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人に相談するのが苦手です
- 人に相談するのが苦手な理由や悩みを持つ人向けのアドバイス
- 相談相手を選ぶ際のポイントや相手とのコミュニケーションの大切さについて
- 自信を持って相談できる関係を築くための心構えや方法
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質問者が選んだベストアンサー
質問者さんの抱えている問題を見ていますと、私自身の心の中を見ているとようで、笑ってしまいそうになりました。 何故かと言いますと、私も同じような性格をしているからです。 質問者さんは“自分自身をアセスメント出来ています。あとは自分を受容し、ラポール出来れば心が軽く、人生を楽しめると思います"。 この言葉は、臨床心理学の基本的であり重要な言葉です。 アセスメントとは:問題を理解すること。 受容とは:受け入れること。 ラポールとは:心から信頼出来ること。 自分をアセスメント出来ていることだけで、素晴らしいことだと思います。 複雑に考えすぎると、心の病気になることがあります。 少しリラックスし、多少は適当でもいいかと思うぐらいの気持ちの余裕が大事だと思います。 質問の趣旨がずれていたらすいません。
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- kigurumi
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女性の多くは、話を聞いてくれる相手がいることで、解決はしなくても、たまったものを吐き出しすっきりするものなの。 だから「ごめんね 的確なアドバイスがぜんぜんできなくっても」と言っても「聞いてくれただけでも助かった」とか言われるわけです。 だけど、私のように、聞いてもらうだけじゃ駄目な人間もいる。 私の最近あった出来事。 何年間か心に秘めていた思いを、表にオープンにした。 10人くらいを前に話をした。 聞いてもらうのが目的じゃなくて、わかってもらうのが目的だった。 黙って聞いていたので、てっきりわかって聞いていると思っていた。 結果は、、、誰一人、私の言っていることがわかっていなかった。 びっくりした。 10人あまりの人達は、心理系の知識もある人ばかり。 「マジっすかーー! それでどうやって仕事しているの?」って思った。 人間だと思ってたけど、もしかしてこの方々はロボット?とか思った。 「なんだ なんだ ここには人間はおらんのかーー みんな人間に見えるけど、心をどこに置き忘れたんだー」って思った。 諦めが悪いですよねぇ、 まだ 相手を人間だと思おうとしているだから。 で、思い出したのが、星の王子。 アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリって人が書いた童話。 異国の地で、まわりに誰もわかってくれる人がいない囚われの身の友人のために書いた作品。 王子様は いろんな星を訪ねるのね。 いろんな人達に会うのね。 だけど、誰1人とも友達になりたいとは思わなかったの。 王子様はついに主人公がいる星に来たのね。 「おーーい 誰か友達になってよー」って。 これはただの知り合いという意味じゃないのね。 孤独にたまりかねた王子様はキツネに会って「友達になって」って言うのね。 キツネはイヤだって言うの。 心の友達になってしまうと、離れ離れになったとき、とても辛くなるから。 で、王子様にあることを教えてあげるの。 <大切なものは目では見えないんだよ 心で見なくちゃね>って。 人は文章で書いたり、言葉を使って、他人に心の中を伝えるよね。 だけどね。 目や耳じゃなくて、心でそれを受け取らないと、心はわからないもんなんです。 私が言っている意味わかります? ああ、 もう泣きそうだ・・・ いや 辛いことがあって泣きたいのを数日我慢しているから。 だから、返信するのは難しいなぁ と思った何度か見てスルーしたこの投稿にやっぱり戻ってきて、今返信をしているのかな。 でね。 主人公は王子様とウマがあって心が通ってしまった。 心を通わせたんだけど、諸行無常の世界の住民でしょ? うちらもだけど。 だけどね、思い出は残る。 かつて 心を通わせた友と一緒に過ごしたことがある。 誰も他の人はしたことが無い貴重な経験をした という思い出。 その思い出があれば、残りの人生は誰とも心が通わなくても生きていける。 でね。私振り返って数人とは心を通わせたことがある。 その1人を私は助けて挙げられなかった。 何人かの人に訴えて理解を求めたけどね、相手の心を動かせなかった。 人間だと思ったけど、本当はみんなロボットだったんだろうね。 その人を助けてあげられなかったから、離れ離れになったんだけどね。 交流を続けていたら、もしかしたら、心の友という認定は取り消されたかもしれない。 交流ができなくなったから、心の友のままなのかもしれないけど・・・。 星の王子様の主人公は、自分の心に触れる人が回りにいなくても、王子様との思い出があるので、完全に孤独ではなくなったわけです。 それまでは孤独だったんだと思う。 (この主人公は作者自身だと思う) 人の痛みをわかってあげられる人はほんとうに稀。 喜びは共有できても、苦しみや悲しみは誰も共有したがらないし、複雑な人の心は聞きたがらないものなの。 「黙ってないで話して」って言って話しても、相手が「なるほど」とわかるってことは無いの。 「もしかしたら心が読める人かも」と期待して、話をして、失望する。 やっぱりいないんだ って。 だからね。 時々夜空を見上げて、あの人は「あの星にいるのかな」って想像するのよ。 その人の笑い顔を想像するのよ。 そして強く生きるの。 「話して」って言う人は、心が読めない人だから、話しても無駄。 心が読める人は、言葉を必用としない。 わかるかな?
- mona1321
- ベストアンサー率13% (2/15)
>私は日頃から自分の内面について考えたりするのがすごく好きで、信頼って何だろうとかそんなことを考えてみたり、周囲の人の心理を分析したりをよくします。そして幼いころから人より人の気持ちに敏感だったりします まったく同感です。小さいころから周囲の顔色を見ながら行動しています。今でもこんな自分が嫌になるときがあります。 以前、私も相談にのってばかりいました。ところが全然嫌ではなかったし、むしろ面白かったです。人の不幸は蜜の味…(冷静に考えると残酷ですが…)コレが現状ではないでしょうか? だから、私は1番悩んでいることは人には相談しません(悔しいから!) 解消法は、その辛い悩みをひたすら、気が済むまで、紙に書きます。何度も何度も書いているうちに解決法の糸口が見つかったりするものです。もしかしたら、いずれ本になるかも…などと考えたりしながら、書き続けるわけです。 病院に行けば治ることなら、人に言う前に、病院に行きます。 その代わり、その場の会話を楽しくできるような、簡単な相談はたくさんします。 特にアドバイスといった内容ではなかったかもしれませんが、質問者様に親近感がわいてしまい、回答してみました。
お礼
回答ありがとうございます。 私もかつてはこんな自分が嫌だと感じていました。 多くの人が気付きもせずに生きていることにいちいち気がついて悩んでは理解されない… でも現在は敏感さに感謝しています。多数派が気付かずやってしまうことを自分は知っているのでその失敗を軽減できるからです。 私がよく人の相談に乗るのは、他人が下手なアドバイスをして目の前にいる人が傷ついているところを何度も見てきたからです。つまり、自分の力で他人の心の傷を負う場面を減らせるなら減らしたいんです。 そうかもしれません。けど、これまで私が(他人が相談に乗っている場面などで)見てきた中では本質を理解しようとしていない人が多いように感じました。なんというか、表面的なものしか見ない、自分の常識だけで判断したり、意見を押し付けたり、似たような経験をしても自分の時の感覚でしか判断できない、そもそも真剣に聞いていない、相手がどう感じるかをあまり考えずに指摘する、など… でもそんなことをしなくなるのには大変な努力(嫌な自分に目を向けることでもあるので)が必要なことなので、ある程度は割り切っています。なので相手はかなり選んでいます。全く言わないというのは言えない寂しさを感じてしまうのでずっとはできないんです。 確かに書きだしたりすると考えがまとまったり新たに自分の一面を発見し易くなりますね。SNSの日記に書きかけてやめることが多々あります(汗)でもそればかりでは自己判断のみになってしまうのでやっぱり他人の意見を取り入れたいなぁと思ってしまうんです。 簡単な相談は私もほとんど雑談の一部と化してしまいます。 最初は全く回答来ないんじゃかしらと思っていましたが、似たように感じている人のお話がきけてよかったです^^
- k_kota
- ベストアンサー率19% (434/2186)
私も苦手です。と言うか私の場合理屈っぽいので理屈でどうにかなるような問題は自分で解決していまいます。 とりあえず、読みとれる問題は2つ。 相談してもなかなか解決されない。 これは諦めろと言うしかありません。 次に、相談しづらい。 これは、実は重要な問題です。自分が相談を受ける時にきっちり対応する人程、自分から持ち掛けるのは怖いのです。 個人的にはですが、これは勇気を持ってどんどん持ち掛けることを奨めます。 そのうちどうしても解決できない悩みを相談する時もあると思うのですが、人に頼むと言うことも実はスキルであって、慣れないと難しいのです。 また、クリアできない問題に対しては、厳密解を求めることよりも、他者の意見を聞いて客観的になることで、その問題に捕らわれ過ぎないようにすることも大事だと思います。 友達であればたまの相談くらい受けてくれます、正解さえ求めなければ大丈夫だと思いますし、聞いてもらうだけで精神的な負担は軽くなるものです。 まあ、いきなり全部相談、と言うのも難しいですから、うまいこと加工して小出しに聞いてみるとか工夫してみて下さい。 案外どうにかなるものだったりします。
お礼
回答ありがとうございます。 えーと、日常感じる難しい問題についてはできれば意見が欲しいって感じで、深刻な悩みにはせめて感じたこととか聞かせてほしい、って感じです。 ただ、深刻なものでも日常の疑問でも、先に述べたようになかなか日頃から心理的な疑問などを深く追求してる人が(私や私の周囲の多くががまだ20代手前というせいもあると思います)少ないので、「う~ん…」(聞いてもらうだけ)で終わるケースや内容をうまくつかめてもらえないままになること、ありきたりな返答(或いは既に自分で考えて見つけてしまっていることを言われる)しかもらえない事が多いです。 そうなると寂しくなってしまうんです(語り合う相手がいない寂しさというか)。そしてそれは相手の負担になるのではと考えてしまうのです。 でも相手にとって答えやすいレベルのものは自分でどうにかしようと努めているので、なかなかそういう相談はしません。 もしかしたら自分が相談に乗っている時、自分が注意しているようなことを相手に求めているのかもしれません。しっかり考えてあって、客観的な意見が欲しいって言うか…。かつて恩師に本気で辛いということを打ち明けた時、かけていただいた言葉がまさにそんな感じでとても嬉しかったのを覚えています。 となるとレベルの高いことを人に求めてるのかもしれません。それは過去にいい加減な反応(それは大したことではない、と言われるなど)を示されたことが多かったせいではないかと思います。 多分、口に出すと考えがまとまりやすいタイプなので、議論したいというのもあると思います。なので、気長に考えられる問題についての反応に関してはある程度は割りきるように努めています。 近年は小出しに相談してみるということもしていますが、なかなかどうにかなりません。 でも諦めずに努力していこうと思います。 ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに人は完全な理解をしてもらいたがったり、勝手に失望します。逆に100%わかったつもりにもなります。でも、100%なんて絶対に無理です。 ですけど私は100はなくても99,999…は目指せると思います。我々が相談して傷ついた原因には間違いなく相手の(話し手をよく観察したり想像する)努力不足や配慮の欠如が含まれています。それを解消すれば、99,999…に少しでも近づけると思います。 私にも良き理解者が何人かいます。でも、滅多に出会わないかもしれないけど、私はこれからもそれを見つけることをやめることはないと思います。思い出すだけではやっぱり会いたくなってさみしい(会いたくなるくらい相手に好意があるので)し、今後誰もそんな人はいないのだと思ってしまうと本当にあえなくなってしまいそうな気がしてなりません。 また、「話して」と強引に聞き出そうとするのは私もよくないと思います。ただ、言葉は要らないんだとおっしゃっていましたが、ある程度は言葉は必要だと思います。