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「光速一定」について。
「光速一定」について。 「光は媒質の存在しない波であるから、光速はすべての慣性系で一定ではならない。」という証明に対して、媒質が存在しようがしまいが、波の速度は、波を発射したときのエネルギーで決まりそうなのに…という疑問が湧きました。ですが、この考えは間違っているとのこと。なぜ間違っているのか教えてください。
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- mega_pascal
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(仮説?)によると、ニュートンの相対性理論は、 質量を持っているもの同士間の相対性に限られます。 すなわち、F(力)=a(加速度)*m(質量)の成立する物質間で成立します。 質量m が0の物質に対しては、Fを発生できない(力を与えられない)ので、加速も減速もできません。 すなわち、質量0の物質に運動エネルギーを与えることができないのです。 進行中の列車上にある拳銃の弾を考えましょう。この弾は、質量があるので、運動エネルギーの形で、列車の速度情報と列車に乗っている情報をもっています。 しかし、質量 0 の物質は、列車に乗っていても、その情報を持っていません。 したがって、光のような質量 0 の物質が列車から放出されても、列車の速度分加算されないのです。 マイケルソンとモーレの実験は、ニュートンの相対性理論に反するものでなく、 光の質量が0であることを証明した実験です。 また、宇宙で光速を一定にすると、個々の物質ごとに異なった時計を必要とします。 速度の速いロケット上と電車上では、時計の進み方が異なり、別の時計になります。 しかし、逆に、時計の進み方が宇宙で一定とすると、光速が宇宙で一定でなくなります。 1960年代~70年代、金星や火星にレーダ信号を送り、反射信号を受取るまでの 時間を地上の時計で計る実験が行われました。 往復で40分程かかります。レーダの往復路の近くに太陽が在る時期と、 往復路から太陽が離れている時期との往復時間を比較しました。 すると、近くに太陽が在る場合の方が、時間が多くかかりました。 通常は、太陽近辺の光速が低いからと考えます。 アインシュタインの光速は一定では、太陽の近辺で時計の進み方が遅いから、余計時間がかかった。 とやや屁理屈的になります。 エベレストの頂上で1日に約3000万分の1秒早く進むとアインシュタインが予測しました。 また、この仮説では、光の速度は、エネルギーでなく、その点の空間の膨張速度と一致すると考えています。
- polynomial21
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古典的な回答をひとつ そいつは、すべての慣性系で光速度が同じでないと、 マクセルの4つの方程式が成立しないからです。 アイシュタインは、ニュートンの運動方程式は補正しても マクセルの方程式の補正は許さなかったということです。 直感ではわかりにくい世界です。 しかし体験的直感と理論とのギャップを いろいろと考えてみるというのは よいことです。
- 雪中庵(@psytex)
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No.3の者です。書き忘れた説明があるので、再び失礼いたします; 相対性理論の四次元時空の式において、時間項はマイナスになっており、 そのために空間軸と時間軸の等距離点に、“ゼロの面”ができます。 それが「ライトコーン」、即ち光子の形成する面であり、光速以下の 領域(未来)と超光速の領域(過去)を分ける界面原点なのです。 その認識体(現在=光速)による大ざっぱな認識=階層現象表面的定性化に おける非光速性に基づく時空仮説に対する、無の射影が存在=量子なのです。
- satoumasaru
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「光は媒質の存在しない波であるから、光速はすべての慣性系で一定ではならない。」 このような証明は聞いた事がありませんが? まず、基本として考えていただきたいのは、「慣性系において光速度は不変である」というのは特殊相対性理論の公理です。公理とは、その他の命題を導きだすための前提として導入される最も基本的な仮定のことです。したがいまして光速度不変は証明すべきものではなく、それ以前の理論の前提となるべきものです。 なぜ慣性系において光速度が一定なのか、これは証明はできません。自然がそのようになっているからとしかいいようがありません。 >媒質が存在しようがしまいが、波の速度は、波を発射したときのエネルギーで決まりそうなのに たしかにそう考えるほうが感覚的にはわかりやすいですね。でも自然を考える場合に感覚的に考えるだけでは正解にはなりません。実際に考えてください。あの太陽のような膨大なエネルギーで輝く、豆電球で輝く、光を出すエネルギーは桁違いでしょう? でも同じなじ速度です。 また他の方がおっしゃられているとおり、光のエネルギーはその波長によって定まります。たとえばX線は高電圧で加速した電子をガラス面にぶつけ、その際にでる光を使用します。このX線はきわめて強力なため、人間の筋肉などはつきぬけてしまいます。でも、このX線の速度は、豆電球でだす光の速度とかわりません。 人間の感覚で自然と思っていても、それだけでは真実かどうかはわかりません。たとえば人間の感覚では大地は固定していて、太陽や星が大地をまわっているとしか考えられないですよね。ところが、実際にはむしろ大地がまわっているのです。 光速度不変の相対性理論といい、エネルギーには最小の単位があるという量子論といい、人間の感覚では非常識なことばかりです。むしろ人間の感覚がこの大自然から見たら非常識なのかもしれませんね。 >ですが、この考えは間違っているとのこと。なぜ間違っているのか教えてください。 観測される事実とあっていないからです。
恐れ入りますが、その説を数式でお願いします。それなら何かいえるかもしれません。 ああ、そうだ。光速度は高エネルギー領域ではもっと速いかもしれないとは言われていますね(昔々宇宙が超高温だったころはもっと速かったかもしれないということです)。
- 雪中庵(@psytex)
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光のエネルギーは振動数に依存し、速度は関係しません。 そもそも、物理的な原理性(経路積分)において、光速は瞬間作用であり、 現象的に観察者が静止(=時間軸的に光速で移動)することで、相対的に 光速性を派生させるのです。 我々は「過去は既に終わっている」「未来はまだ来ていない」ので、 「存在するのは現在」と考えますが、真の『現在』とは、認識体の感受 表面での量子相互作用(光速)のみであり、その経験(過去=超光速) による予測(未来=光速下)として時空的広がりは発生しているのです。 無の不確定性無限の潜在としての、「自我仮説性」の相補としての「時空仮説性」。 「相補」というのは、絶対時空を否定し、認識体との相対においてしか 時空は計量できないとする相対性理論や、同じく認識体が現象表面的に 物事を捉え、本質的に決定しない事により有限的存在性は生じるとする 不確定性原理といったものを伴う時空、ということです。 「自我仮説」が、宇宙膨張=光速の低下=物体収縮=不確定性(h)の収束に おけるhの減少の時系列化である時、それが架空の時間軸となり、空間的 確定性としての無限不確定的空間性が、超光速(過去=経験=時間)と光速下 (未来=予測=空間)に相補分化する受け皿となり、同一軸の延長が仮説的 に直交基底をなす事によって相補的不確定性を生じ、経験による予測= 現象表面的定性化における有限的存在(=非光速)を幻出しているのです。 即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補として 生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」という無の射影 (相補分化の相殺)として、光=存在は生じていると言えます。
- debukuro
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>媒質が存在しようがしまいが、波の速度は、波を発射したときのエネルギーで決まりそうなのに 媒質なしでどうして伝搬するのですか? その根拠は? 鉄砲玉のように物体が飛んで行くのならともかく波が媒質なしで伝搬するとはw >媒質が存在しようがしまいが、波の速度は、波を発射したときのエネルギーで決まりそうなのに だったら海の波は水が無くてもエネルギー相当の速さで伝搬するのですか? それに光は波と粒子の二面性があることをご存じですか 朝永振一郎博士の、光子の裁判、をお読み下さい
- tetsumyi
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光が波であるということが間違っています。 光は波でもないし粒子でもありません。 観測方法によって波としての性質を現したり粒子として観測されることになります。