソドックスな問いですね。 問いとは何か? 私の問いとは何か? 確かに、はてなをつけりゃ問いになるって訳ではないですからね。 ありがとうございました。 問うという「行為」があるということですが、問いについて問う。問いについて答える。答えについて問う。・・・・
2番目に重要な問いは、何ですか?
お礼
これいいですね。 ありがとうございます。 「最もどうでもいいことの次に、どうでもいいことはなんですか?」 という問いも、いかにも頭が動きにくそうでいいです。ブービートラップですね。
- beat118
- ベストアンサー率31% (86/273)
最も重要な問いは、何ですか。
お礼
ご回答ありがとうございます。
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お礼
なんのこっちゃと、小人のホルマリン漬け? ・人間を構成しているものは何か?→透明な存在、または小人と、その乗り物(空っぽの点?)。一人間は多数小人達の集合。 ・死ねばどうなるか?→絶対的(濃い~い存在、透明じゃない)への帰依。浸透圧? こんな感じでええんかな?俺の解釈、なんぼおうとんかあやしいな。 ごっつぁんたい。 >素粒子なんかやあらへんで。 素粒紐とか素粒膜とかゆうてるらしいで? 案外小人が暮らしてるかも。まぁ、小人が誰なんかゆうことはあるけど。