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子規に「広島は 柳の多き ところなり」という句があることを知りました。
子規に「広島は 柳の多き ところなり」という句があることを知りました。 1)この句は,表面上は,明治時代柳の多かった広島にいって,見たままを詠んだように思えます 2)また「ところなり」は,一言一言を大切にする俳句にあって,あまりにも単純な言葉のように思います 3)質問ですが「この句に何か深い意味があるのでしょうか」「または子規の何かの心象を詠んだものなのでしょうか」 4)もしそうでなければ,子規は「何の目的があってこの句を作ったのでしょうか」 よろしくお願いいたします。
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お礼
早速に詳細な回答ありがとうございました。 1)この歌がいつ詠まれたか私は知りませんが,もし虚子が日清戦争から帰還した時に読まれたとすれば,広島に前線基地としての大本営があったこと,遼東半島でも(多分)柳をみたこと,柳が別れなどの象徴的な樹木であったこと,(多分)広島にも当時柳が多かったこと(あるいは虚子がたまたま柳のある場所を見たこと),5月帰還とすれば新緑の柳が繁茂していたこと,こうしたことが,ご指摘のようにベースにあると思います 2)これをベースに,無事帰還できたことと,瑞々しい柳の美しさが重なって,この句ができたのではと思われます 3)こう解釈すると,一見単純表現に見える「ところなり」は,反転非常に力強い言葉として響いてきます ご丁寧に調べて回答いただき,ありがとうございました。この句はある歌手が好きな俳句としてあげていたのですが,彼がここまで知っていたとは到底思われません。