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欧米でのスポーツの条件
- 身体運動はスポーツの絶対条件ではない
- 近代スポーツは統括組織によって整備されたルールに則って競技が行われる
- 欧米ではスポーツの条件は身体運動よりも統括組織によるルールと競争が重要
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質問者が選んだベストアンサー
欧米での「スポーツ」は必ずしも身体運動が必要条件ではありません。 ではなぜ日本で「スポーツ」と言う言葉が、=運動、と連想されるようになったかというと、近代教育の受容に原因があります。 日本では「スポーツ」を近代的な教育の中の身体育成として導入したからです。たとえば ・野球は1871年(明治4年)東京開成学校予科で教えたのが始まり ・1873年に東京築地の海軍兵学寮でイギリス軍中佐が教えたのが始まり(諸説あり) ・1878年に文部省の体操伝習所でアメリカのリーランドが教えたのが始まり(諸説あり) などのように、日本におけるスポーツは富国強兵を目指す国家政策のひとつとして、学校で教え広まっていったものがほとんどなのです。 そのため、スポーツと運動が一体と連想されるようになったのです。 しかし、特にイギリスの「スポーツマンシップ」という言葉を考えれば、スポーツという言葉はもう少し奥が深く、体だけでなく心も養うために行うものである、といえます。 その心を養う、という点に注目したときに重要なのが「整備されたルールに則って運営され、試合結果を記録として比較し、その更新をよしとする競技」ということであり、必ずしも身体を酷使するものである必要はない、といことになります。 この点において本来のスポーツと日本の「道」は非常に近い概念であり、それは騎士道精神と武士道精神の類似にも似たところがあります。 日本では、心の涵養を養うには「道」が良いとされてきました。柔道・剣道のみならず茶道や花道などでも涵養を養うことができるとされています。ただ、団体行動としての「スポーツマンシップ」に似たものはないのかもしれません。 ですので、明治期以降、個人的な涵養は「道」、集団的な涵養は「スポーツ」ということに分かれ、個人的なスポーツはむしろ「道」的な概念で見られる反面、集団で行う身体運動は「スポーツ」という括りになっていったのではないでしょうか。 もちろん、言葉としての定義はSportにあわせる必要がありますので、字義としてはSportもスポーツも同じであるといえます。ただ、どれだけの日本人がスポーツ=運動、以上の認識を持っているかは分かりません。
その他の回答 (1)
日本の解釈と大差ないと思います。 http://en.wikipedia.org/wiki/Sport
お礼
回答ありがとうございました。
補足
英語版のウィキペディアには、チェスが写真付きで紹介されてますね。 やはり「スポーツ」はボードゲームも含まれているんですね。 って事はやはりスポーツの条件に身体運動は無関係って事ですかね?
お礼
回答ありがとうございました。