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音楽における崇高性ついて
音楽における崇高性ついて 先日、美学における崇高性の問題について書いてあった本(谷川渥著 美学の逆説)を読んだのですが、絵画や自然、彫刻、建築に対する言及があっても、音楽に対する言及が全くされておらず、気になるばかりです。 音楽における崇高性とは一体どのようなものなのでしょうか? 自分で資料や文献も探したのですが、力不足のようでなかなか見つかりません。 もし、何か情報がありましたら、教えていただけるとありがたいです。 他にどのような曲や音に崇高性を感じるか(感じたことがあるか)というご意見も頂戴したく思います。 よろしくお願いいたします。
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- takay0shi
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調和と不調和が『ある』ということが崇高なのだと思います。 数学は崇高だ、という人々と同じように音楽に崇高性を見出す人々が『いる』ということでしょうか。 西洋クラシック、だけでみると、キリスト教というか信仰を全霊で表現、表明しているような曲にはやはり崇高なものを感じると思う。マタイ受難曲なんて日本人の僕が日本で虻蚊に刺されながら聴いても神的なものを感じる。 さらに宗教つながりで加えさせてもらうと、アフリカ奥地の文字を持たない民族が村に代々伝わる神話を語り継ぐ時、言葉も使わずただ太鼓の音色のみで物語りを伝えるといいます。きっと崇高な音楽だろうと思う。そのあたりは文化人類学者の著作に度々出てきます。崇高=美だとすると、音楽の本質は音階に無いとも言えそうです。しかし、やはり他方、ジュウシマツの雄はさえずり、歌の旋律の美しさで雌にアピールするといいます。面白いですね。 案外、美だとか、抽象的な観念のものは「こうだ」と言いきれない面もあるでしょうし、音楽筋の学者より小説家の発想の方が面白いかもしれない。そのあたりだと自分はパッと、澁澤、三島由紀夫が得意だったかもしれない、なんて思いました。三輪明宏とか、好きそうです。 小説であたられてみるのも面白そうですね。
- wy1
- ベストアンサー率23% (331/1391)
”音楽における崇高性”とはどう言うことを、あなたはお考えなのでしょうか? 私は、バッハとかペルゴレージ グレゴリア聖歌などの所謂宗教曲を好きで聴きますが、私はキリスト教徒ではありませんが、ある曲を聴く時に、一応曲の宗教的な意義を考えって聴いているつもりです。べトーベンは第九交響曲でもかなりオーバーに聞こえ仕方がないのです。モーツアルトのレクイエムはまあまあですが、他の曲は嫌いではないが、続けて聴くと一寸休まないと。 あなたへの答えにはなっていませんが、私なりの音楽に対する考えを書いてみました。
お礼
お返事遅くなってしまって申し訳ありません。 ご回答ありがとうございます。 私の質問がかなり不十分でした。 カントが定義した崇高というものが男性的な美であり、恐怖・力・巨大さなど様々な要因によって引き起こされると聞いたのですが、絵画や彫刻などではそれは理解できるのですが、音楽となると実体が無いので、大きさとかそこで提示されていた例に当てはめて考えることが私はできなかったのです。 しかし、音楽ではwy1さんが挙げるてくれたように、主に宗教音楽などが崇高な音楽とされる事が多くあります。 私自身も音楽で崇高性を感じたこともありますので、音楽においても崇高性を感じる要因なるものがあるのではと考えたので、このような質問をさせていただきました。 つまりは、音楽で崇高を感じることはあるのだけれども、なぜ崇高性を感じるのかわからなかったのです。 説明がへたくそで申し訳ありませんでした。 とても参考になる意見でした。 ありがとうございます。