逆じゃないすか?
「倫理学」は「哲学」の派生。
あるいは「倫理学」は「哲学」だけど、「哲学」は「倫理学」じゃない、という言い方も可能です。それにしても「倫理学」って面白いと思うけどなぁ…。鷲田清一さんや永井均さんの本、読んだことありません?
ん?
もしかしてStarloveさんは、高校生ですか? それとも大学生? 間違ってたらごめんなさい。でも念のため書いときますが、高校の教科の『倫理』の延長が単純に「哲学」というわけじゃないですよ。もちろん高校『倫理』が「倫理学」というわけでもないです。高校『倫理』には、哲学者の名前や顔、それからこんなことを言ったぞ、なんてことが、いっぱい書いてあって、そこから「哲学」に入門する人もいますが(そういう人が友達にひとりいます)、教科書や用語集一冊読んだからといって(哲学の学説や哲学史の整理には有効ですが)、それは哲学することと本質的に異なります。それにあんな短い説明読んで、プラトンやデカルトの言ってることがわかっちゃったら、プラトンが何冊も本を書いて考えたことが教科書の数行で理解されちゃうわけですから、職業哲学者やプラトン研究者は飯の食い上げですわ(笑)。「この一冊で哲学のすべてがわかっちゃう!」みたいな解説書も同様ですね。
別にStarloveさんが哲学をするかしないかは、自由ですが、とりあえず哲学的な思考をすることはとても大事だと思います。哲学は、中島義道さんなんかは「病気」みたいなものだとおっしゃってますが、そこまでいかなくても、ある事象に対して疑問を抱く力、その疑問を厳密に考え抜く(あるいは考え直す)力ですから、あらゆる学問の基礎には、必ず哲学的な問いが含まれているわけです。そしてそれらはその学問のアイデンティティに関わるとても重要な問いでありながら、たいていはそれらの学問のうちで考えているととてもその学問の主要な研究が先に進まないような問いで、結局、哲学にお鉢が回ってくるわけです。
さまざまな哲学者の本を読まなければ、哲学ができないと言われるのは、僕ら人間は、自分ひとりで何かを考えることはできないからです。人間は脳内だけでなく、身体を使って、あらゆる物や他者たちとの関係の中で考えることをしています。ですから、本を読むことは、哲学をする他者との出会いであり、哲学を始める第二歩目だと思うのです(一歩目は自分が抱く疑問です)。なので高校『倫理』や、もしかしたら「倫理学」が面白いと思えなくても、哲学しようと考えない方がいいなんてことはないと思うので、ひとまず、面白そうな哲学者の本(いきなり難しいのはダメですが)を図書館などで手に取って、読みはじめてみてはいかがでしょう?
おすすめは上記の3人(永井均さん、中島義道さん、鷲田清一さん)と野矢茂樹さんです。野矢さんの『はじめて考えるときのように』は、植田真さんの描く絵も素敵です。それと講談社から出てる『事典 哲学の木』で野矢さんが執筆されている「考える」の項も平行して読まれるといいと思います(『哲学の木』では、永井、中島、鷲田の3氏もそれぞれ「私」「時間」「所有」などで執筆されています)。ん~でも中島さんは、ちょっとくせがありすぎるかな…。ま、でも気が向いたらこの辺からどうぞ。
お礼
丁寧なご回答ありがとうございます。 ご察しのとおり、私は高校生ですよ。 私の知っている勉学の上での倫理は、 授業で習ったものが全てです。 面白くない、というよりは ほとんど理解できませんでした。 でも、これから頑張ってやり直してみようかな…。