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戦国武将の自称について質問です。
戦国武将の自称について質問です。 よく大河ドラマとかを見ていると、「●●守殿」などと呼ばれるシーンをよく見ます。あれらはほとんどが自称だったということは知っているのですが、守護の方を自称しているのか、国司の方を自称しているのかが分かりません。どちらを自称しているのでしょうか? あと、自称している者がほとんどなら、当然、重複する者もでてきますよね?そういう場合は、どのように区別するのでしょうか?例えば、呼ぶ時に何か付け加えて呼ぶのでしょうか? 「○○美濃守」のような感じで
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 江戸時代以前については、NO1.の方の説明で「ほぼ正しい」でしょう。 しかし、江戸時代になると、家康は「公武諸法度」を発布し、その中で、 「武家の補佐は当官の外たるべし」 と、定めました。 つまり、 「武家の官位は飾り物ですよ、名義だけのものですよ」 と、言っているのです。 従って、美濃守が伊勢の大名であったり、伊勢守が豊前の大名だったりしました。 また、播磨守などは7人もいました。これは、上等の国なので栄誉のために与えたものです。 朝廷からの実際の官職とは何の関係もありません。 もし播磨守が二人出くわしたら「○○播磨守殿」と姓を前に付けて呼びました。 しかし、実際には7人いても、参勤交代で1年ごとにずれていたり、千代田城(江戸時代、「江戸城」とは呼ばず、正確には「千代田城」または「舞鶴城」(ぶかくじょう)と呼ばれ、庶民はただ単に「お城」と呼んでいました)での大名の控え席も違っていましたので、二人以上が出会うことは、ほぼありませんでした。 後に、3,000石以上は「守」名乗りができるようになり、希望の国を上申しておけば、たいていは許されるようになりました。
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- 15820602
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tanuki4uさん、上総守ではなく上総介ですよ。 回答するなら中途半端な知識を持ち出さないでください。
お礼
ご指摘ありがとうございます
- tanuki4u
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織田上総守信長 本来、ありもしない上総守を自称して名乗っていたくらいの情報理解度ですから。 名乗った段階では、小なりとは言え、京都とコンタクトもあった信長でこの程度
お礼
回答ありがとうございます!上総守とは名乗っていなかったような…^^;
- tanuki4u
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受領名 と、言われるくらいですので、名前としては「国司」職務としては「守護」 基本形を言えば 武家の棟梁である室町将軍が、ある武家を守護という職務に付けるときに、朝廷に国司としての受領名を申請してセットで与えるという感じ。 実際に名乗っている連中には、どっちがどっちだか分からないと思います。
お礼
回答ありがとうございます!名乗っている連中も分からないということは、やはりいい加減なものだったんですね
お礼
回答ありがとうございます!二人出くわした場合について、よく分かりました!ありがとうございました