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民族についての質問です
民族についての質問です ユダヤ人について 自分の国をもたずいろいろな国に散らばって暮らしていると、その土地の人間と混血したりして同化してしまいそうな気がするのですが…あれだけ長い間しっかりと民族が残っているのはどうしてでしょうか? 漢民族について 世界最大の民族ですが、どうしてあそこまで人口が増えたのでしょうか?ウィキペディアでは平穏や安定した経済や農作物について書かれていますが、それだけでここまで増えるものでしょうか…? どちらかだけでもかまいませんので、どなたか回答をおねがいします。
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- debukuro
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どちらも相当に排他的なようですね だから混血が起こりにくい
聞きかじりの知識ですが、ユダヤ人というのは「ユダヤ教徒」「ユダヤ教を信じる人」という意味で、民族ではないということです。 アメリカ人と言っても、民族は様々です。それと同じことだと思います。
こんにちは、 ユダヤ人についてだけお答えします。 ご存知のようにAD70年にエルサレムが陥落しユダヤの民は国を失います。 その後中近東からヨーロッパにかけてがユダヤ民族の放浪地でした。キリスト教はまだ幼年期にあたり、イスラム教はおよそ500年経たないと発生しません。 その時点では唯一ユダヤ民族だけが一神教を奉じる選民主義を標榜する一団でした。彼らは他民族の土着の宗教を穢れたものだと規定しています。 なかには同化したユダヤ人もいたでしょうが、民族内では批判の的でした。誇り高い人たちだったのですね。自由、平等、博愛とは縁のない思想に基ついて生きていたわけです。 さて、放浪を続けている間にキリスト教とイスラム教は最盛期を迎えます。この二大宗教の狭間に、彼らの存在に寛大な国を求めて、ユダヤ民族はキリスト教の国に流れ着いたり、はたまたイスラム教の国に定住したりします。そのときの為政者の気持ちしだいで彼らは追放されたり容認されたりして、まるでピンポンの球のような。 例えば1492年に時のスペイン王国がグラナダ(スペイン南部にあったイスラム教の国)を滅ぼしたとき、なぜかユダヤ人の追放令も出ています。50,000人のユダヤ人はポルトガルに、50,000人はイスラムの国であるオットーマンエンパイアーに移住しました。スペインに残れば宗教裁判が待っていました。 キリスト教徒のユダヤ人の迫害の理由は”イエスキリストを殺したのはユダヤの人々だ”という言いがかりに近いものでした。 ヨーロッパの国々ではヴェニスを筆頭にユダヤ人居住区を制定します。そして彼らが外に出るときには外套の背に大きな黄色い丸を張って、いつでも区別できるような仕組みでした。外部の人と恋ができるわけないですよね。 長い放浪ののち古い律法ではあきたらず、カバラを構想することでもう一度民族の団結を試みたこともありました。 長くなってしまったのでまとめますと、 ”人間同士の差別感情が長く続いたため。”