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哲学はまだ進歩するのか?
- 哲学は進歩し続けるのか?自動車や文学との比較を通じて考えてみました。
- 19世紀の哲学と比べて最新の哲学は進歩しているのかについて、深刻な問いを投げかけます。
- 新型哲学の理解に時間を使うべきか、それとも19世紀の哲学に集中するべきか、選択を迫られる状況です。
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質問者が選んだベストアンサー
哲学の進歩を議論する上で哲学の定義は重要と思われます。No11さんの『論理脳の限界に挑戦して『人間』そのものを解き明かす』哲学は 論理学的に論理の限界が示されている現在 絶対的なものではなく 個別的、相対的な答えを用意するしかないでしょう。これを進歩という言葉で解釈できるか どうか 大いに疑問と思います。 では その反対に『非論理脳の限界に挑戦して『人間』そのものを解き明かす』としたらどうでしょう。非論理脳とは感覚の世界です。五感の世界に直結している気がします。例えば、音楽であり、絵画であり あります。主張は共感覚に訴える哲学です。時には世界的に大多数の人間が共感することがあるでしょう。進歩は 積み重ね を経て 継続発展するものと思われます。しかし この共感覚は積み重なっていくものでしょうか。質問者と同じように思いますが、私には 感覚は 曖昧であり 一過性的であり進歩は疑問と思います。が 勿論 私の意見であって 、非論理脳の哲学は 考えられ 進歩の可能性 全否定はできないとは思いますが。
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- momonga14
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お礼コメントありがとうございます。 例に出されたニーチェだけでなく、数年前から「あらすじだけを読む古典文学」なるものが出版され大いに売れているようです。音楽はずっと前からそうです。ビートルズやプレスリーが何度も再編集されベスト盤がリリースされるのと同じように、クラシック音楽はバッハもシューマンもメンデルスゾーンも一緒くたにされて売られています。特定の指揮者や演奏会にも制約されずに都合良く、つまり売れそうなものがずらりと並んでます。 これが現代の姿なんでしょうね。もちろん私もその一部なんですが。 あと私も見ますがWikipedia。これも「取り合えずそれがどういう事柄なのかだけは知っておきたい。」そういう「あらすじ」だけは知っておきたい欲求なんでしょう。 最初の回答で政治に限定してしまいましたが、社会科学全般ですね。これって自然科学や人文科学に比べると非常に胡散臭いものだと思うのです。 今やテレビのコメンテーターや「注目の論客」などはほぼ社会科学系の学者ではないでしょうか。 たいてい彼らは驚くほどステレオタイプな人間観を持ってますよ。おそらくニーチェもドストエフスキーも真面目に読んだ事はないと一見して分かります。 このような時代状況を見れば悲観的になるのは必然と思えます。 度々失礼致しました。
お礼
ありがとうございます。 個としての”知の巨星”のような人物は現れなくなって、その意味で個の思索としての哲学は進歩しなくなってしまった。 これからの人類の知の進歩は、個ではなく集団での進歩ということが考えられるかもしれません。 個のレベルは19世紀でとどまっていたとしても、そのレベルの個が巨大な集合になる、多くの人達が19世紀の哲人の視点を共有する、なんてことになったら世界は変わるような気もします。
- momonga14
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過去100年を振り返ると、今後100年間で哲学が進歩するとは思えませんね。 現状を見ても明らかだと思います。 今世間が耳を傾ける様な哲学者はいません。日本でも欧米でもです。 せいぜい読者数千人規模の雑誌を通じて枝葉末節な議論を展開してるだけですね。 例えば9.11同時多発テロが起きた時のテロを巡る論争程度じゃないでしょうか。 でも結局そこで行われてる議論に、多くの一般人は期待も関心もありません。 例えば「脳死」や「安楽死」の問題。 これは極めて現代的な問題だと思いますが、現代哲学はこれらに明確な答えを出しているとは思えません。 文学その他の芸術ジャンルが現代において不毛なのに、哲学だけが進歩し続ける事なんてないですよね。 ここ100年間、人類は政治イデオロギーに知を傾け過ぎたのではないでしょうか。 そうならざるを得ない背景はいろいろあったのでしょうが、一般庶民から学者クラスの知能の持ち主まで、政治に対する情熱はちょっと過剰だったと思います。
お礼
ありがとうございます。 書店に「ニーチェの言葉」という本が積まれています。 ニーチェの著作全体を読む時間が無い現代人に都合よく、各作品の中の文が抽出され、訳者によって分類された格好の本です。 この本、ある書店では、ビジネス書などに混じりながら、売上4位だそうです。 1900年に死んじまったニーチェの言葉を現在のわれわれが(=日本の一般人が)咀嚼し、吟味し、考える。 新型哲学なんか全然いらないですね。やはり哲学が進歩していないと思わざるをえませんね。
- magga
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哲学とも宗教とも科学ともいえないものですが^^; 2250年以上前の御釈迦様の説いた(大乗のことはよくわかりませんが^^;) 倫理・論理・実践・語り方・実証方法・などは現在でも突出して最先端を行っていると思いますし、これを論破するような力強いものも見たことがありません。 宗教ではないかときりすてず一度、パーリ語(御釈迦様の時代の言葉)の仏典を本当に最先端か調べてみることをお勧めします。 スマナサーラ長老やパユットー師の書籍はお勧めです。 長老はポッドキャストも大量にありますね。 仏教は元々、信じるより、納得いくまで確かめるのが推奨される態度です。 仏陀は「師とて信じるなかれ」調べて納得いったら実践してみては。 なんていいますから^^b
お礼
ありがとうございます。 御釈迦様の仰ったこと自体と、それを元に仕立て上げられた宗教・宗派とは、区別しようと思っております。 問題は、御釈迦様の仰ったことが録音されていないことですよね。 仏教の良いところは奇跡を起こした人が出てこない事ですね。 最先端かどうかには興味なく、本物かどうかに興味あるので、機会があれば上座部仏教もおさらいしておこうと思います。
世界・人生の根本原理を追求する哲学は、これ以上進歩しません。 細かい枝葉の議論は、地球が消滅するまで続くでしょう。
お礼
ありがとうございます。 古典を大切にしたいと思います。
- 1114711235
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します。 というか、今の人間の着眼点や立ち位置は数多くあるその可能性の中のほんの一遍のかけらなのですから。
お礼
ありがとうございます。 それでは、どうぞ最新型に乗り換えてくださいませ。 自動車と違って哲学の場合には乗り換えに費用はかからないですから。 拙者の方は、進歩していると思えないので、曾祖父の時代ぐらいでとどまっておくことにします。
- pupuppidou
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個人的キモチとしては共感できるものの、100年前の文学が、最新のよりも劣っていないから文学は進歩しないのだということではないだろうと思います。 哲学はまだ進歩するか?100年程度の時間軸で? さて。。。そもそも、「100年」なんて、大したスパンじゃないかも。これからの時代は、特に。 > 新型哲学の理解に時間を使ってしまい、19世紀の哲学に対する時間配分が取れなくなくて良いのか、それとも、100年前までの哲学に集中し、新型哲学のほうは「またにしておきます」と、断るか。 まあ、文学作品でも同様で、多くの人が一度は悩みどころでしょうか。 いまどきブーム作家のベスト・セラーを読むか、古典的名著と名高い作品を読んでおくか。 いかにヒマな人でも、人生の時間は限られてるし、無理に刻苦勉励しなくても、自分が理解し易くて、楽しいとか有意義だと思えるほうを選んだらいいんじゃないですか。個人の楽しみレベルに過ぎないなら、なおさらのこと。 それで誰か困るわけでもないでしょうしね。 質問者さんは、さしずめ、「哲学」というものを、一種のファッションか何かのようにとらえておられるのかなと思いました。 古い文学作品が、ちっとも古く感じられないとしたら、やはり、人間なるものの芯の部分は、時を経ても変わらないということかと思われますが、そのくせ、エピステーメーだの社会の様相は、激しい変化を見せるというのも、考えてみれば、奇妙な感じがしないでもないです。 > で、本題はですね、限られた余命の中で勉強すべき哲学はいつの時代のものか?なんですね。 いわゆる教養としての立場からアドバイスできる人は、いくらもいらっしゃるでしょうが、 結局のところ、それは、ご自身で探しあてることなのでは。 それだけで、多くの時間を費やしてしまいそうではありますが。 どなたかおっしゃった、哲学は「婢」、なるほど、しかも相手を選ばずで、むしろ、「インテリ娼婦」でもいいかも。(笑) > 科学が爆発的に進歩(≠進化)し、哲学の生息域を狭めてしまった。 これは、狭めたのではなく、遅れをとったということかと思うんですが。 > クローンの可否は犬はペットか食糧かなどと同レベルの議論 そうですか?同レベルの問題? > それぞれの領域の人々が、その領域で哲学することは終わりがない > でも、それは哲学という領域が消滅したと考えることと何ら矛盾は無い > それぞれの領域を追求する人々がその領域哲学を整理し、深化させる営みに終焉はこないでしょう。 > 残された仕事は、哲学史を整理し、哲学史教育を継続し、哲学する心を伝承すること > この状態をもって哲学は進歩しないと呼びたい。 それで「哲学は進歩しない」? では「哲学という領域」とは? > もちろん、沈黙せよと言っているヴィトゲンシュタインは、フィギアスケートを無視しろと言っているのではなく、語っている場合じゃなくて、スケート靴を履いてリンクに出てみよ!と言っている。 > これは、哲学している場合じゃなくて、物理学を実践せよ、実験だ!、観測だ!と言っているわけですね。 ふうん、「スケート靴を履いてリンクに出てみ」るのが「物理学を実践」? ヴィトゲンシュタインが言ったという「語り得ないことについては…」に関する質問者さんの解説、本当にそうなのでしょうか? また、ここにフィギュア・スケートの喩えを持ってくることも、なんだかシックリ来ないような、なんか違うような気がするのですが。。。 「語り得ぬもの」とは、いったい、なんなのか。 「語り得ぬもの」と、なぜ言えるか。 語り得ぬものであるからこそ、語るしかない。 「語り得ぬものを、いかにして語るか」 > 科学が進歩した時にそれに対応して哲学のテーマが増えるというのは、フィギアスケートの技が進歩したとき、解説者の語彙が増えるというのとおなじですから、これを甘んじて受け入れるとすれば、哲学者はスケーターではなく、解説者であることを認めるという事。 「語彙が増えるというのとおなじ」?それは違うんじゃないですか? 受け入れるも何も、そもそも、哲学者は、単なる「解説者」なんでしょうか。 逆質ばっかりでスミマセンが、 哲学の求める「普遍」って何なんですかね? > 次々と別の哲学者の説を理解しなくちゃ、と思ってしまう自分がガキに思えてしょうがありません。 まあ、正確には「哲学史」という所あたりで固まってるのが現状?アカデミックな場とやらにおいては特に。 「進歩」しなければならないなら「進歩」するんでしょう。そうでなければ生き残れないのであれば、進歩しなかったら結果、アタリマエに死ぬんでしょう。 などなどと言ってるよりも、 画期的方法論の出現を期待、と言いたいところかな。 要請されるそのときに
お礼
ありがとうございます。 色々な方からのご回答まで通読の上ご意見いただき有り難いです。
- tumaritou1
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哲学とはそもそも、論理脳の限界に挑戦して『人間』そのものを解き明かそうとするものと思います。と言うことは、人間には文化や、科学や、環境が常に変化し続けていますので、人間のやっている事は『衣、食、住』と言う基本的なものも少しずつ変化をしてゆく事が考えられます。 そういう変化の中で、人間そのものも、変化し続けるものと考えられます。今の時代の哲学と、500年前の哲学と、500年後の哲学が、どういうことになるかは、時代精神の中で説明されてゆく事と思います。 どちらが進歩していると言う比較そのものが、比較の対象にはならないと思います。従ってその時代に最も適したものを、それぞれの人達が、選び抜いてゆくと言う言い方が適していると思います。云い方を替えたなら、大勢の支持を受ける考え方の事をその時代の哲学と言う言い方をすると思います。或いはその時代か、来るべき時代を先取り出来る考え方と言うことかな?と思いますが。
お礼
ありがとうございます。 哲学はただ変化しているだけであり、哲学の進歩は考えてもしょうがないとのご回答に納得です。 大勢の支持を受ける考え方を、、、この行(くだり)は哲学業界の方々に申し訳なくて、賛同するとは申し上げられませんが。
- ENERGAIA
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ところで、哲学とは何でしょうか。
お礼
ありがとうございます。 源質問よりも大きな質問を回答欄に書かれては、如何ともしがたいです。
- ENERGAIA
- ベストアンサー率9% (5/53)
学問によって細分化していく人は 全体で観れば進化の一部分としてその中にいるのでしょうけど、個人でなんらかの学問に傾倒する人は個としては 進化していくとは言えないと思います。 哲学でなく思想・思索を軸としてもっている人は他の学問を必要とするでしょう。 哲学と哲学することは同じでしょうか。 科学者でも、科学知識に傾倒した故のむなしさから哲学や文学を求める人もいるかもしれないし 宗教者でも 妄信にむなしくなれば科学によって明らかにされた真実を希求するひともいるのでは。 そもそも、科学者や宗教者はほっとけば良いのではないですか。 個人の中で融合させれば良いし、すでにそれをしている人はしているでしょう。 結局は自分のことですので。
お礼
ありがとうございます。 個人の事に関しては色々な人がいてよく、正に個人の自由とおもいます。 質問は哲学のことでしたので、、、。
- +81-905-000 4189(@Nannetta)
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それは いつも 輪廻 転生 しています なを変え かたちを変え いまも 一人ひとりに 根づいていくでしょう
お礼
ありがとうございました。 それ、というのが何を意味しているのかわかりませんでした。
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お礼
再度のご回答ありがとございます。 ロゴスとパトスのアウフヘーベンですか! 哲学史上最初にして最後の大転換になるかもしれませんね。 そこまで追い詰められているということでしょう。 そこまでしないと各学問領域に付随したグリコのおまけ、あるいは、ハンバーガーのハッピーセットになっちゃう。 まあ、ハッピーセットが欲しくてハンバーガーを求める子供たちもいるので、客引きというレゾンデートルが残るか? 物理学ほどには緻密でなく、宗教ほどには逞しくない哲学に哀愁を感じるのは拙者だけでしょうか。