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崇高でありたい気持ちと、はしゃぎたい気持ちについて

自分は24歳の男です。本当に悩んでいます。 崇高で思慮深く成熟した人間でありたいと思う時と、友人とどうでもいいような内容のおしゃべりを楽しくめいっぱい話したりキャピキャピと弾けるようにはしゃぎまくりたいと思う時があります。しかし、崇高である事と、はしゃぐような状態というのは、かけ離れているのでどうすればいいのか悩んでいます。アドバイスをお願いします。

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  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.4

「時間はかかりますよ!」と言っておきますね。 何でかと言うと「人生経験が豊富じゃないとなれないから」です。 なるべく「良く遊び」、とにかく「恋をして」、何度と無く「失恋し」、いつでも「夢を持ち」、苦しくても「乗り切って」、悲しみを「胸に秘めて」、それでもなおかつ「笑えるように」なりませう。 ・・エエ男になれるぞぇ!!。

intellect
質問者

お礼

そんな人間になりたいです。参考になりました。ありがとうございます。

その他の回答 (3)

  • Komiker
  • ベストアンサー率16% (83/518)
回答No.3

>崇高で思慮深く成熟した人間でありたい  ” 崇高 ” とはまた、最近見かけないことばを持ってきましたねぇ (^o^)。  これはそうしようとしてなるものではなく、結果としてそうなるものでしょう。つまり、あなたがこれからの人生さまざまな環境変化の中で、自分を成長させようとする努力の結果に得られるかもしれないものです。” しれない ” と表現するのは、必ずそうなるものでなく、時と共にあなたの考えは変わっていくものですし、必要な条件環境が周囲に無ければ実現しないものだからです。  今は、そのときそのときのご自分の真の意志に沿って動けばよいのではないでしょうか。  得難い青春期を悩みの中に過ごすのも、それはそれでよいことだと思えますね (^_^)/~。

intellect
質問者

お礼

なるほど。参考になりました。ありがとうございます。

回答No.2

 あるときは哲学者、あるときは道化役、なだらかな変化が理想ですね。  あなたが他人の反応を気にしていることが重要な動機とみられますが、 おなじく熱心に、かつ客観的に他人の変化を観察することも大切です。    精神分析では、すべての人は分裂質・躁鬱質・癲癇質に分類されます。  これらは、精神異常ではなく、その人の気質や傾向を示すものです。 (わたし自身の経験では、躁鬱質において、季節的な周期が存在します)    現在の精神分析学は、フロイト以後も諸説あり、専門医師によっても 解釈がバラバラなので、まずは自分との対話が重要です。  軽薄な結論よりも、重厚な自己観察が望まれます。    一日のうちに躁状態と鬱状態が混在するのなら、時間的に周期がある かどうか、一定期間にわたって記録してみませんか。  あるいは、睡眠時間や食事の内容にも関連があるかもしれませんね。    躁鬱の代表的人物の研究も、参考になるかと思います。 http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/5035/  北杜夫ファンページ・どくとるマンボウファンの共和国

intellect
質問者

お礼

自分の感情の変化を記録することは、きっと有意義だと思うので、時々シンプルに記録しています。参考になりました。ありがとうございます。

  • Feb12
  • ベストアンサー率29% (674/2296)
回答No.1

両方のメリハリが効いている人を見ると、本当にかっこいいと感じます。 ぜひ、両立していただければ、と思います。 崇高で思慮深いだけだと、とっつきにくい変人くらいにしか思われないかも。

intellect
質問者

お礼

そうですね。両立出来ている方はすごいと思います。しかしそれにはどうしたらいいのか悩んでるんですよ~回答ありがとうございます(^^)