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マイケルソン・モーリーのエーテルの実験について
マイケルソン・モーリーは、「エーテル」という光を伝える媒質が宇宙空間(?)に満たされている、という当時の仮説を証明するために、ハーフミラーの実験を行ったそうですが、どうしてそのような実験を行う必要があったのでしょうか? 光が真空を伝わっているのを観測できる時点で(例えば星の光など)、真空中には光という波を伝えるなんらかの媒質が"存在する"ことは確定しているので、わざわざ存在を証明するまでもないように思います… そのために、「地球の公転(速度v)向きに発せられる光(光速c)を地球上から観測するとき、光の相対速度がc-vとなったならばエーテルが存在することになる」、という説明が理解できません。 どなたか教えてください。 ちなみに、下記の本を読んでいて疑問に思いました。 「高校数学でわかる相対性理論」(講談社)
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- s_hyama
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MM実験の前に、絶対時間や絶対時間を前提にすると前置きが大切です。 その前提を元に、太陽の周りを公転する地球の軌道運動上で、どうなるか実験しているのですね。 結果、エーテルの風は検出されなかったってことは、時間や空間は絶対ではない。 真空中の光速度は不変に観測されたってこと しかし、もっと大切なのは絶対時間や絶対空間上のエーテルが否定されただけで、時間や空間は何?は解決されてない、もっというと完全にエーテルは否定されたされたわけではありません。 もっというと、絶対時間、絶対空間が前提としてきた名残で、時間空間を定めなくて光という言葉でひとくくりに取り扱ってきた光って何だ?も解決してないでしょう。 光≠光のエネルギーではなく、光の波の媒質(エーテル)=光ですよ。
補足、承りました。#5他です。 >エーテルの風というものを、例えれば「無風状態の中を自転車で駆け抜ける時に運転者が感じる、見かけの風」のようなものと解釈していました そういう解釈でも大丈夫です。 >別にエーテルがある無しに関係なく、地球が速度をもって公転している以上地球から見て公転方向の光の相対速度はC±vとなるのは当然 その通りです。マイケルソン・モーレーの実験は、「光がエーテルを伝わる波」は仮定として、その場合にあるはずの現象を検証しようとしたのです。 たとえば、既に棄却されたも同然だった「光は粒子」説でもc±vは出てきます。そうではないということまでは、マイケルソン・モーレーの実験は検証しようとはしていませんでした。 エーテル存在証明の十分条件を満たさないことはもちろん、必要条件についても、ごく一部を満たそうとした実験だったんですね。 結果は、それすら満たさないというものだったことは衆知の事実です。もし、予期した通りに光速度の変化を検出できていたら、これほど有名にはならなかったでしょう。
- okitarou123
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>真空中には光という波を伝えるなんらかの媒質が >"存在する"ことは確定しているので、 >わざわざ存在を証明するまでもないように思います 存在していることは確定していますか? 何を持って確定していると断言できますか? 空気は目には見えません。 ですが、風を感じることによって、その存在を 肌で感じます。 では、エーテルをあなたは何を根拠に感じますか? 「そんな気がする」さえ、私にはしません。 光が波であるからといって、エーテルが常に目の前にある などと平気で言える根拠を知りたいのです。 エーテルと言うのは、音の伝わり方から類推して とてつもなく硬いものだそうです。 その硬さはどのくらいだと思いますか? 鉄ぐらいの硬さでしょうか? それとも、ダイヤモンド以上でしょうか? そんな硬いものがあなたの目の前にありますか? 口をあけたらそんな硬いものが口の中に入り込みますか? そんなくだらない話でよく盛り上がることができるもんだと つくづく人間のおろかさに驚いています。 ご存知のように光には光子説があります。 アインシュタインはエーテル説から相対論を 「編み出し」ています。 その一方で、彼は光子説も採っています。 光が光子(粒子)なら、光速不変はありえません。 まったくめちゃくちゃなお人です。
しまった、#5です。 >そのために、「地球の公転(速度v)向きに発せられる光(光速c)を地球上から観測するとき、光の相対速度がc-vとなったならばエーテルが存在することになる」、という説明が理解できません。 このご質問に答えるのを、うっかりしていました。申し訳ありません。 これは、音と同じです。ドップラー効果ってあります。音だと二種類に大別できます。音源が近づいたり遠のいたりするときと、音の媒質である空気が動いている場合、つまり風が吹いている場合です。 無風状態だとして、音源の速度は音速に影響しません。超音速で近づいてくる音源からは、音源が通り過ぎてから、音が後で聞こえることになります。 風がないときの音速をc、風速をvとすれば、風がある時は、c±vとなります。追い風ならマイナス、向かい風ならプラスの効果になります。 マイケルソン・モーレーの実験では、光の媒質であるエーテルの風が吹いているかどうかを検証しようとしたものです。光源の速度ではないです(光源の速度は、別途実験・観測が試みられている)。 エーテルの風があることを検証できれば、エーテルがあるはずだということの確からしさが上がります。そういう狙いだったんですね。いつも無風という意外な結果を得てしまいましたが。
仮説による予測、推測は、実験や観測で確認しなければ、物理学では理論として採用されません。 光(電磁波)以外の波動には媒質がある。それなら、光にも媒質があるのだろう。それは推測であり仮説です。それは、実験や観測で実在性を確認しなければなりません。 また、もし光(電磁波)に媒質があるなら、我々が媒質に対してどういう状態にあるかは、非常に重要な問題です。特に相対速度ですね。 たとえば、電磁気学の基本となるマクスウェル方程式は、我々が光の媒質に対して静止している場合のものになっています。光の媒質に対して相対速度があり、それがガリレイ変換(ニュートン力学の基本的な考え方)でいいとした場合のマクスウェル方程式を書き換えたものが提案されており、ヘルツの方程式などと呼ばれています。 たとえば、電磁気学の知識を基にした回路が非常に高速で動いたとき、もしマクスウェル方程式では誤差が出てしまうなら、ヘルツの方程式、あるいはそれらとは別の方程式に基づく電磁気学に依らねばなりません。 そうした未解決のことがあったわけです。その解明の一歩とも言えるのが、光の媒質であるエーテルは有るのか無いのか、ということです。マイケルソン・モーレーの実験は、当時の理論の推測が正しい筈だという仮定の元、エーテルの実在性を検証しようとしたものです。 ところが、実験精度を考慮しても、『どう測っても、エーテルが動いていない』という結果が出たことは、有名な話です。もっと工夫した再実験でも、エーテルが動いていないという結果しか出てこない。他の実験物理学者がやっても、エーテルが常に動いていない。一方、光行差現象などからは、エーテルが動いている筈とせざるを得ない。どうにも矛盾が解消できなかったのです。 これに対して、オランダのローレンツや、イギリスのフィッツジェラルドは、空間短縮仮説を提唱しました。ポアンカレやアインシュタインは、光速度不変仮説を提唱しました。 ご承知の通り、さらに実験・観測を工夫して検証し、光速度不変仮説を原理(証明できないが事実として受け入れること)として採用する相対論が主流となって行きます。 要は、「そーゆーこといいじゃん」って考え方は、物理学ではできるだけしないということです。決してしない、ではないです。 光速度不変は、それがなぜかは未だに分かりません。なぜかは分からないけど、どう実験・観測してもそうなっているので、理論的な説明ができないけど、受け入れています。
- アウストラロ ピテクス(@ngkdddjkk)
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物理学は、自然を理解しようとする学問です。 人間が考えた仮定が正しいかを確かめる意義がありました。 所詮、常識は実験結果に一蹴されるのです。 理論は大半の実験結果を説明できるから認められるだけであって、実際はどうか?と言う疑問には実験結果でしか答えられないのです。 最近は、あなたのように何でこんな実験しているのかわからない人が多々いますが、再現性と言うのは、理論の裏付けとして非常に大事なことです。 あなたもそうかもしれませんが、人間の間違えはよくあるのです。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、水面波に対して水、音に対して空気のように、光の媒質がなにかを確認できていない以上は、光の媒質の存在自体も疑ってかかる必要があるんですね。 大学進学し、これから科学に携わっていくというこの時期に科学の対する基本姿勢を確認できてよかったです。
- tadys
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ニュートンの時代には光は粒子なのか波なのかという事が問題になっていました。 その後、光の干渉や偏光の実験により光が波だと言う事が明らかになりました。 (量子力学の登場により、光は粒子でも有り、波でも有ると言うように変更されましたが) 当時においては、波を伝えるには何らかの媒質が必要と考えられていました。 例えば、音波を伝えるには、空気や鉄道のレールなどが必要です。 水の波を伝えるには水が必要です。 そこで、光を伝える媒質の性質が問題になりました。 偏光の実験から、光は横波であることがはっきりしています。 横波を伝える媒質は固体に限られます。 また、媒質が硬いほど波の速さは速くなります。 光の速さはとても速いので、光を伝える媒質(エーテル)はとても硬い固体だと言う事になります。 こんなものが宇宙空間を満たしていると言う事はとても信じられない事です。 地球は太陽の周りを公転しているので、エーテルが存在すればエーテルの中を運動しているはずです。 そこで、地球とエーテルの間の運動が有るのか確かめようと言う事になったのです。 >光の相対速度がc-vとなったならばエーテルが存在することになる 川をエーテルに川を進む船を光に例えると、川が流れている場合には船が上流に向かう時と下流に向かう時で(地上から見た)船の速さが違って見えます。 超音波流量計では、AB2点間でA→Bまで超音波が届く時間とB→Aまで超音波が届く時間の差から流れる水の速さを測っています。 http://www.ksplz.info/+flow/tutorial1/flow4.pdf
- Tann3
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No.1です。書き忘れました。 >光が真空を伝わっているのを観測できる時点で(例えば星の光など)、真空中には光という波を伝えるなんらかの媒質が"存在する"ことは確定しているので、 →いいえ。それを「エーテル」と呼んでいたのです。 マイケルソン・モーリーの実験が示したのは、「真空中には光という波を伝えるなんらの媒質も"存在しない"こと」です。
- Tann3
- ベストアンサー率51% (708/1381)
エーテルと地球との相対速度を検出しようとしたのです。 宇宙の中心、あるいは太陽系の重心に対してエーテルが静止していれば、公転する地球は公転速度でエーテルの中を運動することになる訳ですから。
補足
回答ありがとうございます。 本を読んだ限りでは、ご回答と同じように、エーテルは太陽に対して静止しているものと考えられていたようです。しかし、エーテルが静止しているならば、地球から見た光の相対速度がc-vとなった場合、-vは地球が公転しているために生じたものですよね?だとしたら、仮に相対速度がc-vと測定できたとしても、エーテルの存在証明にはならないように思うのですがどうでしょう? ちょっとした勘違いなんでしょうが、なかなか気付けないのはもどかしいものです…
補足
回答ありがとうございます。 僕はエーテルの風というものを、例えれば「無風状態の中を自転車で駆け抜ける時に運転者が感じる、見かけの風」のようなものと解釈していましたが、これが間違いなのでしょうか?そういうものとして考えると、別にエーテルがある無しに関係なく、地球が速度をもって公転している以上地球から見て公転方向の光の相対速度はC±vとなるのは当然で、エーテルの存在証明にはならないように思ってしまいます。 そうではなく、エーテルの風は、(我々が地球上で空気の風が"吹いている"と感じるように)いわば「宇宙空間にたいして風速をもって吹いているもの」として考えられていたのでしょうか? 半日くらい考えていますが、どうもよく分かりません。