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 百年河清を待つ

 百年河清を待つ  百年河清を待つをhttp://dictionary.goo.ne.jp/leaf/je2/64176/m0u/%E7%99%BE%E5%B9%B4%E6%B2%B3%E6%B8%85/の欄でみますと、英語でもかかれていて正にwaitということばになっています。  1)waitが漫然と受動的に待つという意味だけなのか、期する、企図するという意味もあるのか分りませんが、人類の歴史や社会、世の中というのは濁りをなくすようになるのでしょうか?  2)濁りをなくした人類の歴史や社会、世の中というのは棲めるのでしょうか?  3)清んだ人類の歴史や社会、世の中というのはどんな濁りをなくしているのでしょうか?  4)清んだ処に棲めないのは魚(うを)だけでしょうか?  随筆風で結構ですのでご思索をご披瀝ください。お願い申しあげます。

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noname#123390
noname#123390
回答No.2

>百年河清を待つ のにごりは混濁と言った意味の、多くの人が様々な問題を抱えて様々な主張をするのですっきりとした民意の一致がとれないと言った意味であろうかと思います。そういう意味で現在の社会はまさしく百家争鳴、その中でとりあえずの多数決で何とか民主政治を続けているのが現状でしょうか。それはむしろ健全な状態であり、澄み切った国家国民一致団結しての全体制国家政治は完璧な一人の指導者が出ない限り危ないものだろうと思います。 もちろん哲人政治というか、そういった理想的な政治と言うのはコンピュータなどが極限に進化すればあるいは可能かもしれませんが、人間の多様性そのものは残るはずですから、そういったにごった社会と言うものも文化的には残しておいて、選択できるようにするのもひとつの方法でしょうか。 >水清ければ魚棲まず 清濁併せ呑むというたぐいのにごりは、確かに人間の正義だけでなく、ある種の不正も妥協というかたちで許すという種類の意味です。そこから行けば、濁とは不正に近いものかもしれません。これは完璧な法律体系を作るというという方法で賄賂やらバックマージンなどのええ加減、潤滑油的なゆとりを合法化法制化し、クリヤーにしてなくしていくということは可能だろうと思います。刑法の緻密化でどんどん犯罪者は逮捕され減っていくでしょう。犯罪者すれすれのそういった新しい体制に順応出来ない古いアバウト人間は生き残れないということになるのでしょうか。 詰まらないものを書いてしまいました。

krya1998
質問者

お礼

 ピレネーを越えればこちらの悪が正義に、正義が悪に。とは法哲をやっていたときの挿話でした。私の善が他人にはそうでない。そういうものの共存と併存ですね。  価値観の統一、強制的統一。これはやりきれないでしょうね。  これに反して、尭舜は空気や大地、或いは陽光に徹する事で、決して強制や指導を感じさせなかった。とか?  多様なものへの光の反射と屈折。濁りとも見える創造界という不可視の女神・ガンガもきっと本質は全部の光色の屈折しないが故の透明かもしれません。インド人はあの全てを含むガンガに水浴することを喜びとしているのですね。  曹洞の清僧の恩師は頑固でした。狭隘ともみえる。『多くの友人は少しは濁れ、魚がすまぬぞ、と忠告する。馬鹿な事を言う、清むために生きている、努力している。清いという事より大事な事はない。魚など棲まなくて結構。いえ棲んでもらっては困る』と嬉しそうに、お祝いの席の返礼スピーチ。  そういう清んだ人たちの織り成すこの世界。そして多様な色。  百年河清はまぁ一面の思考での嘆きでありましょうね。  清冽ならばいが、ナチや軍国、国粋や一定宗教の政治的・社会的強制は清冽ではないですね。  私たち下町の腕白無学は、一本気で単純なんで、言われるとそれしか考えないんです。  だから私たちの間では政治も宗教も一つに為りやすい。そして強制しがちなんです。気をつけます。  ありがとう御座いました。

その他の回答 (2)

回答No.3

 つまるところは、自分自身の誤認識や勘違いや幻想や思い込みなど(不正)をなくせば、好意振る舞いとしての不正もなくなるのではないかと想います。  法を厳しくしていけば逆効果で、人口や欺瞞は増えるばかり、それが不正の原因だと想います。  偏った意味での調和を強制すれば、そのぶん不正は増えると思われます。 No.2の回答については、すいません。良く解っていないようです。

krya1998
質問者

お礼

 元気充満のフルさん、ありがとう。  いえみなさん、多分同じお考えのようでして。  仰せのその“誤認識や勘違いや幻想や思い込み”っていうのがどえらい難物でして。  一定の考えでの【法を厳しくしていけば逆効果で】ですね。棲み難いですよ。  そういうのって、清い河ではなく、黒の一色か、ピンクの一色でしょう。清冽ではないですね。  『偏った意味での調和を強制』は危険ですね。中国の故事にも、苛政は虎よりも猛きなり。とあります。  ナチや国粋主義、何かの思想や宗教での統一は嫌ですね。  日本人らしく、暢気で鷹揚、何でも受け入れる生活で行きたいです。  他国文化から無宗教、無思想なんていわれても。  個人は宗教あってもいいが。でも暢気で。だめかな。  神道って知りませんが、なんか教えってあるんでしょうかね。  私たちはインドの哲学の精進してますが、時折り似ているんですね。  一つであって、多様。多様であってみんな一つ、同じ。とありたいです。そうどちらも多神教的、アニミズム的、みんな神様。でも一つ。  みんなの尊いものはだれにも尊い。でもいろんな神様でいいのではないでしょうか?  そんな漠然でいいのではないかと存じますが。  そういう暢気な漠然は物凄い白人社会や文化では抹殺されるでしょうね。論理と科学の現代では。  ありがとう御座いました。

krya1998
質問者

補足

 Full_Energyさん、仰せのとおり一定の法律を作り、厳しくしても始まらない事ですね。  第一そういう仕方では河は清冽に為らないですよね。  何かの一色になるだけですよね。反ってすみにくいだけでしょうね。  ありがとう御座いました。  今後もどうぞよろしくお願い申しあげます。

  • masa2211
  • ベストアンサー率43% (178/411)
回答No.1

ここでいう河は黄河のことです。(河が黄河、江が長江であり固有名詞。一般名詞でもあるけれど...) 黄河は、字のごとく、泥がいっしょに流れているためにごっており、100年どころか10000年たっても にごったままです。  ※100年というのは、この場合長い期間という意味であり物理的な100年ではないです。 よって、 ・待つだけムダ  という意味になります。 >2)濁りをなくした人類の歴史や社会、世の中というのは棲めるのでしょうか? 棲めるといえば棲めるけれど.... この場合の「濁り」は、不正のこと。 原始共産制のような場合、生きるだけでカツカツであり余剰財産が存在しないから 不正が起こりようがありません。 現在社会のように余剰財産がある場合。 結構、濁りの定義が面倒、なんだよね。 たとえば、「賄賂」は、どうみても濁りなんだけど、 1円でもダメなのか? 缶ジュース1本は? お歳暮は?  1円でもダメとした場合。 たとえば、電話代10円を貸して、それを返してもらわなかった場合、定義により「賄賂」と認定され、罰をうける。  いやはや。 >4)清んだ処に棲めないのは魚(うを)だけでしょうか? 魚も比喩だし、「水清くして魚棲まず」は別の格言ですが... 比喩ではないとして、たとえば鮎は、清流に棲む魚として一般認識されます。 (環境基準AAとかAでないと、鮎は無理。) 清んだ処に棲めない魚とは、たとえばフナ、ウナギ。

krya1998
質問者

お礼

 そう黄河ですね。百年でも千万年でも清むことはありますまい。  大河は細流れを拒まず、大洋は全てを受け入れる。(正確な文言が思い出せないのですが)  こういうことの中で何を清とし濁とするか。  ガンジスも今は工場排水が流入して状況が変わってきておるそうですが、見た目の不透明な水に多くの方が浴されているようです。  一切を受け入れてきている創造界の母としての女神、だガンジス。  私たちのこの歴史の多様の中で、清冽を変容させて人間、いやこの私自身でもある。いえそれほどの存在性などがあるなどとも考えていませんが、たくさんの迷惑と間違いをしてきているけども。などと思っています。  ありがとう御座いました。

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